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セロリ入りのチャーハン、コンソメの入っていないオニオンスープ

どんな魔物ができたとしても必ず完食する。それだけは決めていた。

「お手伝い」ではなく、はじめて必要に迫られて自炊したのは小5から小6になる春休みであったと記憶している。どんな風に用意したのかはすでに曖昧だが、おそらく冷蔵庫からいくつかの作り置かれた惣菜を出し、それでは足りないので適当に野菜を切って炒めてケチャップで和えてスパゲッティにかけたり、うどんをゆでたり、オムライスをつくったりしていたはずだ。時間や食事に几帳面な弟に対して、私は何か面白いものがあると時間も空腹も忘れて(というか、本当は気づいているのだが無視して)熱中してしまうので、よく弟に怒られていた。

私が中学生になるとそれは一層エスカレートした。夏休みの部活動はなかった。その年の夏も弟と2人で交代で昼食をつくっては食べる日々が続いた。当時すでに炒める、ゆでる、焼くといった基礎的な調理はできたし、レシピさえ見ていれば味付けを間違うこともなかった。料理に失敗するときはいつも、求められる巧緻性や経験のレベルが高すぎるときか、知らない調理用語が出てきたのに何となくで突っ走るときか、レシピを無視して余計な冒険をしてしまうときだ。そして中学生のときは3番目の原因をよく暴走させていた。

セロリ入りのチャーハンを作ったことも、コンソメキューブを省いてオニオンスープを作ろうとしたこともある。チャーハンはセロリの葉の苦みと繊維が舌や歯にまとわりついて悪い意味で野生の味がしたし、オニオンスープに至ってはもはやスープと呼べるような代物ですらなく、単に玉葱の浮いた熱いH₂Oであった。出汁の重要性を知った。

さらに悪質なことに、私は自分の成功も失敗も弟と分かち合った。彼自身には基礎的な調理技術も味付けの勘も備わっており、何より自分の身の程をわきまえない冒険などしないので料理を失敗することはほとんどない。地道に努力してそれでも失敗するならともかく、ちゃんとやればそれなりにできるくせに考えなしにセーフティラインを踏み越えた結果でしかない成果物など分かち合いたくはなかっただろう。玉葱の湯をつくったときはさすがに「ふざけんな、自分で食え」と怒られ、あまりのまずさにぐったりとソファに横たわる弟を尻目に半泣きで完食した。

私はおそらく味音痴ではない。失敗したらはっきりわかるし、関西で売られているトウモロコシと北海道で手に入るトウモロコシの鮮度の差がまるで異なる味を与えていることもわかる。しかし当時はどこにセーフティラインがあるのかがわからなかった。レシピ通りに作ればそれなりにうまいものができる、それはわかる。2人前の料理に醤油を一瓶使えば料理と名乗ることすらできない物体が仕上がる、それもわかる。では両者の境目はどこにあるのだろうか。境界線がどこにあるのか知りたくて、迷った末に結局踏み越えてしまうような間違った冒険心を制御できなかった。もっと言えば制御する気もなかった。

20歳になった今、私は自分で食べるためだけに辛うじて「自炊」と呼べるような適当な品を生成し続けている。大きく失敗することはもうほとんどないし、成功したときはそれなりにおいしい。しかし成功も失敗も誰とも分かち合えないのが時折寂しくて、そもそも一人で食べているこれを他の人もおいしいと思うのかどうかが分からなくて、料理の腕はなかなか上がらない。


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