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親友と縁を切った話

~自分の成長と共に~

 わたしには二人の親友がいる。高校時代からの付き合いだ。だが、親友はもともと三人いた。表題にあるようにわたしから縁を切らせてもらったのだ。その縁を切った親友とは、他の二人よりも助け助けられる良好な関係を築いていた。今回は少しその経緯を語っていきたい。


 その親友は、勉強よりも作業を得意とするタイプでもともと整備士として働いていた。印象は動物で例えるとゴリラ以外にありえない。一時期は大手の企業にいたのだが、その企業がほぼ解体されたことをきっかけに転職。地元の小さな工場に移って何年かは上手くやっていた。しかし、上司とトラブルを起こし離職。次の職場は体育会系のブラック企業で、腰痛持ちの親友は重量物を扱う職場ですぐに身体を壊した。よく出来た奥さんと可愛い娘を二人を養っていた親友は現実を受け入れることが出来ず病んだ。うつを発症したのだ。追い詰められていく親友を見ていられなかったわたしは、電話口でそれでも働くと泣き叫ぶ親友に引き返せと何時間も説得した。だが、親友の出した結論は出勤だった。わたしは当時、一社目の会社を離れる直前で、ある程度動くことが出来た。その親友が、親友の両親と不仲ではないと知っていたわたしは、親友の両親に手を差し伸べてやってくれないか、と直接ことの事情を説明しに行った。親友の家でご両親と話をしていると、親友は仕事を辞めて即帰ってきた。昨日のわたしの説得を聞き入れてのことだったらしい。よかった、、と胸をなでおろした。ひとまずは最悪の事態は避けられたと思ったのだ。


 それから、少し養生し、親族の紹介でそれなりに大きな企業に入るのだが、とにかくいい意味でも悪い意味でも目立つ人間なので、職場によくいるお局に目を付けられる。言いがかりをつけられ、弁明するも立場が危うくなり離職。このあたりから親友がとにかく周囲に対する不満を口にするようになる。頻繁に会い、わたしはよく話を聞くことが増えていった。


 ご両親からの勧めで、臨時の公務員の嘱託職員(?細かくは覚えていない)の募集があり、もしかしたらチャンスを掴めるかもしれないと親友は喜んだ。しかし、試験は面接と小論文。専門学校を出ている親友は小論文など書いた経験がない。こともあろうに、試験の一週間前にわたしになんとかしてくれと泣きついてきた。もっと早く言おうね。
 わたしは深夜過ぎまでファミレスで小論文の基礎を教えたり、書いた小論文を添削したり、面接のロープレに付き合った。しかし、親友は終始、「こんな試験でなにがわかるんだ」「世の中の仕組みがおかしい」「公務員全員がこれが出来るとは思えない」といった不満、愚痴が絶えなかった。
 集まれる最終日。試験の二日くらい前だったと思う。わたしははっきり親友に告げた。「お前が公務員試験に受かる可能性はない」と。これには明確な根拠があった。試験内容を見るに、わたしが受けても勝算はかなり低い。小論文も大学以来書いた経験もない。それに関する時事問題についても全く自信がない。そのわたしが当たり前に出来ることが親友には出来ないからだ。それを告げた後、諦めたわけではないが、親友は日頃の不満を語り始めた。
 その親友の不満というのは、端的に言うと「周囲が妬ましい」といった内容だ。「世の中には運がいいだけで一生を保証されているような輩がたくさんいる。俺よりも遥かに無能なはずの人間がなんで悠々自適に暮らせるのか。自分がどうしてこんなに苦労しなければならない。自分は不幸だ。もっと恵まれてもいいはずだ。認められないのはおかしい。世の中が間違っている。」
 わたしは、なにを言っているんだろう、、、としか思えなかった。前述にそれとなくあげたが、この親友は若くして最高の嫁さんをもらっている。なにがあっても付いていくとそれを体現している人だ。親友が病んだ時も、わたしも働くからパパ安心して、と言っていたのも聞いている。娘二人もわがままを言わず、聞き分けの良いとてもいい子たちだ。家もご両親と折半し、田舎ではあるが立派な大きな家を持っている。これだけの宝物を手にしている人間が恵まれていないと不満をぶちまける意味がわからない。
 また、深夜過ぎまでファミレスの駐車場でわたしは親友にかなりきつい口調で説教を繰り返した。なぜ自分の持っているものに目を向けることが出来ないんだと。しかし、親友は言うのだ。「一番大事なものはお金」だと。自分が死ねば保険金が入るから家族は幸せになれる、とも言い放った。この辺りから、わたしはこいつは真正の馬鹿なんじゃないかと本当に思うようになった。


 公務員試験が手ごたえがあったと聞いたので、合格発表をわたしも臨戦態勢で待った。しかし、やはりだめだった。まあ、受かったとしても、公務員の仕事を完全になめていた親友には務まらなかっただろう。
 次に向けて頑張ろうという話だったのだが、そんなとき、もう一人の親友Bから話を聞くことになる。


 「株で生計を立てたいから金を貸してくれ」と話があったらしい。ここで、もともと疎遠だった親友Cが縁を切ることを決めた。もう救えないと思ったのだろう。わたしは、心底心配したが、当然親友Bは断ったので、大事には至らなかった。


 気を揉みつつ、よく呼ばれるので集まって話を聞く日々が続く。しかし、この辺りから、わたしが精神障害から本格的に抜け始めていた。価値観も大きく変わり、物事を捉える視野が飛躍的に広くなっていった。その影響で、親友が口にする言葉が、なにを目的にして発しているものなのか手に取るようにわかるようになってしまった。
 結局、親友がわたしに期待していることは、親友自体を正当化することに利用したいだけだった。とにかく親友は自身が努力して変わっていくことが嫌で嫌で仕方がないのだ。「周囲や世の中がおかしいから自分は変わる必要はない」という考えだ。

 こんなに周囲はおかしい。
 自分が正しい。
 だから自分は変わる必要はない。
 なあ、そうだよな?

 話す具体的な内容は変わっても、この軸がぶれることはない。話し始めてすぐになにを言いたいのかわかってしまう。わたしは、ただただ疲れるだけだった。不毛なのだ。この考え方はなにも解決しない。確かに気休めというのも大事だろう。だが、それが有効に成り立つのは、現実的に問題ない場合だけだ。その気休めのおかげで、問題なく日常を送れている場合だ。変わらなければいけない現状で、そのことから目を逸らしていてはなに一つ改善することはない。


 わたしは、その親友の愚痴を2時間聞くだけで、真っすぐ歩けなくなるくらい消耗するようになった。もともと半日以上話を聞いていたのだ。劇的な変化だと思える。

 わたしは、親友の誘いを理由を付けて断るようになった。

 ラインもすぐに返さなくなった。

 ラインの返信を一日以上かけるようになった。

 ラインを既読スルーするようになった。

 そして、今に至る。

 親友から連絡は来なくなった。

 これでよかったと、思っている。


 少し書いていて切なくなりました。今どうしているのか。

 後に、この親友のことを「エナジーヴァンパイア」と呼ぶことがわかりました。わたしが変わったことで、合わなくなったんでしょうね。波長みたいなものでしょうか。
 皆さんも切りたい人間関係がありませんか。過去にどんな間柄だったとしても、今のあなたに合わない人間関係ならば切るべきかもしれません。合わなくなった人が出来るというのは、あなたが成長したことを意味しています。本来喜ばしいことなのです。
 いつでも、あるがままでいたいですね。自分を無理に抑え込むことなく。

では、また。
皆さんの行き先に明るい未来がありますように。

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