久美

自分を客観的に見れるようになりたい。 そのためには 書くことが 近道だと勝手に思って考…

久美

自分を客観的に見れるようになりたい。 そのためには 書くことが 近道だと勝手に思って考えたことをつらつらと書いています。

最近の記事

次男のこと

3人兄弟で末っ子の次男は幼稚園の頃からほとんど手のかかるようなことがありませんでした。 友達もすぐできたし、勉強も人並みにできたし、運動神経に関しては人並み以上でした。 何より人に威張ることもなく、 そしてイライラ起こるようなこともなく、 穏やかな性格でした。 そんな次男は友達も多く他のお母さんからは、むしろ羨ましがられるぐらいの子供だったのです。 長男と長女は、人見知りが激しく学校生活を心配することが多かったのですが、次男だけはほぼ心配することがなかったのです。 3人の

    • 今日の自分を喜ばせる その3

      麻雀ボランティア 自宅から歩いて1分ほどのところに老人介護施設がある。 1回はデイサービスのお年寄りの方々がお風呂に入ったり、体操をしたり、ぼんやり過ごしたりというフロアになっている。 2階以上は滞在型の施設になっている。 4階建ての中規模の施設である。 何年か前まだ母が歩くことができる頃、この施設は完成した。この建物のオーナーは母の弟だったために優先的に入所できることになっていた。その頃、ちょうど母は急激に認知症が進み、あれよあれよという間に寝たきりの状態になってしまっ

      • 今日の自分を悦ばせる

        自分を自分で幸せにする 日曜日は特に予定を入れずに、1日自由に過ごす日にしている。もちろん時々予定は入るが、比較的自分にとってのフリータイムの日となっている。今日はそれでも午前中、急遽家事代行の仕事が入った。しかし、家事代行の仕事は2時間だけであること、時給が比較的高いことで、フリータイムの午前中2時間使うことはむしろ有意義な時間の使い方と思っている。 今日の家事代行は離乳食の作り置きの仕事である。3度目のリクエストなので、以前作った2度の離乳食はおそらく気に入ってもらえて

        • 今日の自分を悦ばせる

          毎日自分を悦ばせるような生き方をしようと思っています😊歯医者に予約していたので、雨風が強い中、重装備で出かけました。 右奥歯の虫歯の治療である。 麻酔をかけ作業しにくい奥歯の虫歯を治療してもらった。 その他に歯茎が交代している部分を清掃し、薬をつけてもらいました。 去年から3ヶ月に一度は歯医者に検診として通っています。 そこで発見された虫歯のための治療をお願いしている。 長い間虫歯の治療を怠っていたのも分かっていましたが、なかなか歯医者に足を向けることができずにいましたが、

        次男のこと

          私の息子絶対大丈夫

          3人の子供がいる。末っ子に当たる。次男は昨年の春大学を卒業しながら就職をしなかった。 本人の言い訳としては、卒業できるか、ギリギリのラインで次試験を受けるので精一杯だったという。 そもそも3年生になる時に勉強をサボっていたため、研究室に所属することができなかったことも大きい。 コロナ禍で就活の波に乗れなかったことまあると思う。 おそらく本人的には色々なものが重なって就職しそびれたような感じで大学生活を終えた。 親としてもはかなり重大な出来事だった 卒業してから仕事を見つけると

          私の息子絶対大丈夫

          麻雀依存症

          ニートなバカ息子は間違いなく、麻雀依存症 この5月の公務員試験を目指すうちの次男は大学生の頃ほとんどがコロナ禍となった リアルで友人と楽しむ時代をまともに経験せずに来た世代である 次男に対して何かがかけていると感じ続けていた コロナ禍の大学生全てにそう感じるというわけではないが、私の息子である次男に対しては常に何か満足しないものを感じ取っていた そもそも明る。いいわ。ゆるちゃらちゃらとした典型的な大学生を送れるはずだった。 人当たりの良さ、人に対する優しさ、そこそこの頭の回

          麻雀依存症

          離婚で初めて知る わくわくする 人生

          末の息子が成人して今から4年前離婚をしました。あれは2020年東京オリンピックが開催されるはずだった年。コロナ禍の世の中となり、それまでの価値観が世の中もずいぶん変化しましたが、私の価値観もその年から4年の間にかなり変化したと思っています。 元夫と別の人生を歩き始めて改めて今の自分が自然であり、ありのままでいられることを実感しいる。 ありのままの自分でいいと自分が自分を許してあげられるようになったと思っている。 それまで私は自分に対してかなり厳しかったのだと気づいた。 ありの

          離婚で初めて知る わくわくする 人生

          バカ息子

          去年大学を卒業した。次男が今自宅でニートのような生活をしている。 大学を卒業する時に就職をせず、4月からネットで仕事先を探し、2件のブラック企業に就職したが、2件とも1ヶ月もしないうちに退職した。 そもそも明治大学を現役で合格して4年で卒業するようなどちらかといえば有利な就職活動ができるはずの若者だったのに、なぜか目的もないまま新卒で就職をしなかった。そして周りの友人が働き始めた頃、スマホの仕事探しサイトで見つけた外壁の訪問販売の会社。 中途採用のおじさんたちの中で唯一新卒

