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ネガティブでもいいじゃない

お盆シーズンに入る少し前から帰省している。下宿に戻るにしてもお盆の移動ラッシュが一通り終わってからにしようと思っているので、しばらく実家で攻撃的なまでに茂った緑の木々に囲まれながら静かに呼吸している。

実家にはアップライトピアノがある。もともとは祖父の所持品で、オイルショック以前の品であるため調律師さんがいつもほめてくれるらしい。私は高3の4月までピアノを習っていて、大学受験のため教室に通うのをやめたあとでも気分転換によく弾いていた。初見奏は苦手だし手は小さいし長く弾かなかった曲は忘れるしで弾ける曲はそれほど多くはないが、鍵盤を押したときの跳ね返りの感触と柔らかく芯のある響きが好きで、同じ曲を飽きもせずよく弾いていた。大学に進学して下宿生活を始めてからはピアノに触れることができず、去年の8月以来帰省できていなかったため、1年間ほぼピアノに触れていなかった。

1年ぶりに故郷に足を踏み入れたとき、私は精神的に疲労困憊していた。生真面目に自粛要請を守っていたのと、寂しがり屋のくせに人付き合いがそれほど得意ではない性格が相まって、4か月以上知人に直接会うことも誰かと食卓を囲むこともほとんどなく、雑談すら数週間に1回の画面越しにしか叶わない生活を続けるうちに、自分の中の感情や好奇心が削れていくのを感じていた。自分の人生には何の価値もないと思った。画面越しの誰かが面白い冗談を飛ばしても、以前ほど面白くなかった。ただ目の前の課題をこなしていた。4月頃に始めた短歌やnoteで感情のすり減る速度を抑えていた。

7月のある日、家族と通話をつないだ。私は努めて元気に振る舞い、他愛ない冗談に笑い、テストの愚痴を少しだけこぼし、元気だから心配しないように言った。通話が切れた直後、LINEの通知が入った。

「ちょっと元気なかったから、すぐ帰省したら?」

5月頃の精神状態なら、「元気だから大丈夫。下手に動いて感染拡大する方が心配だから、このまま下宿にいるよ」と返しただろう。でも、もうそんな元気はなかった。このまま下宿にいれば、感染する前に心が死んでしまうと思った。そうして、一通りテストやレポートが落ち着いてすぐ、私は下宿を発った。

帰ってきた次の日、1年ぶりにあのピアノを触った。指は全然思うように動かなくて少しイラッとしてしまったけれど、深く弾けば大きく、ぶっきらぼうに叩けば硬く、優しく撫でれば柔らかく、触ったとおりの音が出るのは相変わらずだった。

この1年、自分と外界との関わりで悩むことが多かった。深く悩みこんでしまう大きな原因は自分の内向的な性格にあったので、積極的な性格の人がうらやましく、いかにネガティブな思考を封じ込めるかに腐心していた。

弾き続けているうち、ふいに思い出した。この曲を練習しているとき、ピアノの先生に「悲劇を作れ」と言われたこと。悲痛さ、荒々しさを出すために特定の記憶を引き出し、物語を連想しながら練習したこと。それができたのは、自分の内向的で悲観的な性格ゆえであること。

ピアノは私の性格を肯定も否定もしない。弾きながら考えるべきなのは「この音はこの曲にふさわしいかどうか」であって、「この音に込めた感情は社会的に受け入れられやすいかどうか」ではない。さらに言えば、私の深く悩みこんでしまう性質はピアノの上達においてはむしろプラスにはたらいた。

ピアノがあったから、私は自分の性質をありのまま受け入れることができた。現実社会で生きづらさを感じても、それは私の性質を変えなければならない理由にはならなかった。それさえ生かす道があった。性質や過去の経験が違う人ならきっと、同じ曲を違う雰囲気に作り上げる。技倆に大きな差がなければ、人によってどちらが好きかは異なってくるだろう。

自分の性格は封じ込めるべきものでもなんでもない。生かせる場所がどこかにある。それに気づいただけでも、だいぶ楽になるものだ。

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