浅葱ムスカリ

Twitterで短歌している浅葱ムスカリと同一人物です。22歳、大学4年。

浅葱ムスカリ

Twitterで短歌している浅葱ムスカリと同一人物です。22歳、大学4年。

最近の記事

帰省のたび、僕は地面の感触を思い出す。

大学のある街にいる自分と、地元にいる自分では、まるで別人格じゃないかととみに思う。 社会を見据え、己が社会に対して果たすべき責任を自覚し、たゆまぬ努力と成長こそ善とされる価値観。 自然や芸術を愛し、心安らぐ人のそばで己の感性を繊細に守りながら静かに生きる姿勢。 地理的な場所を移動するたび、この2つの間も行き来する。 守りたいものを守るために必要な物は2つ。力と意思だ。 力を身につける過程で、守りたいと思っているものに価値を見いだせなくなったら、僕が僕でいる意味がなく

    • 「どこかに行きたい」は、「ここにはいづらい」

      中2の秋、ふと釧路に行きたいと思った。私が生まれ、ほぼ9年間過ごした霧の港町。石川啄木に「さいはての駅」「さびしき町」と評され、秋刀魚をやたら推していて、雪は少ないけどやたら寒くて、かつて炭鉱で栄えた街。 小3の春に出て行って以来、まだ2度しか訪れていなかった。故郷がどうなっているのか見たかった。保育園やら小学校やら、住んでいた頃の狭い行動圏を見るだけでも十分懐かしがれる程度には記憶が残っていた。 当然と言うべきか、止められた。当時住んでいたところから釧路までは最速の交通

      • 髪を伸ばしている(それはもう適当に)

        大学入学以来2年3か月余、一度も美容室へ行っていない。 前髪だけは自分で適当に整えていたけれど、コロナ騒ぎが始まってからはそこにすら鋏を入れていない。目が髪に隠れると日常生活に集中できないので、適当にざくっとピンで留めている。自己申告だからあてにならないけど、たぶん私の髪質を全力で美化したら系統としてはお借りした見出し画像と似た感じになると思う。基本ストレートで毛先だけくるんとしてる感じで、もうちょっと濃い色。顔および体格は私をどう美化してもこんなに可愛くはならないけど。ア

        • 数学が大事なのはわかってる

          研究室の配属先決定の時期が近づいている。 行き先はおおよそ考えている。興味のある分野だし、将来やりたいこととも結びつく。何の問題もないはずだが、ひとつだけ迷いがある。 志望動機で強いのが、「ここに進みたい」と同じくらい、「(能力的な問題で)他には行けない」なのだ。 一応理系学部生の端くれなのに、数学が絶望的にできない。大学受験前4か月で数学の点数をほぼ3倍にしたといえばすごい人のように見えるが、3倍にしても得点率が3割に達していなかったといえば(2次試験の話だが、特別難

        帰省のたび、僕は地面の感触を思い出す。

          楽しむことに罪悪感があるらしい。

          前回の続きである。おしゃれに限らず楽しむこと全般に罪悪感があることに気づき、その理由を少し考えてみた。 結論から言うと、時間とお金という限られたリソースを消費することが怖いのだ。勉強したり何かのセミナーに参加したり、というのはわかりやすく将来への投資だが、遊んだり好きなものを買ったりすることで手元に残るものはそれよりだいぶ曖昧だ。曖昧すぎて「こんなことをしている間にしなければならないことが他にあるのではないか?」「こんなことにお金を使えるほど自分には余裕があるのか?」とつい

          楽しむことに罪悪感があるらしい。

          おしゃれに罪悪感がある。

          一時期に比べればだいぶ和らいだものの、まだ純粋におしゃれを楽しむのは難しい。 化粧はスーツを着るときだけの必要最低限しか出来ず、コーディネートはどこかちぐはぐ。そもそも7年前からほとんど体格が変わっていないので服を買い換えるタイミングがわからず、気に入らないし古びているけど壊れてないから捨てられない服を未だに着ていたりする。明らかに1,2シーズンで着倒すことを前提としているであろうユニクロのカットソーが10年目に突入した時はさすがに捨てた方が良いだろうかなどと少し考えたが、

          おしゃれに罪悪感がある。

          あまりにもひとつの視点からばかり世界を見てはいなかっただろうか。

          死なないために生きているのだと思っていた。 自分が何のために生きているのかはずっと分からなかったし、生きる理由がなければ生きようとしてはいけないなんて考え方は嫌いだから無理に探そうともしなかった。 この1年、したいことを制限されてばかりだった。 誰かとご飯を食べること、会いたい人に会いに行くこと、行きたい場所へ行くこと、写真でも動画でもなく生身の質量を持ったものに触れること。ずっとずっと当たり前だったものが次々に遠ざかって、願うことさえ許されないことのようになってしまっ

          あまりにもひとつの視点からばかり世界を見てはいなかっただろうか。

          無粋者でごめんなさい。

          普段なら絶対入らないようなちょっと真面目なカフェに入って、信じられないくらいおいしいガトーショコラを食べた。20年以上日本で(うち2年は関西の都市部で)生きてきて未だにスターバックスやドトールに入ったことがないという程度には喫茶店やカフェに縁が薄いというのに。 何というか、申し訳なさすぎて、帰ってからテーブルマナーの解説動画を思わず見てしまったくらいには無粋者でごめんなさいって思った。 ブラウニーっぽくて、でもフォークで切れるぎりぎりの固さでずっしりしてて、食べたらすごく

