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北条家のパーパス|関東独立の野望の成功と失敗

北条家のパーパス|関東独立の野望の成功と失敗

北条家の「合議制と法令による関東独立」パーパスの成功と失敗戦国時代の北条家は、近隣の武田家や上杉家に比べると非常に地味な印象です。

それは、早雲以降の北条家の当主氏康や氏政などに信玄や謙信のような派手さがなかったからかもしれません。

しかし、北条家では、戦国時代につきものの家督争いなどのお家騒動や家臣の謀反などがほぼありません。

北条家の念願または野望とも言うべきパーパスの元で、不満を蓄積さ

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【戦国SWOT×カイヤ酒店】太閤も認めた銘酒の「平野酒」フルーティーで甘やかな優しい香り

【戦国SWOT×カイヤ酒店】太閤も認めた銘酒の「平野酒」フルーティーで甘やかな優しい香り

秀吉の醍醐の花見に選ばれた摂津国の銘酒【平野酒】が復刻関西のお酒どころというと、神戸の灘と京都の伏見が有名で、大阪は全く酒蔵や蔵元のイメージがありません。

しかし、戦国時代のころには、大阪の平野郷で作られた「平野酒」が銘酒として知られていました。

豊臣秀吉が晩年に催した醍醐の花見にも他の銘酒と一緒に「平野酒」が並べられたと「大かうさまくんきのうち」に太田牛一が書いています。

時の最高権力者の

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信長のパーパス|天下泰平 260年の安寧を生んだ家康のパーパス

信長のパーパス|天下泰平 260年の安寧を生んだ家康のパーパス

平和な時代を生んだ家康の「合議制と法令による天下泰平」徳川家康が始めた江戸幕府は、260年もの平和な時代を生み出します。

局所的な大坂の陣や島原の乱を除くと、ほとんど大きな戦乱はありませんでした。

天下泰平と呼ばれた平和な期間は、家康のパーパスを全国の大名が長い間支持し続けた事で守られていました。

そのパーパスは「合議制と法令による天下静謐」です。家康も、政権運営をする上で天下静謐を最大目標

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【戦国SWOT】豊臣秀頼-放任型リーダーシップが大阪の陣での豊臣家滅亡を招く

【戦国SWOT】豊臣秀頼-放任型リーダーシップが大阪の陣での豊臣家滅亡を招く

豊臣秀頼の放任型リーダーシップが招いた大阪の陣過酷な戦国時代において、一番重要な能力はリーダーシップであると言えます。

戦国大名たちは、大なり小なりリーダーシップを発揮し、一門衆や家臣たち数多くの仲間を率いて、死線をくぐり抜けていく事を求められています。

豊臣秀吉亡き後に、徳川家康が豊臣恩顧の武断派大名たちから強く支持を受けたのは、そのリーダーシップを期待されたからだと思います。

徳川家康の

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戦国SWOT番外編:【上杉斉憲】謙信ブランドを改革できずに戊辰戦争で敗戦

戦国SWOT番外編:【上杉斉憲】謙信ブランドを改革できずに戊辰戦争で敗戦

ブランド改革できずに戊辰戦争で敗軍となった上杉米沢藩米沢藩の藩祖である上杉謙信は、戦を得意とする武のイメージと、関東管領として関東諸侯を救援する義のイメージがあります。

遺領を継承した上杉景勝は、軍神と恐れらて義将と頼られた謙信のイメージをブランド化して、上杉家の組織力の強化の求心材料としていたこともあり、関ヶ原の戦いでは恩義ある豊臣家や石田三成に組します。

徳川家康を激怒させたと言われる「直

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【戦国でSWOT】来島通総-大名になった村上海賊の男

【戦国でSWOT】来島通総-大名になった村上海賊の男

戦国時代になると、島嶼部に住む人々は、自らの航海術や操船技術などを活用して、周辺海域での略奪行為や通商などで生計を立てるよになりました。

また、近隣の戦国大名の依頼で、物資や兵員の海上輸送で間接的に協力したり、水上の兵力として軍事力を提供する事で直接的に関わる事も増えました。

戦国の頃には、纏まりを持って活動をする島嶼部の人々は、海賊や水軍と呼ばれるようになりました。

その中でも有名なのが、

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【戦国でSWOT】長宗我部元親-無理な事業継承による組織力の低下が御家取り潰しを招く

【戦国でSWOT】長宗我部元親-無理な事業継承による組織力の低下が御家取り潰しを招く

事業継承時の人材の損失による組織力の低下
長宗我部家は、現在の高知県を長曾我部元親の代で統一をすると、織田信長と誼を通じるなど、中央の勢力状況を見ながら、四国をほぼ勢力下に収めるまでに急成長しました。

一代で四国をほぼ制覇した長宗我部元親は、毛利元就や伊達政宗、島津義久・義弘たちに匹敵する英雄である事は間違いありません。

土佐という辺鄙で農業生産力の高くない地域から、下記の要素を重要視していた

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【戦国でSWOT】石田三成-島津家を事業再生をさせた戦国の中小企業診断士・コンサルタント

