学校から投薬を勧められる?
こんにちは。帰ってきて、ごはんを食べてから、30分くらい息子とマイクラをします。幸せな時間です。仕事でも、子どもの成長を感じる場面がいくつかあり、さっそく放課後に保護者に電話をして、喜びをはんぶんこしました。うれしいですね。Mr.チキンです。
さて、今日は「学校から薬を勧められる「発達障害」の子どもたち」というニュースについて、特別支援学級の教員としてお話ししたいと思います。
学校から薬を勧められる「発達障害」の子どもたち
衝撃的なタイトルでした。思わず読んでしまいました。
読んだ感想としては、「え?なんだこれ?」というものです。
細かく読んでいきたいと思います。
学校と服薬について~とても繊細な問題~
記事の冒頭部分はこのように書き始めています。
が、この部分から、ものすごく違和感を覚えました。
「投薬」という問題については、「発達検査を受けるように促す」ことや「発達障害に関する診断をする」ことに匹敵するくらい教育界ではタブーとされていることだからです。それにはいくつかの理由があります。
”診断”は教育の領域ではなく、医師の資格領域である
投薬は医療行為であり、教育の領域ではない
「発達に問題がある」ということが重要ではなく、「本人に困っている様子が見られる」ということが重要である
発達検査は、学ぶ場の選択に非常に密接である
などのことから、学級で問題行動を繰り返すなどの様子が見られる児童に関しては、かなり慎重に検討を重ねてから保護者に相談をします。教員は、初任のうちから、これらのことについては気を付けて話すように叩き込まれます。
保護者との相談についての気を付けるべきこと
これらの問題を扱う際には、ケース会議を繰り返し行いますし、特別支援教室の一教師から話をするということはあまり考えられません。
一般的に、特別支援教育コーディネーターや管理職から話をします。特別支援教育コーディネーターを特別支援学級教員が兼任していることもありますが、その場合、「学ぶ場を特別支援学級にした方が良い」というメッセージに捉えられないよう、別の教員が相談に入ることが多いです。
この文章では、これまでの相談の経緯や、保護者と特別支援教室の教師の関係性が分かりません。
そして、実際に特別支援教室の教師が「薬を飲んだほうがいいですよ。」という言葉を使ったのかも分かりません。
保護者との信頼関係が築かれていない状態で服薬のことを話をすると、納得のいかない保護者が「勧められた」と認識することはあるかもしれません。
この文章のうち、「小さいうちのほうが少量で済む」「薬を飲んで落ち着いた子もいます」と言った情報は、情報としては一般的であり、誤ったものではありません。
いずれにせよ、「服薬を勧められた」というケースが2例しか使われていない以上、これをタイトルとするのは誇大表示なのではないかと考えます。
私の知りうる限り、学校側が薬を勧めるということは、メジャーな対応ではありません。むしろそのような話をした場合、問題とする職員室の方が多いと感じます。
服薬はなぜ行われるのかという記載が必要
この記事には「服薬はなぜ行われるのか」という記載がありません。
服薬を始めた際の保護者に話を聞いてみると、
二次障害防止のため
家庭での支援が大変なため
問題行動が多く、教室で他の子を邪魔していないか気になるため
等が挙げられます。
必ずしも3が多いわけではありません。
この事実を伝えずに報じると、投薬をしている親や子どもが悪であるかのうように感じられるかもしれません。
違うんです。保護者も子どもも悩みながら選択しています。
そこに、学校が軽々しく口を出す余地はありません。
もし、そのような提案をする学校の担当者がいるのならば、すぐに方針を変えるべきだと、そこについては記事に賛同し、私もそう思います。
服薬の相談を受けた際に特別支援教育コーディネーターが伝えていること
私は服薬は勧めません。が、保護者から服薬の効果について聞かれた際は、
詳細は医師、もしくは薬剤師に聞くこと
一般的に、二次障害を防止する目的で服用することが多いこと
中学生以上では、本人が希望して服用することもあること
服用に関する副作用について、医師から説明を受けること
自治医科大学等の脳血流実験において、報酬系の賦活が見られたということ(褒められることに敏感になり、自己肯定感が上がることが期待される)
悩まれた場合は、特別支援教育コーディネーターが医療機関まで行き、一緒に説明を聞くことができること
服用を始めた場合は、学校で記録を取りながら進めるため、教えてほしいこと
などを伝えます。
これらの事情を無視して、少数例を以て「学校が服薬を勧める」というミスリードを私は許すことができません。
一番大事なことは
そもそも、この記事への違和感は「薬を使うことが悪」という結論ありきで書き始めていることから始まります。
「薬を使うこと」が「善」とか「悪」とか、そういう浅い話ではないのです。
悩みながら、苦しみながら、調べぬきながら、子どもの幸せのためにたどり着いた答えが「薬」であり、それが法律の範囲で適切であるならば、それはその選択を尊重することも大事なのではないでしょうか。
一番大事なことは、子ども自身が幸せになることです。
では、またね~。
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