          無粋者でごめんなさい。

          言えないこと、言わないこと

          今後の進路について考えていたら、言う相手、場所、時期、状況、すべてをよく吟味しなければとても人に言えないような結論が出てきてしまった。 もともと何か考えが出てきたときは、いつか必ず言わなければいけないことか、時と場合に応じて言ってもいいことか、絶対に言ってはいけないことか、というのを相手に応じて区別しようとしている。している、というのは、実のところできていないからだ。どの箱に放り込もうかと考え込んで、たいてい言えずに終わってしまう。 絶対に言ってはいけないことだと決めたら

          言えないこと、言わないこと

          冬の夜の帰り道

          とうに日の落ちた雪道をざくざくと歩く。呼吸するだけで鼻先が凍り付き、3分で指先から感覚がなくなっていくような冷気の中、踏み出すごとに滑りながら雪に埋まる足を交互に動かす。雪のない平地と大きくは変わらないスピードで歩くことができることに半ば呆れながら、自分はまぎれもなく道産子なのだと実感する。 火曜日の放課後に学校から徒歩5分のピアノ教室にまっすぐ寄り、レッスン終了後に歩いて家に帰るようになったのは小3,4くらいのときだったと思う。重いランドセルやその他諸々の荷物を持って、ピ

          冬の夜の帰り道

          セロリ入りのチャーハン、コンソメの入っていないオニオンスープ

          どんな魔物ができたとしても必ず完食する。それだけは決めていた。 「お手伝い」ではなく、はじめて必要に迫られて自炊したのは小5から小6になる春休みであったと記憶している。どんな風に用意したのかはすでに曖昧だが、おそらく冷蔵庫からいくつかの作り置かれた惣菜を出し、それでは足りないので適当に野菜を切って炒めてケチャップで和えてスパゲッティにかけたり、うどんをゆでたり、オムライスをつくったりしていたはずだ。時間や食事に几帳面な弟に対して、私は何か面白いものがあると時間も空腹も忘れて

          セロリ入りのチャーハン、コンソメの入っていないオニオンスープ

          酒は喉には良くないけれど

          年度末をこんなにも寂しいと思ったことなどなかった。 合唱部員たちはもんじゃ焼きの店で定期演奏会の打ち上げをしていた。私は内気な1年生で、コミュニケーションに苦労することも多く、特別いい声をしていたわけでも技術があったわけでもなく、ただ邪魔にならない範囲で声を出しながら、先輩方に守られていた。 あとひと月もしないうちに3年生の先輩方はそれぞれの大学がある街へ旅立つし、(勧誘が上手くいけば)後輩が入ってくる。 もんじゃをつつきながら演奏会の準備やこれまでの思い出、そして3年

          酒は喉には良くないけれど

          ネガティブでもいいじゃない

          お盆シーズンに入る少し前から帰省している。下宿に戻るにしてもお盆の移動ラッシュが一通り終わってからにしようと思っているので、しばらく実家で攻撃的なまでに茂った緑の木々に囲まれながら静かに呼吸している。 実家にはアップライトピアノがある。もともとは祖父の所持品で、オイルショック以前の品であるため調律師さんがいつもほめてくれるらしい。私は高3の4月までピアノを習っていて、大学受験のため教室に通うのをやめたあとでも気分転換によく弾いていた。初見奏は苦手だし手は小さいし長く弾かなか

          ネガティブでもいいじゃない

          大学まで来て、なんでたった一人で勉強してるんだろう

          それぞれの講義の担当教員に会うこともないまま、大学の期末試験/レポートシーズンが終わっていく。 人より要領が抜群に良いところもどうしようもなく悪いところもあるせいで、私の大学の成績はその講義で求められる要領の種類と期末前/期末中の1か月の体調で8割決まる。後者については梅雨と低気圧のせいで30日中15日は本調子が出せず、5日はほとんど何の進捗も生めないほどの倦怠感に襲われると書いておけば十分だろう。本記事で問題にしたいのは前者の方だ。 自分で言うのも何だが、未知のものに対

          大学まで来て、なんでたった一人で勉強してるんだろう

          人間は生き物だから

          「人間は生き物である」これは私が進路選択の決め手にもしたほど重視している事実ですが、最近起こっている諸問題のせいで、この事実がより一層浮き彫りになったなと感じています。 人間は水や栄養を摂取しなければ死にます。運動しなければ太るし、眠らない日が続けばどこかで倒れます。紀元前から多くの人が夢見てきた不老不死は未だに実現の見込みがありません。 「世の中大抵のものはお金で買える」と主張する人もいますが、それは仕事としてものをつくってくれる人、サービスを提供してくれる人がいるから

          人間は生き物だから

          あなたとは友達になれないだろうけど、あなたには死んでほしくない

          SNSとかnoteとか見てると、ときどきこう思うことがあります。 多分この人と実際に会って話したら疲れちゃうんだろうな、とか。 下手な付き合い方をすると振り回されるだけ振り回されて消耗して終わるな、とか。 この人には私の考えを受け入れてもらうのは難しいだろうな、とか。 人からどう見られるかに過敏になってしまって、実生活では会った人に振り回され、人間関係で消耗することが多く、人間と関わったが故の怖い記憶を忘れることもできず、大好きな人の隣で、居心地の良いコミュニティで、

          あなたとは友達になれないだろうけど、あなたには死んでほしくない