【戦国でSWOT】石田三成-島津家を事業再生をさせた戦国の中小企業診断士・コンサルタント

優秀な実務家で外様大名からの信頼も厚かった石田三成
石田三成というと一昔前までは、豊臣政権を裏で牛耳った悪役というイメージでしたが、最近では超がつくほど有能な実務官僚だったとキャラクター像も変わってきています。

また、ほとんどの大名から嫌われており、その人望の無さが原因で、関ヶ原の戦いで負けたというような評価をされていた事もあったようですが、実際はそのような簡単なものではなかったようです。

西

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【戦国でSWOT】立花宗茂-人間性というブランド力が失った領地を取り戻した

【戦国でSWOT】立花宗茂-人間性というブランド力が失った領地を取り戻した

立花宗茂は、関ヶ原の敗戦で失った旧領を取り戻せた唯一の戦国大名
1600年に起きた関ヶ原の戦いで負けた西軍諸侯で、改易となり領地を没収された大名が、もう一度大名として復活できたのは、非常にまれです。

その中でも、10万石以上を得たのは、丹羽長重と立花宗茂の2名のみです。

しかも、かつての旧領(筑後柳河)へ復帰できたのは、この立花宗茂ただ一人。

立花宗茂が大名として復帰できた最大の理由は、その

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【戦国でSWOT】明智光秀(後編)-SWOT分析から本能寺の変の動機を探る

【戦国でSWOT】明智光秀(後編)-SWOT分析から本能寺の変の動機を探る

明智光秀と本能寺の変をSWOT分析する前編の「明智家が置かれていた環境を3C分析で垣間見る」から、本能寺直前の明智光秀の置かれている環境を下記のように分析しました。

①戦乱も終わり、織田家による新しい体制が始まる雰囲気
②信長からの厚い信頼による畿内方面軍の地位と兵力
③競合でもある羽柴秀吉や柴田勝家などの各方面軍の活躍

各方面軍の活躍によって、織田家の支配領域は拡大して、本能寺直前の段階では

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【戦国でSWOT】明智光秀(前編)-明智家が置かれていた環境を3C分析で垣間見る

【戦国でSWOT】明智光秀(前編)-明智家が置かれていた環境を3C分析で垣間見る

3C分析で本能寺の変直前の明智家が置かれていた環境を洗い出すNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が始まった事で、注目が高まっている明智光秀ですが、生年や出身地も明確ではないぐらい、謎の多い人物です。

諸国を転々とした後、織田家に仕官することになり、丹波攻略や朝廷との交渉など数々の活躍をしたことで、畿内方面軍を統括するほどの地位を得ます。

そして、織田家の重臣である柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益たちと

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【戦国でSWOT】関ケ原で負けても61万石の価値があると思わせた島津家のマーケティング手法とは?

【戦国でSWOT】関ケ原で負けても61万石の価値があると思わせた島津家のマーケティング手法とは?

敗れた西軍の中で、本領安堵を獲得した島津家の巧みさ西郷隆盛や大久保利通など明治維新で多くの人材を輩出した島津家は、戦国時代には、島津義久という名将の元で、九州全土を、あと一歩で制覇するところまで行きました。

しかし、豊臣秀吉が西日本の大名を総動員した九州征伐により、薩摩と大隅、日向の一部に押し戻される事になりました。

豊臣政権のM&A戦略というか、全国統一を優先した大名の温存戦略の影響もあり、

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【戦国でSWOT】織田信長のマズロー的報酬システムを含んだ人事制度

【戦国でSWOT】織田信長のマズロー的報酬システムを含んだ人事制度

織田信長による自己実現欲求を満たす人事制度戦国時代に、革新的な事績を残した戦国大名と言えば、織田信長を思い浮かべる方が多いと思います。

ただ、昨今の研究では、かの有名な楽市楽座を初めに導入したのは南近江の六角氏だとか、長篠の戦いで鉄砲隊の三段構えなどはしていないだとかが唱えられるようになってきてはいますが、織田信長が行っていた人事制度については、なかなか特徴的だと思います。

戦国大名も現代の企

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【戦国でSWOT】マーケティング力で大名になった柳生宗矩

【戦国でSWOT】マーケティング力で大名になった柳生宗矩

剣術に禅の精神性・思想性を加えて差別化した柳生宗矩柳生十兵衛が有名な柳生家は、現在の奈良市の柳生町周辺にあった柳生庄の土豪として、戦国時代には松永久秀の配下として、大和国内の戦などで活躍していました。

しかし、松永久秀の滅亡を経て、不運にも豊臣政権時代に領地を召し上げられ、父の柳生石舟斎は浪人にまで没落したと言われています。

それから15年の間、石舟斎は再仕官する事もないまま、ただひたすら剣術

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