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ぎゅっとほろっと 若葉しげる これまでとこれからの旅芝居の芝居のこと

なんでなんやろ。
なんでこんなに女性の気持ちを描けるんやろ、演じられるんやろ、
演じ続けられてきたんやろ半世紀以上も、若葉しげる総帥は。
 
はじめて観たときからその女形は〝おばちゃん〟だった。
千葉の海の方のセンター、大広間でこってりと涙を誘う熱演のあとで、口上挨拶に出てきてころころ笑ってた。
「おばあちゃんかと思った? おじいちゃんですよー」
笑いをとるも、その台詞は、自信、いや、自信って言葉はちょっとちゃうな、「わかってる。あたし、良いでしょ? うんうん」と艶然とかわいく笑うおばちゃんだった。
当時の感想を「うめぼし」とか「ムーミン」とかに例えたのも多分そんなところからだろう。
送り出しで「総帥を観たくてきました」と言ったらやっぱり〝おばちゃん〟だった。
「あぁらぁ、大阪のゲストの際、来なかったのぉ?」
 
その後何度も、
招かれたゲストというかたちで出演するのを観に行こうと足が動いたのは、
旅芝居でかかっている芝居の多くを立ててこられて、
その芝居たちがひとつの流派というかブランドのようになっているほど、
慕う役者、尊敬する役者が多いこと。
直接教えられたお弟子さんやゲスト先の座長さんたちに演じ続けられているだけじゃない。
非公認や勝手に(?!)継がれ演じられているものやそこからさらに枝分かれして演じられているものも少なくない。
あ、この芝居いいな、って思って、調べたり、訊いたりすると、
この人が立てたもの、ということが、多いのだ。
そのうち、なんとなく「若葉さんの芝居ちゃうかな」とわかるようになってきて、確かめると「やっぱり」みたいなことも一度や二度じゃない。
なんということのない旅人もの、ヤクザもの、親子もの、さまざまな芝居が、ほぼほぼ全部、「いい芝居だな」「うまく出来てるなあ」なのだ。
 
中でも「いいな」と思うのは、女性を主人公としたもの。
 
金田たつえの同名演歌をモチーフにした芝居「花街の母」、
このことは昨年とある素敵なイベントを観た際にもこのように書いた。
でも、〝母〟だけじゃない。
例えば、女座長が主人公の「雪化粧」や、かわいくて悲しい愛しい女が主人公「紫陽花の花」とかすごく「いいな」と思うし、
●●(地名)の女みたいなシリーズも、決して派手な話ではないけれどわたしは好きだ。
 
なんで「ええなあ」ってなるんかなあ。
なんでこの人の芝居が好きなんかなあ。
 
この度、代表作のように演じ続けておられるうちのひとつ、『岸壁の母』をやっと観ることが出来た。
言わずと知れた、菊池章子、から、二葉百合子、
その後多くの歌手に歌い継がれているあの1曲。
戦地へ行った息子が乗っているであろう引揚船を待つ母の話、実話をもとにした歌を芝居にしたそれ。
ここ最近ゲストの際毎回のように演じておられるのにタイミングが合わなくて、やっと観られた。
まだまだこれからも演じられるだろうから、
詳しい内容や、詳しい感想は、書きません。
でもね、観ていて、観終わって、「ああ、いいなあ」「うまいなあ」と思うと同時に、ふ、と、なんだかいろんなことが腑に落ちたような気がした。

実在した端野いせさんを演じる
梅南座という劇場で観られたのもよかった

花街の母の際にも書いたけれど、
この役者さんのつくる芝居は、芝居には、やはり、
いつも根底に市井の人々の叫びがあるんちゃうかな、って。
若葉さんの(つくる)芝居には、わたしは、なんだかそれを、とても感じることが、多い。
そして、それが、とてもリアルだ。リアルな、叫びだ。
それはわたしが旅芝居の芝居の、旅芝居だからこそのええところだと、思っているところでもある。

〝ええところ〟が、ぎゅっと、いや、ほろっと、ほわっと、ぎゅっと。
 
それは、この人が、主にずっと(女形専門、ではないけれど)、
女形役者としてやられてきたことも、大きいというか、無関係じゃないのかな、と思ったりもする。
 
なんでこんなに女性の気持ちを描けてきたんやろ。演じ続けてこられたんやろ。
こんなにも男尊女卑(すぎる)とも言える、言っても過言ではない、旅芝居の世界で。いや、この世界で。おじいさんになるまで。
 
