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人間は生き物だから

「人間は生き物である」これは私が進路選択の決め手にもしたほど重視している事実ですが、最近起こっている諸問題のせいで、この事実がより一層浮き彫りになったなと感じています。

人間は水や栄養を摂取しなければ死にます。運動しなければ太るし、眠らない日が続けばどこかで倒れます。紀元前から多くの人が夢見てきた不老不死は未だに実現の見込みがありません。

「世の中大抵のものはお金で買える」と主張する人もいますが、それは仕事としてものをつくってくれる人、サービスを提供してくれる人がいるからだというのを痛感します。そういった仕事をする人がいなくなれば、仕事によって生み出されていたものはどれだけお金を積んでも買えないものになります。無人島で金塊を見つけても島を出ない限り漬物石くらいにしかならないんですよね。

現代は科学技術が発展してSFみたいに便利な世の中です。地球の裏側に住む人ともリアルタイムで顔を見て話せるし、大阪の空港から北海道の空港まで2時間で移動することが出来るし、映像技術を使えば現実に存在しない光景をあたかも実在するものであるかのように作り出すことができる。

それでも人間はどこまでも生き物なんです。生身の身体では1日かかってもせいぜい数十キロしか歩けないし、ずっと座ってディスプレイに張り付いていれば疲れるし、炎天下で歩き回れば汗もかく。どれだけ技術が進歩しても、それは変わらないと思います。1万年以上前から、人類は「風邪」という病気すら克服できていません。

電脳空間で勉強したり活動したりしていると、時々そのことを忘れそうになります。例えばとあるギャグアニメの登場人物が「画面の手前から地平線まで、叫びながら6秒で走り抜ける」みたいな、現実的にあり得ない動き方を日常的にしているとします。そういうものを見続けているとき、理性ではあり得ないとわかっていても、心のどこかでそれをやってのける自分自身を想像してしまうのです。実際に遅刻しそうなときにはじめて、1分かけても次の信号までしか走れないうえ、叫ぶどころか呼吸すらろくにできなくなっている自分を発見するのです。

某新型ウイルスの影響による経済活動や教育活動などの遅れを早く取り戻すためにいろいろな施策が提案されています。それらについて偉そうに批評することはできません。ただひとつ言えることがあるとすれば、ウイルスの影響を受けるのは人間が生き物だからということ。ウイルスや過労や食糧危機なんかは、人間が生き物であるからこそ生じている問題だということ。

だからって、生き物であることをやめられるんでしょうか。仮にやめられるとしたら、やめるべきなんでしょうか。人間が生き物でなくなれば、食べることも眠ることもトイレに行くことも身体的な疲労も自然の病気にかかることもなくなるでしょう。もしかしたら死すらなくなるかもしれません。人間が生き物でなくなれば、現在あるいろいろな問題が一気に片付くことは間違いありません。

でも、それって正しいんでしょうか。

個人的には、人間が生き物だということを苦々しくばかり思ってしまう世界は、どうも居心地が悪いなと思ってしまうのです。

まあ人間が生き物をやめる方法が見つかっているわけでもないので、さしあたっては、他よりも少し頭の回るだけの生き物が、肉体を脱ぎ捨てることなくついて行けるようなやり方が見つかればいいなと思っています。

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