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自己紹介③:外資系企業 退職。逃げることを選んだADHD

続き。



私は、物心ついた時から外国への憧れがありました。
田舎の山の中で育ったせいか、外の世界への憧れが強かったように思います。

大人になって、まさか英語を使って外資系企業でグローバルメディカルチームの一員として働ける日が来るなんて・・・
30年前には1mmも想像していませんでした。

楽しかった外資系企業、健康管理室での仕事


私のオフィスは、ほかの棟と別で建っていたのですが、みなさん思い立ってひょいっと寄ってくれたりします。

仕事が終わらず、夜遅くまでオフィスにいるので、
「帰ろうと思ったら、灯りがついていたから・・・」なんて言って顔を見せてくれる同僚もいました。

外国人の従業員の皆さん、英語しかしゃべれない中での病院受診や、体の不調で不安になっているので、看護師の知識と英語力を使ってサポートできることは嬉しかったです。

そう・・・本当に楽しかったし、嬉しかった。

だって、ここ群馬県に居て、
看護師の仕事をしていて、
英語を使うことって本当にないです。

普通に生活していて、英語を使う事、
英語が求められる場面、
日本に住んでいて、めったにないです。

東京に観光で言ったときに道を聞かれるくらい。

だから、好きな英語が使えることも、ナースとして医療の知識を使えることも最高だったんです。

インド人のドクターの上司がシンガポールにいることも、AMAメディカルチームの世界の同僚たちとのつながりも、なんだか夢があって。

果てしなさを感じる、世界を感じられる、
思い返してみても、最高でした。

大好きだった外資系企業、退職


大変ながらも、従業員のサポートに喜びを感じていた日々でしたが、一方で私は、自己紹介②で書いたように、上司からの日本流のフィードバックでどんどん逃げ場がなくなり、水に溺れるように、あっぷあっぷと、苦しさが日に日に募っていきます。

 従業員のサポート、人の力になれることが喜びで、大好きで…。一方ではプレッシャーと、自分のダメな部分、弱い部分を突き付けられて精神的に追い詰められる。
 
 例の女性上司になってから、上司というよりは女性としてなんだか、人としてなんだか、自分は嫌われていると思うことが続きました。

 女性同士の人間関係で、『好き嫌い』は想像以上にすべてを左右します。

 彼女の『わたしのことが気に入らない』が業務や査定にまで及び、
居場所がなくなりました。

 私の給与はその上司になってからというものピタリと上がらなくなります。
 
 数年間、グローバルの日本チームの一員として、アジアのチームのメンバーに色々と教わりながら、コロナの荒波も乗り越え、試行錯誤して土台を作ってきました。

 4年にして、私がいちばん、古株です。

 私のポジションに就任した人は、なかなか続かず、なかには数週間でやめてしまう人もいる職種です。
 
 リードしてきた英語での監査などの大きなプロジェクトが成功したにも関わらず、
 嫌いだからという理由でいろいろと難癖をつけられ、「ダメ認定」され…

「今回も昇進はない」という話の翌日、上司に気に入られている同僚が先に皆の前で昇進が発表されました。

 英語でのグローバルとのやり取り、未経験ながらも一所懸命に頑張ってきた日々。

クタクタになりながらも、従業員の方々ひとりひとりを大事に、
コロナ対応に休日も夜家に帰ってからも働いた毎日…。

英語の資料作りが午前2時…机で寝てしまうまで向き合った夜。

走馬灯のように、いままで全力で走り続けてきた日々の頑張りが頭のなかをめぐります。

 ぷつんと糸が切れたように、すべてが一瞬で虚しくなりました。

「これ以上ここで頑張っても、私は評価してもらえないんだ。
もう、辞めよう。」


逃げることを即決したADHD。

 このような状況で、上司からADHDの、逃げ足の速さが発揮されることとなります。

ADHDは、嫌なこと、退屈なことに対する耐性が低いです。

好きなこと以外のことに集中するというのが苦手で、苦痛です。

そしてその特徴の延長線上に、
   
・決断した後の逃げ足が速い
   ・「もうだめだ」と思ってからの切り替えが早い

というのがあると思っています。

「もうだめだ、やめよう」
そんな感情が沸き上がってきた2秒後には、

辞めた後はどうしようか、
なにしようか?

求人情報をマッハで検索して就職先と進路を探し始めました。

未練、しがらみ、残った仕事うんぬんは、「ひょいっ」と、放り投げて、
スマホ片手に求人情報を手当たり次第に読み漁ります。

発達障害というか、ほかのひとがどうかは知りませんが、
私の場合は、

パソコンの再起動
スマホの初期化

どんな言葉が適切なのかわかりませんが、

嫌になったら、嫌なのです。

嫌になると、もうその場には居たくないし、
何の情熱も湧きません。

恋愛の仕方も、ジェットコースターみたいだってよく言われました。
自分では理由なんてわかりません。

興味が無くなると、ハイ、次!
となってしまうのです。

何で?と聞かれてもわかりません。

定型発達の人から見ると、なぜそんなにも極端なのか?
白黒はっきりしているのか?
ゼロか100かなのか?

と思われる部分です。

嫌だと思った瞬間に、
1秒でもそこに居たくなくなってしまいます。

次の場所に、動き出したくなってしまいます。

「大人の発達障害」について知っていますか?


