![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147575732/rectangle_large_type_2_3b56d964352c763ae7ab996dda59ab1d.png?width=1200)
ライターが「やりがい搾取」を感じるとき
クラウドソーシングでデビューした直後のことです。右も左もわからないボクは、ただ案件を受注したい気持ちに押されて、1000文字2000円の案件を受注しました。文字単価2円の計算なので、当時のボクにはまごうことなき神案件でした。
でも現実は長文のマニュアルと複雑なWordPressのテンプレートを渡されて、あちらこちらを修正したり、画像を切り貼りしたり、Google Mapからの地図情報を貼り付けたり...... たしかに文字数でカウントすれば1000文字なのですが、その1000文字にしても[50文字×10+100文字×5]なので、15回のリサーチの手間が半端ない。
めまいがしましたが応募したのは自分だからと言い聞かせて、歯を食いしばってやりとげました。まるまる4日間、20時間以上をかけたのですが(時給100円!)、結果はまさかの低評価。なんだか全身が脱力し、がっくりとひざを折ったのでした。
報酬が見合わないという壁
なぜこんなことを思い出したかというと、ある方のnote記事を読んだからです。ご本人の承諾なしに記事を引用するのは失礼なので、仮にAさんとします。
Aさんは実に良心的な方で、ライティングチームを運営していらっしゃいます。Aさんの悩みというのはライターが優秀であるにも関わらず、どうしても低報酬になってしまうので〈ライターのやりがい搾取〉になってしまうことです。
優秀なライターが素晴らしい記事を書いてくれるのですが、完璧主義ゆえに時間をかけすぎて報酬が見合わないのです。そこでライターに「編集者」として働いてもらう解決策を採用しましたが、それにしたって低報酬問題の解決にはいたらない。そのように葛藤していらっしゃいます。
さてこの問題にどう向き合えば良いのでしょうか。答えがない問いですが、ボクは3つのことを考えました。
報酬に目を向けると、どうしようもできないことがある。
報酬とやりがいが直結しないことがある。
真のやりがいに目を向けると、どうにかできることがある。
報酬に目を向けると、どうしようもできないことがある
![](https://assets.st-note.com/img/1721197588010-XdbIiDE7yn.png?width=1200)
どんなかたちで契約するのであれ、クライアントワークにおけるライターの報酬は、図表14.1の予算とコストの関係から決まります。つまりライターの報酬(コスト③)は予算をどの程度、配分するかによって決まります。言い換えるとライターへの報酬は予算の制約を受けるということです。
予算とコストの関係
たとえばボクはCrowdWorksやLancersなどのCSP(クラウドソーシングプラットフォーム)でクライアントワークをしています。CSPにおけるクライアントワークとは業務委託契約にもとづいて、クライアントの要望に応じてライティングをすることです。[連載11]で書いたことです。
他方、ライターはCSPで契約する場合もありますが、直契約を結ぶ場合もあります。たとえばあるWebメディア企業(発注者)が編集部を持っています。そこでディレクターや編集者がX(twitter)で募集をかけ、ライターを採用し直契約を結ぶような場合です。エージェントが仲介する場合もあるでしょう。
あるいは企業(発注者)が制作チーム(ディレクター・編集者)に業務委託をする場合もあります。その場合でも制作チームは、ライターとCSP経由で契約を結ぶ場合と直契約を結ぶ場合があります。
いずれにしてもライターへの報酬(コスト③)は、このように決まります。
ライターへの報酬(コスト③)=予算 - コスト① - コスト➁
ライターへの低報酬をどうにかしたいと思っても、どうしようもできない場合があるのは、予算の決定権を持っているのが発注者だからです。ここから先は別記事になりますが、どうもその予算に余裕がない案件が増えているようなのです。だからいま低報酬に悩んでいる案件があれば、この先、その傾向が加速する可能性があります。
それにCSPの手数料(コスト➁)は安くはありません。CrowdWorksの場合、10万円以下の売上に対しては20%、Lancersの場合には一律16.5%の手数料がかかります。
ただライターはCSPを利用することで営業をする必要がない、契約管理を自分でする必要がないという大きなベネフィットを得ていますから、この手数料は不当なものではありません。
やはりCSPが持つ本質的な課題は、文字単価が安い案件が大勢を占めていることでしょう。それは多くの発注者あるいは制作チームの期待がコストカットだからです。予算の制約を考慮すると、どうにかしたいと思ってもコストカットを優先せざるをえないからです。
低報酬は構造問題
以上のことからこの問題の難しさは〈低報酬をどうにかしたいと思っても、どうにもできないことがある〉ことからきます。つまり構造問題なのです。
だからこの構造問題を前提にすれば、本質的な解決は望むべくもありません。しかしあえてライターの立場から工夫をするとすれば、以下の対策が考えられると思います。
CSPの手数料を回避したければX(twitter)などを活用して、直契約の営業努力をする。一方、手数料を受け入れて、営業や契約管理の手間を省く考え方もある。ボクの場合は直契約を優先しつつ、CSPでの試行錯誤を続けている。