          バカ息子

          まずは実行に移す

          自宅に個室がもう一つ増えた。 そもそも部屋がなかったわけではない。 築50年の何度かリフォームをした自宅には一番居心地のいい東南の1階に私の部屋がある。 最近になってその部屋にプラスしてもう1部屋自分の個室が増えたのである。自宅の庭には軽自動車が1台駐車している。その軽自動車の車中がもう1つの私の個室となった。 軽自動車の助手席とその後ろの座席をフラットにした。そこに2枚の厚手の長座布団をフラットにした部分の凸凹を無くすために敷いた。助手席側が多少フラットにならず盛り上がって

          まずは実行に移す

          子育てが終了して初めてネガティブな感情から幸せを見いだした時

          青森県の大学に行っていた娘が4月に東京に戻りました。大学を卒業し都内の会社に就職をしたからです。その矢先マッチングアプリで知り合った男性と同棲を始めました。母親としては娘としばらく同じ家で再び生活できるのではないかと期待していた。 私の期待は速攻裏切られた。 こんなものである。 結局そうそう。もう子供に期待するのは終わったのだ。私は私で楽しみを見つけて、こどもに依存せず暮らしていこう。そんな風に考えるようにしました 娘の上と下に3才違いの兄と弟がいます。彼らと会話するよりはは

          子育てが終了して初めてネガティブな感情から幸せを見いだした時

          ニートな息子

          もう成人している子供が3人いる。長男長女は仕事をしている。 残念だが、もう一人末っ子の息子は大学を卒業したが、仕事をしていない。 末の息子は、大学を4年で卒業し、その後4月中に、就職先を見つけてきた いわゆる中途採用。 新卒でありながら、中途採用のおじさんたちと働くことになった。 それでもそこで新入社員として働いて、もうすぐ1年になっていたはずなのに、 それは去年の春の出来事だった その息子が就職して、子育てが終わったと母親として噛み締めていたのもつかの間、1ヶ月もしない

          ニートな息子

          自分をよろこばせる 習慣

          自分を よろ こ ばせる 習慣 という本を読んだ 。 よろこ ばせるとは「 悦」である ひとの幸せとはその時その時自分がよろこんでいられるか、その瞬間の「悦」だ。という 私はどうか? いつもよろこで いられたら。 確かにそれだけで 幸せであろう か。 自分が 本当に求めている 幸せはまさに 毎日毎日その瞬間 喜んで 笑っていることだと 改めて 確認した のだ。 常々私は 幸せとは何か 考えていた いつか必ず 誰でもが死を迎える 私が死を迎えた後 20年 30年も経

          自分をよろこばせる 習慣

          ゆるく考えよう

          チキリンさんの ゆるく考えよう という本を Audible で聞き終えたところです 一度しかない人生を 自由に生きること そして 世の中を 楽観的に 良い面を見るように心がけよう ということを 自分に言い聞かせ たかったことだと 最後に話して いました そして何より 読者に 話しておきたいことだったと思います 私は4年近く前に 25年 連れ添った夫と離婚をしました。 正直 それまで自分が離婚するとは思ってもいませんでした おそらく 元夫本人も 現実的に離婚するなど思って

          ゆるく考えよう

          大雪、確定申告、車のバッテリー、ニートな次男

          朝から特に予定はなかった。こんな日は前の晩からウキウキしている。と同時に普通以上に時間の使い方を失敗しないようにと警戒もしている。前の晩は次の日が遠足の子供のようになんとなく眠れない。ストレスなしの自由時間が楽しみなのだ。 そのため朝から寝不足で早起きができず、せっかくの自由時間が少なくなったことに自己嫌悪。 予定のない日はこんな調子なのだ。 しかし私は 今月中に 確定申告を 完成させなければならない。 1年間 コツコツやっていればこんなことにはならないが 毎年この時期に 短

          大雪、確定申告、車のバッテリー、ニートな次男

          いもうとの死から始まった

          30年前、二歳下の妹が死んだ。 ある日突然で、両親と兄と私は地獄のような日々を送った四人は四人で静かに固まって暮らした。人に会いたくなかった。同情の言葉がいらなかった。この悲しみ苦しみは誰にも分からない。。妹は死ななくても良かったのだ。私の優しい言葉があったら妹はきっと生きていただろう。妹が会社を辞めたとき、私はもっと頑張らなきゃね。心が弱ってる妹思いやる想像力が欠していた。心優しく天使のような妹。妹さえいれば友達などいらないと思っていた。姉は妹に依存していたのである。そん

          いもうとの死から始まった

          今年最後に近づいてる神田川の桜

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