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大人になるのがまた少し楽しみになったスペイン旅

スペインの首都、マドリードの21時。私たち家族は、20キロのスーツケースとともに、母が予約してくれたホテルを探して1時間以上さまよっていた。宿から送られてきた住所が間違っていて迷子になったのだ。ネットで調べても辿り着けないその場所に、どうにか人に尋ねながら着いたところだった。

やっと着いたそれらしき住所も、レセプションのない民間宿。鉄格子のような門の前で、コードが送られてきていないためにまたも立ち尽くした。玄関のステッカーに書かれた番号に電話しても話が通じない。出入りするお客さんの1人が教えてくれた番号にかけるも、やり取りがうまく行かずに、電車で20分の場所まで来てくださいと言われるのだ。その時点で21時半を過ぎていたので、泊まるのを諦めて別のホテルを探すことにした。

家族5人でスーツケース4つをひきながら夜の見知らぬ通りを歩き、やっと22時過ぎに新しいホテルを見つけられた。英語を話せるのは母と真ん中の妹と私だけ。どんどん暗くなっていく景色の中で、家族だけが頼りだった。石畳みにスーツケースを転がす振動で腕は痺れ、スリを気にして尖らせた神経が、そろそろ限界まですり減ったと思えるときだった。

旅にトラブルはつきものだ。バックパックひとつで国内も海外も一人旅をする私は、むしろ旅の醍醐味だと思っている。例えば、飛行機に乗れないとか、ホテルのトイレが流れないとか、行きたかった場所が定休日だとか、そういう「よくある」ことである。でも、家族5人でヨーロッパで、夜の22時に路頭に迷うのは、一人とは違う不安があった。

自分一人ならまだ彷徨えるところも、みんなをこれ以上歩かせることはできないと思った。両親を早くベッドのあるところで休ませたかったし、久しぶりの海外で緊張している妹たちを安心させたかった。母から電話を代わって交渉をしたり、新たなホテルを探したりした時、私は両親に手を引かれていた自分が、今度は彼らの手を引く側になっていることになんともいえない時間の流れを感じていた。

家族5人での旅行などいつぶりだろう。私が大学生になってからは、私をのぞいた4人での旅行が増えた。家族ラインに突然、「山梨にいます」などというメッセージと、写真が送られてくる。社会人になって実家を出ると、家族の予定は後からそうやって知らされることが多かった。

祖父が亡くなってからは祖母をつれてどこかで過ごすことも増えたし、母方の祖父を連れて出かけるときは、伯母家族も一緒だった。3人姉妹がみんな成人するにつれ、家族の輪郭がだんだんとぼやけていくようでもあった。

昔は毎年、両親がどこかへ連れていってくれたのだ。たいていは2人が好きなスキー場。母が苦手な遊園地やアミューズメント施設にはほぼ行ったことがない。その代わり、父が東京から北海道まで愛車を走らせてくれたり、車中泊で5人で過ごしたり、今思うとあまりできない経験をさせてもらったと思う。

私が旅行好きになったのは学生時代の友人たちの影響かと思っていたけれど、よく考えたら両親じゃないか。インドア派のくせに時々すごくアグレッシブな母と、なんでも家族5人でするのが大好きな父。実家を出てみてあらためて、そのあたたかさに気づくのだった。

「まゆちゃんが行きたがってたスペイン、ママたちは飛行機のチケット取りました」

そんなラインが母から飛び込んできたのが今年の4月。スマホの通知を見て、「え?」と「は?」の中間くらいの声が出た。スペインは私が一番行きたい場所とここ4年ほど言い続けていて、それは母も知っているはずだった。そんな連絡をよこすなら私の分のチケットもあるのかと思いきや、4人分だけだという。

「来たかったら自分でとってね!」

全く悪気のない母と、なぜなにも相談してくれないんだと戸惑いを隠せない私。8月の航空券の高さに怯んだものの、ホテルなんかは家族で補助してくれるというので、甘えて便乗することにした。5人で海外に行くのは、16年ぶりだった。スペインに行きたいという気持ちと同時に、今行っておかないと家族旅行が最後になるのかもしれないという直感があった。

私は今、将来を考えているパートナーと一緒に住んでいて、おそらく数年で結婚するのだろう。子どももほしいと思っている。そうしたら私の「家族旅行」は、新しい彼との家族のものに移り変わっていく気がするのだ。

母は、行きたいところに行く人だ。これからも母とはどこかに出かけることもあるだろう。でも、父はどうだろう。私が実家に帰るたびに喜んでデザートを買ってくる父には、なんとなくこの感情を説明しづらくて、ほんの少し申し訳ない気持ちになる。だから今回、行かないと後悔するような気がしていた。

あの時、2歳だった妹は、今では私よりも背が高い。父と母は相応に歳をとった。そして私は、旅行の時に父がやたらと家族写真を撮りたがるのも、母が飛行機の離陸の瞬間が一番好きなことも、知っている。真ん中の妹は環境が変わるとあんまり眠れなくなることも、一番下の妹がお化粧に最も時間がかかることも。

27年生きてきて、彼らのことをほとんど知っていたつもりだった。でも、30年ぶりにスペインに来たという建築専攻だった父が、バルセロナのグエル公園であんなに目を輝かせることを知らなかった。母がアンダルシア地方に行きたかったということも。スペインという日本から遠く離れた土地で、家族のことを再発見している気持ちになった。

22時を過ぎて新しいホテルのルームキーを発券してもらったとき、私たち家族は受付でハイタッチをしていた。普段なら恥ずかしくて嫌がっていたと思うけれど、その時は達成感で満ち溢れていたのだ。時差ボケで朝5時から起きていたので、部屋では崩れるように荷物を下ろして、それぞれの健闘を称え合った。「スーツケースを2個も持って歩いてくれてありがとう」「ここのホテル見つけてくれて最高だった」「みんなよくスリにも狙われずに歩ききったよ」

溢れるほど写真を撮った5日間のうち、必死だったマドリードの夜の写真は1枚もない。でも、「こんなにみんな成長してくれたんだなあ。」と、やっとビールを飲めた父が言った時のほころんだ笑顔を、私は忘れないと思う。家族のことを再発見したのは、私だけではなかった。何年経っても、家族で集まればその話でお酒が飲めるだろう。

母は、またスペインに来たいのだと言う。その時は私たちが旅行をプレゼントしてあげたい。そうしたら今よりももっと大人になって、父を驚かせることになるだろうな。行く前までは家族のかたちが変わっていく寂しさを感じていたけれど、いつだって「今」の自分で、私たちは5人家族として集まり直せるのだと思う。私もまた、5人で旅行がしたい。そうして忘れられない旅の記憶は、大人になってからも増え続けていく。



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