 肌感ではここ10年ほどで、ずいぶんと発達障害についての認識も一般にも広がってきていると感じます。

『言葉ができることで、その文化ができてくる』

これは、言語学の世界の話です。
しかし、発達障害という言葉ができて、過去の困り感の答えろなる「鍵」を見つける人が増えてきた、そう思います。

日本という国は、息が詰まります。
とても とても、
苦しい。

なんでみんな、この息が詰まる国で、
笑って生活できているんだろう?
当たり前のように、当たり前に、

生きていられるんだろう?

とても不思議で、なんだか 味にすると、苦い。

すべてが同じであることを良しとする文化は、
異質なものを受け入れてはくれない。

同じでないことは、悪である、

そんな隠れたメッセージを発信し続けている
偏った国が日本だとわたしは個人的に思っています。

発達障害は、個がとびぬけた、バランスの悪い、不器用な、人たちです。
私は自分がその中に入っているので、自分のことを含めて、
そう言わせてもらいます。

高すぎるIQも、この日本という国で、
「同じ」が良しとされる国で、
足枷になってしまう。

強すぎるこだわりも、
完璧主義も、

日本の社会に当てはめようとすると、
なんだかはみ出してしまう。

研究職気質で、追求してしまうASD。
良し悪しではないはずなのに、
なんだかそれが、
「悪いこと」
かのように、

完璧主義を、否定されてしまう。

偏った性質は、見方を変えれば天才。
見方を変えれば変人。
あるいは、扱いにくい奇人。

「おなじ」を求められる中で、
苦しい想いをしている、
天才や、不器用さんや、

繊細すぎるとか、こだわりすぎるとか、

「○○すぎる」がつく人は、発達障害という4文字の名前がつくようになってしまいました。

そしてわたしは、
「○○すぎる」が沢山つく、
ASDであり、ADHDの数値は標準の3倍高い、人間です。

生きづらさを抱えている人の中には、もちろん、
愛着障害だったり、病気であったり、精神疾患だったり
家庭環境に、経済状況・・・

ひとくくりにはできない

それぞれの問題があるのでしょうが

そのうちの一つは、
発達障害であり、
また

さまざまな問題の、
背景にあったり、

様々な悩みの、
根幹に存在している可能性があるのが、

この
「発達障害」
というやつなのかなと思っています。

生きづらいからといって、すべてを発達障害のせいにして、
ハイ、終わり、
とはいきません。

が、

それでも、
自分を知ること、
発達障害の、その中身を知って、

目の前に起きている出来事に、
自分なりの納得だったり、
答えだったり、

あるいは
「まあいっか」という割り切りを手にして

すこし日常が楽になればいいんじゃないかなと思うわけです。

なので、
まずは自分が診断ついていようがいまいが、
「大人の発達障害」

このキーワードが心や頭に引っかかったならば、
探求してみるのもいいかなと思うのです。

私がアメリカの企業で外国人相手に働くのは全然オッケーだったのに、
日本人のなかでつぶれていったのは、
この自分のASD+ADHDという性格が、
かなり大きく関わっていたように思っています。

それは、ASD+ADHDが良かったとか悪かった、
ではなくて、
発達障害の人というのは、
環境的に悪い場所にいると

定型発達の人よりも悪い影響が大きく出やすく、
健康を害しやすいのです。

わたしは、人間としての大事な何かを壊してしまう寸前でした。
その前に、大好きだった会社から、逃げ出しました。

恋愛のパターンにも、に似ています。
というか、
恋愛でも、仕事でも、そうなんです。

もう嫌だ、もうだめだ、とおもったら、
もうそこにはいられないのです。


ーーーおまけ&余談 話が飛ぶので、興味のない方はスキップしてください。ーーー

大人の発達障害の難しさは、二次的に出現してくる『過剰適応』によるところが大きい。


さて、発達障害について知っていても、
「過剰適応」の概念について知っているかたはまだまだ少ないのではないでしょうか。

過剰適応は、「環境からの要求や期待に個人が完全に近い形で従おうとすることであり、内的な欲求を無理に抑圧してでも、外的な期待や要求にこたえる努力を行うこと」と定義されています。

この、環境へ適応しようとする中での不一致や、自己抑制によって起きてくる、抑うつや、自己嫌悪、自己不全感などが高まるという現象が起きてきます。

大人の発達障害者は、社会で生きていく中で、人とは多かれ少なかれかかわっていくことになるので、その環境に適応しようとがんばるなかでこの「過剰適応」という状態になりやすいです。

過剰適応に関しては、深く知っておくことで自分を守れたり、
一見して発達障害に見えない人ほど危険なので
(精神的健康を害するリスクが高い)、別途まとめていくつもりです。

(わたしは、時々怖くなるのですが、自分の人生がすべて過剰適応だったのでは・・・と思うことがあります。)


自己紹介④:40歳という年齢で、なぜ大好きなグローバルメディカルの仕事を辞めてまで日本語教師を目指したのか?続き:ADHDが終わりを決断したときの逃げ足(切り替え)の速さについてはこちら↓↓↓

ASDと診断された私の自己紹介①~④&発達障害県連記事は下記より。↓↓↓


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