自分をよろこばせる 習慣

自分を よろ こ ばせる 習慣 という本を読んだ 。 よろこ ばせるとは「 悦」である
ひとの幸せとはその時その時自分がよろこんでいられるか、その瞬間の「悦」だ。という

私はどうか?
いつもよろこで いられたら。
確かにそれだけで 幸せであろう か。
自分が 本当に求めている 幸せはまさに 毎日毎日その瞬間 喜んで 笑っていることだと 改めて 確認した のだ。

常々私は 幸せとは何か 考えていた
いつか必ず 誰でもが死を迎える
私が死を迎えた後 20年 30年も経てば 私を知る子供たちさえ 死を迎えている可能性があり 私を知る人など 私を思い出す人など この世に存在しなくなる
そんな運命の人間は 何を幸せとして 自分の人生を生きるべきなのだろうか
じっくりと 自分の幸せについて 向き合って考えたいと思っていた

幸せとは
子供が立派に育つこと
自分が 目標を 達成すること
大きな家に住むこと
お金持ちになること
海外に旅行すること
欲しいものを買うこと
高い車に乗ること 
限りない望みがある
この中の一つでも達成出来たら、 幸せになれるのではないかと思っていたのだ

しかも 達成できたところで 幸せに なれたのだろうか
少しの間 幸せだと感じたとしても 結局 本当の幸せ ではないのではないか
もっともっと 自分の望みを叶えたいと ただエスカレートしていくのではないか

私は思う どんなに高級車が手に入ろうと その時限りの 喜びとなり 次に自分は 何を達成するかと 新しい望みを叶える ためにまた新しい望みを 頭の中 の 自分の望みを 保管するスペースに 置かれることになるだけなの ではないか 何か 望みが叶うために また次の望みをそのスペースに 入れ替えるだけで 私の本当の幸せを もたらすものではない
むしろ 求めることが エスカレートしていく そんな感じなのだろう

しかし 日々の生活の中でその瞬間に もし 常に 喜んでいられたら 大きな望みが何もかなわなかったとしても 自分の人生は 幸せだったと 楽しかったと 死ぬ時に思うことができるであろう
お金持ちに なる望みが叶った だけでは 死ぬ寸前に 私は幸せだったとは 思い返せないだろう
私という一人の人間は 宇宙の中の1つの小さな個体でしかなく
この宇宙の中の一つの 個体 は 短い期間に 命を育み この世を去って 自分を知る人もいなくなる
あんなに臨んだ お金や 車や 大きな家や ましてや 子供達が立派な職業につくことなど
この宇宙の中では 何の意味もないような ちっぽけな出来事なのである
そんなちっぽけな出来事に こんなちっぽけな人間が こんなちっぽけな 期間に とても重要なこととして 追い求める 意味は なにか

こんなちっぽけな人間が いつ この宇宙から消え去ったとしてもその消え去る瞬間まで 喜んで 笑って幸せな気持ちで 過ごすことができる それが 人間にとっての一番の 幸せなのだと 改めて考えることができた
日々と喜びを求めて生きること それが 幸せ に生きられるのではないかとこの本が教えてくれた
この本の おかげで  私の もやもやしていた気持ちが パッと明るい日差しが さした
これこそ 自分を 喜ばしていること なのだ
今自分を喜ばせた瞬間である
今日も1日 自分を喜ばせていこう この幸せが 毎日 続いたら私は 幸せすぎる人生を送るだろう

そして 自分を喜ばせる日々を送ることは 間違いなく 注意の人間にも 喜びや 幸せを もたらす に違いない

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