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初めての個展を終えて


今月、12月2日(金)〜7日(水)の期間に、新宿にある、新宿眼科画廊というギャラリーで、自身の作家活動で初となる個展を開いた。(※眼科画廊の名前の由来は「目に良い場所」という意味らしく、眼科が運営しているギャラリー、という訳ではない。)

今回、友人、知人、学生時代の先輩、後輩、同期から、お仕事で付き合いのある方々など、これまでお世話になった多くの方が来場してくださった。また初めてお会いする方もたくさん来ていただき、そして作品を真剣に観ていただいて、大変有り難く、とても幸福な一週間となった。この場を借りて感謝を述べたい。来てくださって、また観てくださって、本当に有り難うございました。そして、作品を買ってくださった皆様も誠に有り難うございました。


沢山の方々と、作品を媒介にして、静謐な空間の中で対話をする時間は、何物にも代え難い豊かなものとなった。制作の中で、自己の奥底や自己を超えたところのものと対峙して、そこ(其処・底)から「溢れ出てきた」作品。それを他者と共有しながら語らうことの幸せは素晴らしく、次へと向かう沢山のヒントや思考の種を多く頂けたように感じている。(まだ発芽には時間がかかるだろうけれど。)本質とは何か、詩とは何か、藝術とはなんなのか、会話から生まれるそういう種類の言葉たちがギャラリーの空間にふわふわと漂っていた。

展示をするまでの準備期間には、不安や自己への失望などが渦巻き、個展など一体何のためにやるのか、、、自己満足に過ぎないのでは、、、など自分への疑念が絶えなかったが、やってみたことで展示の価値がよくよくわかったように思う。展示をすることで作品が人の目に触れ、鑑賞される。そして、反応が起こりそこから作者自身の思考や思索が進む。(鑑賞者もそうなっていたら幸いである。)

そして、自分が何を考えているのか、そして何を掴もうとしているのか、やっぱりやる前より、少しわかった気がしている。自身が目指す表現とは何なのか。鑑賞してくださった他者たちの中に、真剣に作った作品が、少しでも「残った」のならそのことも嬉しいのだが、自分が一歩、奥へと「進む」ことが何より嬉しく感じられたのだった。この終わらない問答のために展示をやる価値があると。


僕は、詩人・美術作家を名乗り、作家活動として言語の問題を扱っていて、とりわけエクリチュール(文字)を主題に作品制作をしている。そして、無謀にも「詩」を美術化するというアプローチで作品を作っている。言語表現としての詩の前のところに「詩」というもの自体がある、と観ており、これを言語のみならず、ペインティングやドローイング、写真などの表現によって、つまり非言語的に「詩」を顕(あらわ)そうとしている、らしい。(らしい、というのは自分でもこの欲望がどこから来ているのか、どういうものなのか、まだよくは分かっていないからだ。)

しかし、これはそれぞれの表現を固有にひたむきに探求している人にとってはかなり邪道に思われるかもしれない。ある表現はそれ自体を目的として追求すべき、と。が、僕は、どうやら言語の問題(認識の単純記号化への危惧など)と詩、そして書き言葉、文字の物質性、絵画性や空間性に強い興味があるようで、そのあたり、エクリチュール(文字)の気配、というようなもの、エクリチュールに付帯するものを、美術的に、ヴィジュアルアートの観点からの作品化を試みている。詩と絵の2極に引き裂かれながら進んでいる、進んでいくしかないように感じている。この果てに固有の表現が掴めるだろうか。

ただ、今回の初個展は、自身の第一詩集「ドロップス」の出版に際してのもの、ということもあり、通常の詩、つまり言語表現の「詩」を中心とした空間構成をし、観る人が言葉の詩とじっくり向き合えるような展示空間とした。今回の展示空間のコンセプトは、「言葉によって鑑賞者を離陸、浮遊させる」だった。猥雑な新宿の中で、うつくしい幻を視るかのような心地にする、そんな意図があった。(展示した絵画作品にはアートに寄った作品も混じっていたが、言葉への没入感を高める為に、それら絵画作品のコンセプトや説明は明示せずに空間構成をした。)実際それは上手くいったように思う。鑑賞者の眼差しが変化したり、没入する様、また高揚などが見受けられて、中々に盛況に終わったように感じている。

そして、今回の展示が、初めてにも関わらず、高い質で開催出来た背景には、様々なプロフェッショナルの力を借りた、というのがある。この方達の力のおかげで成立した展示だった。

例えば、詩作品については、東京、八丁堀にある、弘陽という活版印刷所に仕事を依頼して、すべてを活版印刷で仕上げた。

※ご存知のない方のために説明をすると、活版印刷とは、凸版印刷の一種で、職人が原稿に基づいて、金属活字を拾って文選をし組版を作り刷るのだけれど、その風合いが、堪らなく良い。かつては活版印刷というのは当たり前の技術だったが、今ではほとんどの印刷はデジタルに移行しており絶滅危惧種ともいえる技術になっている。活版印刷は、職人の手と眼の技量が如実に反映され、PCでのデジタルフォントで制作する印刷物とは違う、やさしくまた力強い文字が紙に刷られる。デジタルフォントのように均一でなく、ムラやノイズが混じっているというか、それが眼の運動に心地良いリズムとして響き、文字の物質としての強度がとても感じられる。かなりお金を使ったが、お願いして良かったな、と感じる品質だった。

活版印刷の文字には魔力がある
デジタルフォントとは違う、強さと風合い。


それから、アナログの印刷技術で言えば、今回シルクスクリーン作品もプロの方にお願いした。東京、三鷹にある久利屋グラフィックというシルクスクリーン工房で、こちらの摺師の方には、神保町にある美学校という藝術学校で以前、お世話になった経緯があり、お仕事の依頼をさせていただいた。著名な美術作家やデザイナーの作品を手掛けている熟練の摺師の方で、今回の僕の作品は、単純な描線の作品なのだが、その技量のおかげでとても強度のある作品に仕上がった。(有り難いことに、このシルク作品がよく売れた。多くの人に摺師の方の「技」の凄さが伝わったのが嬉しかった。それぐらい実物の作品には強度があり、つまりずっと観ていられる強さがある。)

yolk and white (きみとしろみ)(エディション50部)


そして、なにより今回の初個展が、初個展らしからぬクオリティで展示でき、盛況に終わったのは、空間構成を担ってくれた空間デザイナーの方の存在が大きい。彼女はまだ若いのに素晴らしいセンスと技量を持っていて、僕の詩の世界を空間に延長し反映してくれた。僕は空間認知というかそのあたりのセンスが鈍く、自分では絶対にできない空間演出やアイディアを、その方が出してくれて、鑑賞者により深い没入感を与える空間設計をして下さった。うつくしく揺蕩(たゆた)うような空間になっていた。

詩のオブジェ。





その他、会場の新宿眼科画廊には手厚いサポートをいただき、初個展をこの場でやれて良かったなと感じている。搬入にはインストーラーの方を付けてくださったり、展示空間の撮影をしてくれたり、とても有り難かった。

2022年の内に初個展を絶対にやる、というのが新年の目標だったので、ギリギリとなったが、今年やれて良かったと本当に思う。第一詩集も目標にしていた冊数が販売できた。

初個展から、ようやく作家としてデビューしたのだが、これから先々発表の機会が増えていくと思う。もしご興味のある方はぜひよろしくお願いします。

今年は事業を開業したり、初個展を開いたりとよく生きたと思う。来年も着実に走る。

皆さま、ありがとうございました◯


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