おそらくCSPを卒業していった多くのベテランライターが、同じことを考えたのではないかという気がしています。あるいはこういう考え方もあるかもしれません。
自社内にライティングチームを持つメディア企業との直契約を模索する。理由は単純で、その方がクライアントの予算管理の柔軟性が高いから。
ただご覧になるとおわかりのとおり、本質的な解決策ではありません。やはり低報酬問題は構造問題です。
報酬とやりがいが直結しないことがある
![](https://assets.st-note.com/img/1721198966528-opZFrkOwV5.png?width=1200)
このように報酬からみれば本質的な解決策が見いだせない構造問題になってしまいます。しかし世界の見方を変えてしまえば、問題の解決につながる場合があります。この連載記事を横断する問題解決の考え方です。
この連載記事を横断するマントラに〈世界は関係でできている〉があります。この世界観においては〈わたしの存在とは関係の濃さ〉です。ではボクが冒頭に述べた体験から〈やりがい搾取〉を感じ、行き詰まった気持ちになったのはなぜでしょうか。
もちろん時給100円は酷でしたが、でもボクががっくり膝を折った理由は別のところにありました。それは20時間をかけて努力したのにもかかわらず、低評価だったからです。良い記事を納めたいと努力したにも関わらず、その努力が認められなかったからです。
低評価という形で関係を拒否されたからです。〈存在への不安〉を感じて、CSP市場におけるボクの未来像が想像できなくなったからです。
人は未来への想像力が枯渇したときにゆきづまります。[連載12]で書いたことです。それに〈報酬=短期的願望=欲望〉の追及が、むしろ人を疲弊させることがあります。つまりボクはこう考えています。
人は未来への想像力を失わない限り、やりがいを失うことはない。とりわけ新しいモノを作ったり新しいコトに向かう活動は、人をときめかせ、自由に愉しくさせるのです。
ボクはCSPデビューしたときに、実はワクワクしていました。どんな新しいコトが待っているんだろうと愉しくてしょうがなかったのです。つまりボクの想像力がフル回転していたのです。現実を知って、その想像力がおとろえるまでは。
でもボクはいまだにCSPで活動しています。それはごくまれにですが良いクライアントとの出会いがあるからです。良いコトがあるからです。
ボクはAさんが、その優れたライターを編集者にキャリアアップさせたことは良いコトだと思いました。なぜならばそのライターは〈編集者になる〉という新しい体験(コト)に、喜びを感じた可能性があると思うからです。
真のやりがいに目を向けると、どうにかできることがある
![](https://assets.st-note.com/img/1721199566019-GthPC0UP8f.png?width=1200)
だから真のやりがいに目を向けると、どうにかできることがあると思うのです。では真のやりがいとは、何から生まれるのでしょうか。この連載記事では、一貫してこのように考えます。
誰かとの関係(つながり)の元、新しいモノ(作品)やコト(体験)を作り出す中で、〈新しいわたし〉の成長の可能性を感じて、理想の未来像への想像力が触発されること。
以前も書きましたが、X(twitter)での誰かのつぶやきのことです。ある初心者ライター向けのオンラインサロンは、実によくできているというのです。そのサロンではライターに案件を案内します。でもごく低単価です。それでもお互いにほめあったりレビューしあったり、満足感が半端ないというのです。ひとりであればゆきづまるしかないことも、同じ悩みを持ったコミュニティでは、互いの言葉の交わし合いの中からお互いに触発しあっていくことができるのでしょう。
Aさんのチームの優秀なライターからみれば偶然、与えられた〈編集者〉という役割。その〈編集者〉という新しい役割を〈与えられたコト〉であり〈こなすべき役割〉と感じてしまえば、ワクワクは生まれないのではないでしょうか。
でも〈編集者〉という新しい役割が自分にとって、新しい体験(コト)を生み出す機会であり、その機会が〈未来の新しいわたし〉への想像力を触発する触媒になれれば、その方のワクワクは止まらないと思うのです。
ボクはこれを〈セレンディピティの原則〉と呼んでいます。
以上は図表14.3に図示したエフェクチュエーションの中核となる考え方ですが、それではこの考え方を〈わたしの問題〉にどのように適用すれば良いのでしょうか。こたつ記事ライターのエフェクチュエーション、まだまだ続きます。またお会いできれば幸いです。
連載記事一覧
[連載04]押しの経済時代のエフェクチュエーション
[連載05]生成AIは神か悪魔か?芥川賞作家の神回答がツボにはまった件
[連載06]劣等感の真実
[連載07]こたつ記事ライターのエフェクチュエーション① - 絶望感を克服して愉しく生きる方法
[連載08]こたつ記事ライターのエフェクチュエーション?- 収入の不安定さをコントロールする
[連載09]こたつ記事ライターのエフェクチュエーション3:目的や目標ではなくて手段からはじめた方が幸福になれる理由
[連載10]幸せの青い鳥の原則
[連載11]noteとクラウドソーシング、こたつ記事ライターがめざすべきなのはどっち?
[連載12]noteがブルーオーシャンになる理由
[連載13]新しい記事を書くってなんでこんなに愉しいのだろうか?
[連載14]ライターが「やりがい搾取」を感じるとき
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?