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犠牲者意識ナショナリズムのグローバル化(その2)

前回の続きです。



2000年1月ストックホルムで「ホロコースト」についての国際会議が開かれ、ホロコーストの記憶は人類全体の集合的記憶にすべきことが宣言されました。


国際社会は、ジェノサイドや民族浄化、人種主義、反ユダヤ主義、外国人嫌悪によって傷ついた人々と共にそのような悪と戦わなくてはならず、ホロコーストについての教育と記憶、研究を奨励する努力を強化すると約束したのです

「犠牲者記憶のグローバル化」という21世紀の流れを象徴する出来事でホロコーストは今やユダヤ人の災厄から欧州のアイデンティティを超え、人類の普遍的な痛みを思い起こさせるグローバルな記憶へと拡張されたのです。

2000年8月ドイツ連邦議会は第二次大戦中にナチが強制動員した外国人たちへの補償に関する法律を成立させました。
ポーランドやウクライナ、ロシアなど東欧諸国からの強制労働だけでなく、ドイツ国内の強制収容所の収監者や戦争捕虜たちの強制労働も含まれています。
これらの強制労働に対する政治的、道徳的な責任をドイツ政府と企業が分担するというものです。
強制労働者をナチに協力した裏切り者ではなく、戦争の犠牲者だとみるようになった東欧諸国の記憶文化の変化も影響しています。



このニュースは韓国にも影響を与え、それまで見向きもされなかった朝鮮人の徴兵者や徴用工、挺身隊。慰安婦などの記憶を思い出させました。
こうした人々の位置づけを日本帝国への協力者から「強制動員」の被害者へと変える契機になったのです。

犠牲者たちの人権への普遍的な関心が高まったのです。



2000年12月には東京で「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が開かれ、慰安婦制度の下で行われた強姦と性奴隷制を人道に対する罪に当るとしました。

1991年に初めて元慰安婦が実名で名乗り出てから東京で法廷が開かれるまでの10年間にルワンダやユーゴスラビアで女性に対する性暴力が起こりました。
反人道的な性暴力に対する怒りが戦時の強姦を人道に対する罪だとし、そのことが慰安婦問題に影響を与えました。

さらに国際刑事裁判所(ICC)は人身売買や拉致による強制結婚による強姦被害も取り上げました。
人道に対する罪に分類される性暴力の範囲は段々と広がっています。
戦時性暴力と強要された売春の記憶が時代と空間を超えた記憶の連帯を生んでいるのです。


民族と国家、大陸の境界を越える犠牲者たちの連帯は思いのほか長い歴史をもっています。1890年代にはアフリカ系米国人のウィリアム・デュボイスが「ニグロとワルシャワ・ゲットー」という短いエッセーでアメリカの黒人差別と反ユダヤ主義について書いています。

オーストラリア先住民の人権活動家たちは1930年代からナチの抑圧に苦しむユダヤ人に連帯の手を差し伸べていました。
「アンネの日記」は南アの反アパルトヘイトの政治犯に人気でした。
南アの運動家たちは1940年代初めには既に、自国の人種差別主義とナチの反ユダヤ主義を結びつけて運動の動力としていました。

1960年代の米国での公民権運動はベトナム反戦運動と結びつき、ベトナムでの米軍の残虐行為に厳しい目が向けられました。
日本でのベトナム反戦運動の広がりはアジア太平洋戦争中の日本軍の残虐行為を明らかにしました。
ベトナム反戦運動を通じて、ホロコーストと植民地ジェノサイド、米国の奴隷制、アジア太平洋戦争での日本帝国の侵略と残虐行為に関する記憶が地球規模で連帯を始めました。
反植民地主義デモをした独立戦争中の植民地アルジェリアからの移民がパリで虐殺された事件、アメリカ先住民に対する植民地主義的ジェノサイドの記憶もホロコーストと結びつけられました。

アメリカ先住民の殺害の多くは白人自警団によるものでした。
しっかり根付いた民主主義下での虐殺の方が、権威主義的な植民地体制下よりも数が多く程度もひどいということです。
社会学者マイケル・マンの調査結果は、入植者コミュニティの意志決定構造が民主的であるほど虐殺の強度も高まることを示しました。
正常な近代の道を歩んだ西欧ではジェノサイドやホロコーストなど発生しえないという西欧中心主義の長年にわたる主張が嘘であるとわかりました。
西欧民主主義はホロコーストの対極にあるのではなく、ホロコーストの可能性を内包した体制なのです。
植民地主義ジェノサイドの延長線上にホロコーストを並べると英米式の自由民主主義に内包された植民地主義ジェノサイドとアメリカ先住民虐殺が見えてきます。

つづく


参考文献

「犠牲者意識ナショナリズムー国境を越える「記憶」の戦争」 林志弦著


執筆者、ゆこりん

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