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望むのは死刑ですか?映画紹介「オウム“大執行”と私」

今年に入り、京都アニメーション放火殺人事件の青葉被告に死刑判決が言い渡されました。
36人の命が奪われ、平成以降で最も多くの犠牲者を出した事件の被告です。
その後2月に入り、青葉被告は死刑判決は不服として控訴。

死刑、それは当然なのでしょうか?


あらためて死刑制度を考えるきっかけになる映画を紹介します。


映画「望むのは死刑ですか オウム“大執行”と私 告白編」



監督は2015年にドキュメンタリー映画「望むのは死刑ですか 考え悩む“世論”」を制作した長塚洋監督です。


2018年7月、オウム真理教による一連の事件で死刑判決を受けていた教祖麻原彰晃はじめ幹部13人の死刑が執行されました。
7月6日に7人、26日に6人が執行されました。
執行されたことは朝のニュースの速報でテレビなどのメディアで流され、執行の過程を実況中継のように報道した局もありました。
平成に起きた事件は平成の間に終わらせるということで、平成最後の年に執行されたのです。

しかし、今までにない大量処刑だったので国民に与える影響も大きかったです。
平成の「大虐殺」と呼ぶ人もいました。

この死刑執行を受けオウム事件に関わった人たちに死刑について語ってもらった映画です。

⚪︎オウム真理教家族の会の永岡英子さん。

オウム真理教から子どもを取り返そうと長年活動して、夫はオウムに襲撃され障害者になりました。
オウムの被害者だと思っていたのが、家族会の子どもたちの一部がオウム事件の加害者となってしまいました。
実行犯を死刑にしないでと会として要望していましたが、被害者であり加害者であるという複雑な立場で死刑執行を迎えました。
死刑が執行されてもオウムの問題は何も終わっていない、何も解明されていないと感じています。




⚪︎オウムに殺された坂本弁護士の同僚だった岡田弁護士

事件前から死刑反対論者でしたが、坂本弁護士が殺されて、自分の反対論は人権派弁護士としてのファッションだったのではと思うようになります。
裁判を傍聴していると目の前に坂本一家を殺した人間がいると思うと憎しみ、報復の感情がわいてくるが、それはあくまで被害者の感情であり、それを国家が代わって「命を取ります」というのは少し違うのではと感じます。
また被害者感情も千差万別であり、時間の経過とともに変わっていくものだと思うのに、回りが勝手に忖度して被害者は極刑を望んでいるんじゃないかと決めつける前提も取れないと思います。


⚪︎ 麻原彰晃を弁護した小川原弁護士

国選弁護人として麻原被告を弁護しますが、裁判が進むにつれ麻原被告の言動が異常になり十分に意思疎通ができなくなっていきます。
その結果1審終了後、控訴棄却となりそのまま死刑が確定しました。
1審でしか審議されずに死刑が確定というのは手続き的に問題があるのでは。なぜかというと死刑を廃止していないアメリカでも「死刑は特別である」とされ2審が必ず行われるなど手厚い保障があるからです。
ところがオウム事件では再審請求中でも執行されてしまいました。
日本の死刑制度については厚い秘密のベールに包まれていて、死刑の執行について情報公開を請求しても黒塗りでしか返ってきません。
しかし、死刑の執行は人間である刑務官がするのです。
彼らの精神的負担や人権はどのように扱われているのでしょうか。
たとえば死刑に代わる制度として終身刑を導入するのはどうかとか、日本では政治の場で死刑についての議論がほとんど行われていません。



映画では死刑存置派の弁護士と反対派の弁護士の議論もあります。
日本に欠けているのはまず議論することではないでしょうか。

昨年死刑執行は3年ぶりに0人でした。
国際的には死刑廃止国がほとんど(199カ国中144カ国)で死刑執行は国際的な批判を受けます。
昨年も死刑が執行されないまま3人の死刑囚が病気で亡くなりました。
現在の確定死刑囚は106人(袴田さんを除く)。
今後も執行がむずかしくなると事実上の終身刑となってしまうかもしれません。



2011年7月、ノルウェーの首都オスロで77人を殺害した連続テロ事件が起きました。
それでもノルウェーのブレンデ外相は、2016年の第6回死刑廃止世界会議で、
「死刑制度は、人間の尊厳を傷つけるものです。どのような重犯罪であっても、死刑は適切な対応策ではありません。
国家は、罰や復讐として、人命を奪うべきではないのです。」
と発言しています。



国家が国民の命を奪う死刑制度を考え直してみませんか?



執筆者、ゆこりん

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