子育てが終了して初めてネガティブな感情から幸せを見いだした時

青森県の大学に行っていた娘が4月に東京に戻りました。大学を卒業し都内の会社に就職をしたからです。その矢先マッチングアプリで知り合った男性と同棲を始めました。母親としては娘としばらく同じ家で再び生活できるのではないかと期待していた。
私の期待は速攻裏切られた。
こんなものである。
結局そうそう。もう子供に期待するのは終わったのだ。私は私で楽しみを見つけて、こどもに依存せず暮らしていこう。そんな風に考えるようにしました
娘の上と下に3才違いの兄と弟がいます。彼らと会話するよりははるかに楽しく気楽なのです。
そりゃあ女どおしですから。
5年間を離れて暮らして、またしばらく何気ない日々の出来事を何気なく話しながら暮らせると期待したことは決して特別なことではないと思いますが
やはり親として子供に依存する思考を変えて行く時が来たのだと改めて認識することが強制的にではありますが、できたのだとは思っています

依存とは
少しネガティブな意味を含むかもしれない。
娘や子供への依存は終わりにしよう
その時が来たのだ

考えてみました。
今私のやりたいことは、人が幸せと感じることのために私がやれることをやる事
自分の幸せだけを考え続けてきた人生だった。
それもそろそろ終わりにしよう
人の幸せを
その人のみになって考えられる人になろう
自分を犠牲にするのではなく、人のためにはすることが自分の幸せにつながることをやること。
自分が人に依存するのではなく、人の幸せが自分の幸せにつながることを自分にできる範囲やっていきたい。
強制的に娘への依存を断たれて、私はそう考え直すようになった

私の娘は早く結婚して子供がほしいタイプだと想像する
今は同棲をしてみて、現実はお金がないと無理なのだと思い知ったところかなと思う
母の私は孫がほしいかといえば考えてもいなかったのが、正直なところ
娘の幸せを娘のみになって考えれば、私ができることは金銭的に支えれることかも
金銭的に結婚を先に伸ばそうと思っているのなら、多少余裕のある私は助けたいと思う。
そして自分の幸せも考えれば、自分のできることとして、必要ならば多少の金銭的な援助をしてあげようと。
正直、今まで考えてもいなかったことが、自分の思考の中に生まれたことが何よりも嬉しいことであり、自分の幸せなのです。
ネガティブな依存と捉えたけれども、ネガティブな思考が生きる上で全て排除すべきことではない。
ネガティブに考えることが起きたからこそ、自分の思考を考え、変えることができたと思っています。
幸せに生きるためにネガティブなことも大切なことなのかもしれません

娘への依存は卒業した。
次は人のために何ができるかを考えて生きてみよう
きっとそれは自分のためなのだ

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