終演後、業界の大先輩ルポライターであり、
お芝居に特別出演もされた橋本正樹氏と話したりお聞きしたりした。
こんな(ええ歳をして)小娘とずっと仲良くして下さり目をかけて下さることに甘え、ついいつもわいわいと喋ってしまい、このときも
「僕らのこの芸談、録音とかしとくべきやったな(笑)」
「そうっすよ、流行りのYouTubeとかで流したらよかった(笑)」なんて、またしょうもないこと言うてしもたのやけど。
 
すべてをインターネットという場に書く気はない。
でも話して、語り合って、ぐっときたこと、
ものすごく、腑に落ちたというか、「わぁ」となったこと。
 
この世界で若葉さんが「女形」を中心にされてこられたことやわけ。
 
そして、
 
「若葉先生の女形はな、森光子やねん。新派の役者や女優というより、森光子やねんなあ」

というお言葉。
 
ああ、うめぼし、ムーミン、森光子なんや、なんやなぁ。

と、ここでこの文章を終わっておけばいいのでしょう。
それがきれいなのだと思います。 
とは重々承知の上で、大変に野暮ですが、続ける、書かせて下さい。
 
旅芝居には、さまざまな芝居がある。
 
「カッコいい」「爽快」なもの。勧善懲悪。明朗時代劇。
テーマやメッセージはなく「いかにカッコいいか」それも、めっちゃ、大事でしょう。
姿、たたずまい、「きゃー」ってならせて、ドキドキと惚れさせるのも力、実力、芝居力。
なにもわるくない。むしろ、いい。
自己犠牲のナルシシズムに関しては思うところがありまくりだけれど、でも「カッコいい」に罪はない。
(私的にはそこまで「キャー」「カッコいい」と思わされることや役者が今までもほぼほぼまったく数えるほどしかないのやけど笑)
 
メッセージもの。
家族愛、兄弟愛。親孝行。忠義(極端だけどね、とも何度も書いてきましたね)
いわゆる古くからの「社会劇」、「家庭劇」というのもある。
理不尽な世に流され悲劇的な結末を迎える人、
人と人との気持ちのすれ違いにより生まれてしまう物語。戦争。差別。
理不尽な時代や世の中で、それでも生きてきた、
声をあげられなかったり、声を殺されてきた人の気持ちや思いを、芝居で、芝居の中で舞台で代弁すること。
ちょっと誇張をして上や理不尽をからかったり、
理不尽を理不尽のまま芝居で描くことで観た人に考えさせる種を与えたり、
今よりももっと封建的で「時代」劇として、古くから継がれてきたそれで見せることも、旅芝居の芝居のきっと大きな力であり魅力。
 
さらに、大衆だから、庶民の娯楽だからこそ、
むずかしさや押しつけがましさのない、
お腹の底から笑える喜劇やギャグ・笑いだって、大事でしょう?
カタいのばかりじゃ、しんどい。お客も役者も、しんどい。
そこに下ネタやパワハラ的笑いを入れることに関しては「はあ?」「わたしは笑いませんよ」とは何度も書いてきた。
お客さんが距離の近さでそれを疑問に思わず笑ったり受け入れたりすることへの危惧も。
これらを多用するのはきっと劇団の力、役者の力、実力のなさであり逃げでもあると思う。
と、書いておいて、真逆のような、肯定をする訳ではないけれども、もうひとつ。
真面目な芝居にアドリブや軽すぎる笑いを全く入れないのも「カタすぎる」ようにもなるもんなあ。
かっちりきっちりとした芸術鑑賞会じゃないねんもん。
時に下世話だったり俗っぽい話題やギャグもお約束というか必須かもしれない。
その、バランスとアタマと心、が、きっとめちゃ、めっちゃ大事だという上で。ね
 
