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「どこかに行きたい」は、「ここにはいづらい」

中2の秋、ふと釧路に行きたいと思った。私が生まれ、ほぼ9年間過ごした霧の港町。石川啄木に「さいはての駅」「さびしき町」と評され、秋刀魚をやたら推していて、雪は少ないけどやたら寒くて、かつて炭鉱で栄えた街。

小3の春に出て行って以来、まだ2度しか訪れていなかった。故郷がどうなっているのか見たかった。保育園やら小学校やら、住んでいた頃の狭い行動圏を見るだけでも十分懐かしがれる程度には記憶が残っていた。

当然と言うべきか、止められた。当時住んでいたところから釧路までは最速の交通手段を使っても半日かかる。中学生が気軽に行ける距離ではない。どこでどんな風に過ごす、みたいな案をすべて作って提出しなさい、と親に言われ、いやそういうことをしたいわけじゃないと思った。「お前は結局一人でふらふらしたいってことだろう?ならここでもできるじゃないか」と言われ、何も言い返せなかった。だけど同時に、そこまでわかっているなら、中学2年生がわざわざ半日かかる街に行ってまで一人でゆっくり過ごしたい、今身近にあるものすべてと一旦距離を置きたいと思っていることに対してもっと寄り添ってくれてもいいじゃないか、と甘えた心持ちでもいた。

それから少し経った頃に読んだ五味太郎の本に「どこかに行きたいというのは、ここにはいづらいということ」という言葉があった。

自分の状態をいきなり的確に言い当てられて動揺した。実際「ここにはいづら」かった。性格のせいか凸凹な能力パラメータのせいか学校では絶妙に浮いていたし、この世の誰にも話せないようなことがいつも頭の3割くらいを占めていたし、家族にはそんな態度をそれとなくたしなめられ、自分でも負い目を感じ、でもどうすれば良いか分からなかった。「誰かと一緒にいるときにつまらなそうな顔をしているのはその相手に失礼でしょ」と言われても、自分がいるときだけ明らかに楽しくなさそうな、それでいて腫れ物に触るように扱ってくる相手に尽くせる礼儀を、当時は持ち合わせていなかった。ただ同じクラスだっただけなのだ。自分も相手も、同じ空間にいることを望んでいなかった。私が一緒にいて心地よいと感じる相手に対してですら、お互いがお互いを必要としている関係を上手く築けているとは到底思えなかった。そのときは私の方がすまなそうな顔をしていたかもしれない。

同じような言葉が羽海野チカの『3月のライオン』にもある。主人公の少年がふと「どこかに行きたい…」ともらし、周囲の人々が各自の行きたい場所についてひとしきり語った後、「で、おめえはどこに行きたいんだ?」と聞き返されて彼は言葉に詰まる。行きたい場所があったわけではなく、ここではないどこかへ行ってしまいたかっただけなのだと彼は気づく。

彼にはすでに居場所らしきものはあった。だけど彼自身、まだそこを居場所だとは思えていなかったし、思ってはいけないとも考えていた(のだと私には読めた)。そこにいる人たちが彼を愛していること、彼がその人たちを愛そうとしていること、に気づいていないように見えた。

あれから何年も経ち、ようやく自分の好きなところへ行けるようになった。いつでもというわけにはいかないけれど、タイミングと気持ちが合えば釧路に向かう私を誰も止めない。実際、深夜テンションに任せてはじめての一人旅の宿を取ってしまったのだけど、正直行き先はどこでも良かった。大きな山を越えたばかりで休みたかった。ここで休まなければ自分が壊れると思った。まだ山はあるのに。

どこかに行きたい。いや、温泉でゆっくりしたい。自然の豊かなところで自分のペースを立て直したい。出来れば行ったことがない県の、何かのついでに訪れるみたいなこともなさそうなところがいい。必ず帰ってくるけど、誰かの家族や友達や期待や失望でいなくてもいい場所に少しだけいたい。

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