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大学まで来て、なんでたった一人で勉強してるんだろう

それぞれの講義の担当教員に会うこともないまま、大学の期末試験/レポートシーズンが終わっていく。

人より要領が抜群に良いところもどうしようもなく悪いところもあるせいで、私の大学の成績はその講義で求められる要領の種類と期末前/期末中の1か月の体調で8割決まる。後者については梅雨と低気圧のせいで30日中15日は本調子が出せず、5日はほとんど何の進捗も生めないほどの倦怠感に襲われると書いておけば十分だろう。本記事で問題にしたいのは前者の方だ。

自分で言うのも何だが、未知のものに対する初見での理解力、広く浅い知識と興味、専門外のことにも臆しないクソ度胸は平均以上に持ち合わせていると思っている(違ったら恥ずかしいけど)。そのクソ度胸のせいで自分の実力を遙かに超えるレベルの講義を毎期1つか2つ取って期末シーズンに泣くのはもはやお約束と化している。勘違いするなよ、と声が聞こえる。お前がその大学に合格したのははっきり言って奇跡だからな。

一方でレジュメ・過去問の入手や教え合い・議論ができる人脈づくりやコミュニケーション能力、本来クリエイティブな作業(答案作成やレポート執筆など)をオペレーティブにこなす能力は下から数えた方がおそらく早い。(昔よりだいぶましになったけど、それでも)人に頼ることにも頼られることにも慣れていないし、自分の考えを明確に規格字数にまとめることも上手くない。

4月から今まで、大学生としても個人としてもいろいろ辛いことはあったけれど、学業で最も辛かったのはずっと一人で勉強せざるを得ないことだった。どこがわからないのかすらわからず、質問も組み立てられない。同じ講義を取っている人がどれくらいわかっているのかもわからない。何より、本来話し合いや議論を主としている演習が単なる資料の読み合わせに成り下がり、授業を受けることによる知的刺激が以前の半分以下になっている。

私は何をしてるんだろう。何のために高い学費を出してもらって、大学生という身分で勉強ばかりしてるんだろう。このまま(大学生は気楽で無責任だという世間の声を浴びながら)勉強を続けていても、感染防止と誹謗中傷からの自衛のためにひとりで引きこもっていても、誰のためにもなっていないんじゃないかとどんどん考えが悪い方へ、辛い方へ転がっていく。

いろんなバックグラウンドを持つ学生同士で出会って議論して、教員に質問してフィードバックを受けて、TAさんとかの力も借りて、図書館で何冊もの文献に当たって。

大学でできる学びって、そういうものだったんじゃなかっただろうか。

これじゃあ大学に進学しなくてもできるんじゃないか。いや、現実問題、講義や課題という強制力が全くない状態で大学生並の学びを自力で得られる時間的余裕と学習能力と精神力というのはかなり難しい条件だけど。

今こそ大学の存在意義が問われているんじゃないだろうか。学位販売所ではなく、就職予備校でもなく、大学でできる学びがどんなものなのか、今こそはっきりするんじゃないだろうか。

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