古典、新作。ふるきもの、あたらしいもの。泣けるもの。笑えるもの。そして芝居と、舞踊。
いろいろあるから、どれもあるから、さまざますぎるから、きっといいねん。
 
今は舞踊が流行りは勿論、芝居もなんだかあたらしいものが流行りみたい?
新作、特別狂言、今風な芝居、外からの芝居。それもいい。いろいろだからいい。
でも業界もお客さんもやっぱり「あたらしい」ばかりにちょっと傾きすぎかなと思ったりはする。
役者もお客も、ひとつひとつの芝居を大事にせず、あたらしいものの新鮮さや斬新さにいってしまったり? それが現代、それがよくもわるくも時代なんかなあ?
「いや、毎日日替わりやからそんなひとつひとつ考えられへんし」
「あの芝居飽きたから新しいの観たいし」
「っていうから、新しいものをしないとお客さん入らんし」
わたしはそれらも言い訳だと思ってしまう。
あたらしいもの、あたらしいことだけが「すごい」「偉い」訳じゃないじゃない。
ふるいもの、それは先人たちがつくり、継がれ、残ってきた、いえ、残してきたもの。
そこには、そこにも、きっと想いがある。
中には、時代にそぐわない、合わないものもあるから、あるけど、
変えたり、アップデートし、時代に合わせた形にする必要もあれば、
変えず、敢えてそのまま、その当時のそのままの形で見せるべきものもある。
新と旧、生反対なそれの、でも、共通するところは、「なにを見せたいか」「なにを伝えたいか」じゃないかなあ。そしてそれを客席で汲み取ることも、じゃないかなあ。
 
わたしが、旅芝居で好きなのは、旅芝居の魅力やな、と思うのは、
庶民(わたしたち)のもの、というところです。
大きな舞台じゃない、
熱も匂いも、人生も人間性も滲み、におってくる芝居小屋や温泉センターで、善やよいことだけじゃない、俗なことも含めての、
(許せる範囲道徳的な範囲での、ってこれが非常に非常にグレーゾーンで、そこが難しかったりでも魅力、というたらあかんのかもやが)
庶民(わたしたち)の物語を、庶民(あなたたち)が演じ、庶民(わたしたち)が観る、そこやねん。
それは、どれだけ時代が変わっても、におうものであり、消えて消されていってほしくはないもの、いや、どれだけあたらしくなろうと、
きっと、どこか、消えはしないようなものだとも、思っています。
 
旅芝居は、生きること。
生きてきたこと、生きて行くもの、生き続けるもの。〝つなぐ〟もの。
 
若葉さんの芝居は、若葉さんという存在は、舞台は、わたしにはそんなことを思わされ、考えさせられるようで、なりません。

旅芝居・大衆演劇の、ぎゅっとほろっと、ほわっと、ぎゅっと、ええところ。
 
舞踊ショーで、
フラワーレイやフラワーピンいっぱいになっての、
踊り終わり、
それらを持ち上げるようにしてぶんぶん振って「ばいばい」ってするの、あれ、ええよなあ、といつも笑ってしまいます。
観ていて思わず、ふふ、うふふ、と、なるのです。
かわいくてたくましい、たくましくてかわいい。生きる、生きてるなあ、って、感じてならなくって。

(劇団紫吹 2023.5・14@大阪・花園町・梅南座
 特別ゲスト・若葉しげる(若葉劇団総帥))


こちらにもすこし。

お弟子さん、紫吹洋之助座長。
来週22日の昼一回ロング公演で座長版『花街の母』をやられるそう。
このひとの素敵に俗っぽさ、好きです。
写真は女形で『うそ』(中条きよし)。
紫吹という劇団、いい芝居をたくさん、
安心してちゃんと観られる劇団が、
ちゃんとあって、小屋で愛されていて、うれしいな、
そんなこともとても思った夜でした。



◆◆◆
以下は、すこしだけ自己紹介 。
よろしければお付き合い下さい。
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構成作家/ライター/コラム・エッセイスト
中村桃子(桃花舞台)と申します。

大衆芸能、
旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。

(普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、各種文章やキャッチコピーなど)

劇場が好き。人間に興味が尽きません。

演劇鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)などの鑑賞と、学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)経験などを経て、
某劇団の音楽監督、亡き関西の喜劇作家、大阪を愛するエッセイストなどに師事したり。
からの大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。

舞台と本と、やはり劇場と人間と、あ、酒も愛し、人間をひたすら書いてきて、書いています。

lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。

その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note「桃花舞台」を更新中です。
各種フォローもよろこびます。

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あ、5月1日から東京・湯島の本屋「出発点」で2箱古本屋も、やってます。

詳しいプロフィールや経歴やご挨拶は以下のBlogのトップページから。
ご連絡やお仕事の御依頼はこちらからもしくはDMでもお気軽にどうぞ。めっちゃ、どうぞ。

関東の出版社・旅と思索社様のウェブマガジン「tabistory」様では2種類の連載中。

酒場話「心はだか、ぴったんこ」(現在17話)と
大事な場所の話「Home」(現在、番外編を入れて4話)

旅芝居・大衆演劇関係では、
各種ライティング業をずっとやってきました。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、YouTubeちゃんねるで過去映像が公開中です。
こちらのバックナンバーも、さきほどの「出発点」さんに置いてます。

今後ともどうぞよろしくお願いします。
あなたとご縁がありますように。


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