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#ビジネス
【戦国でSWOT】長宗我部元親-無理な事業継承による組織力の低下が御家取り潰しを招く
事業継承時の人材の損失による組織力の低下
長宗我部家は、現在の高知県を長曾我部元親の代で統一をすると、織田信長と誼を通じるなど、中央の勢力状況を見ながら、四国をほぼ勢力下に収めるまでに急成長しました。
一代で四国をほぼ制覇した長宗我部元親は、毛利元就や伊達政宗、島津義久・義弘たちに匹敵する英雄である事は間違いありません。
土佐という辺鄙で農業生産力の高くない地域から、下記の要素を重要視していた
【戦国でSWOT】石田三成-島津家を事業再生をさせた戦国の中小企業診断士・コンサルタント
優秀な実務家で外様大名からの信頼も厚かった石田三成
石田三成というと一昔前までは、豊臣政権を裏で牛耳った悪役というイメージでしたが、最近では超がつくほど有能な実務官僚だったとキャラクター像も変わってきています。
また、ほとんどの大名から嫌われており、その人望の無さが原因で、関ヶ原の戦いで負けたというような評価をされていた事もあったようですが、実際はそのような簡単なものではなかったようです。
西
【戦国でSWOT】立花宗茂-人間性というブランド力が失った領地を取り戻した
立花宗茂は、関ヶ原の敗戦で失った旧領を取り戻せた唯一の戦国大名
1600年に起きた関ヶ原の戦いで負けた西軍諸侯で、改易となり領地を没収された大名が、もう一度大名として復活できたのは、非常にまれです。
その中でも、10万石以上を得たのは、丹羽長重と立花宗茂の2名のみです。
しかも、かつての旧領(筑後柳河)へ復帰できたのは、この立花宗茂ただ一人。
立花宗茂が大名として復帰できた最大の理由は、その
【戦国でSWOT】明智光秀(後編)-SWOT分析から本能寺の変の動機を探る
明智光秀と本能寺の変をSWOT分析する前編の「明智家が置かれていた環境を3C分析で垣間見る」から、本能寺直前の明智光秀の置かれている環境を下記のように分析しました。
①戦乱も終わり、織田家による新しい体制が始まる雰囲気
②信長からの厚い信頼による畿内方面軍の地位と兵力
③競合でもある羽柴秀吉や柴田勝家などの各方面軍の活躍
各方面軍の活躍によって、織田家の支配領域は拡大して、本能寺直前の段階では
【戦国でSWOT】明智光秀(前編)-明智家が置かれていた環境を3C分析で垣間見る
3C分析で本能寺の変直前の明智家が置かれていた環境を洗い出すNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が始まった事で、注目が高まっている明智光秀ですが、生年や出身地も明確ではないぐらい、謎の多い人物です。
諸国を転々とした後、織田家に仕官することになり、丹波攻略や朝廷との交渉など数々の活躍をしたことで、畿内方面軍を統括するほどの地位を得ます。
そして、織田家の重臣である柴田勝家、羽柴秀吉、滝川一益たちと
【戦国でSWOT】関ケ原で負けても61万石の価値があると思わせた島津家のマーケティング手法とは?
敗れた西軍の中で、本領安堵を獲得した島津家の巧みさ西郷隆盛や大久保利通など明治維新で多くの人材を輩出した島津家は、戦国時代には、島津義久という名将の元で、九州全土を、あと一歩で制覇するところまで行きました。
しかし、豊臣秀吉が西日本の大名を総動員した九州征伐により、薩摩と大隅、日向の一部に押し戻される事になりました。
豊臣政権のM&A戦略というか、全国統一を優先した大名の温存戦略の影響もあり、