ニートな息子

もう成人している子供が3人いる。長男長女は仕事をしている。
残念だが、もう一人末っ子の息子は大学を卒業したが、仕事をしていない。
末の息子は、大学を4年で卒業し、その後4月中に、就職先を見つけてきた
いわゆる中途採用。
新卒でありながら、中途採用のおじさんたちと働くことになった。

それでもそこで新入社員として働いて、もうすぐ1年になっていたはずなのに、
それは去年の春の出来事だった

その息子が就職して、子育てが終わったと母親として噛み締めていたのもつかの間、1ヶ月もしないうちにその会社を辞めた
ブラック企業だという。
そりゃそうだろうな
その時そう思った。

そもそも息子は一般受験をして、明治大学に入学した。
しかし、大学生としての就職活動の普通のレールに乗ることはなかった。母親としてはショックであった本人の言い訳は
卒業する単位が取れるかどうか、ギリギリのところで就職活動ができなかったという。
ちょっとした歯車が外れてしまった。
そしてちょっとしたことでは済まないことになってしまったようにその時の私には思えた。
それでも息子は追試を受けてギリギリ卒業できる単位を取得した
大学を現役で合格し、4年間で卒業できる一般的な大学生だったはずなのだ。
日本の社会の中では比較的有利な就職ができるはずの大学生だった
少なくとも母親としてはそう期待をしていた
そう期待しても親バカというほどではないと思っていた
それでも3人目ということが多少私には気持ちに余裕があったのか?
余裕などなかったが
結局見守るしかなかった
就職する気はあることは感じていたが、
しばらくしてネット検索して見つけた飲食業に再就職した。
いわゆるファミレスである。
そしてまた1ヶ月もしないうちにそこを退職した

そんな残念。すぎる息子をあえて褒めてみるとしたら、
2つの会社を1ヶ月も経たないうちにさっさとやめたことだろう
どちらもどう考えてもブラック企業である。
社会に初めて出た若者を
未来を担う社会人として育てようとする考えは微塵も感じない会社に見えた。
しかし、息子はそんな会社しか就職する選択肢がなかったのである。
浅はかなな、残念な、無知な息子の選択が、悲しかった。
普通の親なら何のために大学に行かせたのだと絶望するような気持ちになる出来事と言える。
私も普通の親である。当然そう思う。
だからと言って私にできることはもうない
私のできることは何か
今、私が息子に対してやるべきことは何か3人の子供がいる。
親としてもうベテランのはずなのに、いつまでも子供のことで悩み続ける。
親として子供の幸せを願っているだのだ。
期待していたのだ
母親として当たり前の感情だ。
母親として何かやれることをしてあげたいと思うのも当たり前の感情だ
しかし、今母親としてやるべきことは1つだけである
それは見守ること
見守るしかできないのなら、見守ることを楽しんで見守ろう。
話をして笑って夕飯を作って、自分が見守ることをただ楽しもう。
今、息子は公務員試験の勉強をしている。
大抵の若者が進むレールを外れているが、私の息子は頑張っている。
今、私ができる最大限のことをは見守りである。
その見守りの時間を私は私で楽しんでいよう。
見守る時間を持てることを感謝しよう。
普通のレールに外れた息子を面白がろう。
それが私のやるべきことは
結果がどうあれ、
今を楽しめれば私はそれでいい。
息子は息子の力で前に進んでいければそれでいい
いやいや、むしろ前に進んでいる息子はすごいことである
他の人がやらない道を進んでいることは大したことである。
かっこいいぞ



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