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水玉消防団ヒストリー第12回 1981年「乙女の祈りはダッダッダッ!」


取材・文◎吉岡洋美
 

「いいときも目もあてられないほど悪いときも、ライブのアップダウンは激しかったけど、気づけばそんな1年を乗り切った」と、カムラも言うように、ライブハウスとパンクシーンへの参入、相次ぐオファーに地方ツアー、ハネムーンズ結成と、怒涛の’80年をバンドはひと通りくぐりぬけ、翌’81年。ライブの場数をハードにこなしていくなか、「ライブハウスでも、“足元の黒い箱はモニターって言うんだ”とか、”ステージ上と観客側では聴こえる音が違うんだ”とか、少しずつわかってきて」(天鼓)、「ギグでも演奏が安定して、水玉消防団の動きも軌道に乗ってきた」(カムラ)ころ、まるで見計らったかのように面白い偶然と展開が彼女たちのもとにやって来る。
 

「棚ぼた」のアルバム・レコーディング

 

 その偶然とは、JORA併設のカフェバー“マヤー・ジーズニー”の常連客からもたらされた。
天鼓「早稲田のJORAの近所に、たまたまサウンド・クラフトという会社の本部があったのね。今はどうなっているのか全然知らないんだけど、すごくメジャーな仕事をしている音響会社で、それこそ松田聖子や大物ミュージシャンの武道館ライブのPAをやるような会社。で、その会社から歩いて数分くらいのところにJORAがあったから、スタッフの人たちが毎晩飲みに来るようになってたんだよね。みんな気のいい人たちで」
カムラ「彼らが来てくれることで、お店がまわっていたほどのありがたい常連客。最初は『近所になんか変な店が出来た』ぐらいの感じで来てくれてて、お互いの正体についてはそれほど知らなかったんだけど、すぐに懇意になっていってね」

 JORAを開業して1年も経たないうちに水玉消防団の活動はめまぐるしいものになっていた。オリジナル曲のレパートリーも「けっこうな数が出来て“アルバム1枚が出せるぐらいだね”って冗談を飛ばしてた」(天鼓)タイミング。と言っても、「自分たちで積極的にアルバムを作ろうと動いたりしてたわけでもなく」(カムラ)。そんなある日、サウンド・クラフトの音響プロフェッショナルたちがいつものように店にやって来たとき、天鼓たちは軽く切り出してみた。
天鼓「私たちがバンドをやってるって彼らにもわかってきてて、『そろそろ、私たちもアルバムでも作りたいんだけどなー』と言ってみたのね。そうしたら、『わかった、わかった。いいよ、録ってやる、作ってやるよ』と」
 なんと、プロのサウンドエンジニアたちが、近所のよしみで水玉消防団のアルバムをレコーディングしてくれるというのである。
天鼓「サンクラ(サウンド・クラフト)はライブのPAを専門にしている会社で、録音については効果音とかをやる程度だったから、ミュージシャンが録音するようなスタジオもなかったし、アルバム制作の経験もなかったみたい。だから、この体験はスタッフたちの勉強にもなるし、という名目で会社に話をつけてくれたようだった。でも私たちはド素人中のド素人なわけだから、録ってくれるんなら何でもありがたい、って感じだったよ。プロがやってくれるわけだし、機材も山ほど持ってるわけだし」
カムラ「全くの棚ボタ、瓢箪から駒(笑)。たまたま音響会社が目と鼻の先にあって、そこの技術者の人たちが偶然、私たちのところに毎日来ちゃってて、『私たちのもレコーディングやってくれたりするのー?』って、いつもの水玉の調子ですよ(笑)。レコーディング代の話は出ないまま。だって、私たちお金ないから(笑)」
 
 話は“飲んだ勢い”だけで終わることなく、あれよあれよという間に、水玉消防団の初アルバム・レコーディングが執り行われてしまうのである。JORAを録音スタジオにし、カフェをミキシングルームにして、「JORAの前の道を渡ったすぐのところ」(カムラ)のサウンド・クラフトから一切の機材が運び込まれての決行である。
カムラ「アルバムを作るなんてバンドにとっても一大プロジェクト。もちろん、メンバー皆、ワクワクしてたけど、サンクラの人たちが盛り上がってくれたのがすごく大きかった。彼らのアイデアで演奏を一発録りすることになって、そうなると広さが必要だからJORAで録音することになったんだけど、全てのマイクを仕立てて、アンプを入れて、ケーブルまわして、ミキシングルームにはデカいミキサーに、マルチトラックのレコーダー、モニタースピーカー諸々、一切合切運ばれて、ほとんど工事のように仮設レコーディングスタジオがJORAに出来上がった(笑)。昔の機材なんてどれもすさまじく重いから、大人数で運び込んでくれて」
天鼓「ミキシングもJORAでやったから、スタジオ代は全くかからなかったし、 “音録り用の機材はあるから、それでいいなら録ってやるよ”って感じで、録音代も払ってない。最終日にトラックの荷台から誰かの足の上にミキサーが落ちたっていう事件があって真っ青になったけど、結局奇跡の如く何ともなかったのは私たちの日頃の行いがいいからだよね(笑)」
カムラ「この録音はラッキーなんてもんじゃない。あの時代、レコード会社と契約でもしない限り、アンダーグラウンドのパンクバンドがしっかりした機材でアルバムを作るなんて無理なことだから。特にサンクラのキーパーソンだった松木さんにミキシングの増さんはじめ、たくさんの人に本当にお世話になった」

 その“JORA仮設レコーディングスタジオ”では、「あの頃、いつも練習を重ねに重ねて、ライブのレパートリーとしてこなれた曲ばかり」(カムラ)の『ジークフリードはジッパーさげて』『真空パックトラベル』『Who are you?』等々、9曲が2日にわたり順調にレコーディングされ、このほか、急きょ即興的にその場で作られた3曲も存在する。そのうちの『天鼓のヒステリックラブソング』はコンセプトありきで1人ずつが音を重ねた、ロックからはほど遠い曲。『艶消しの闇』『電気ショック』と題されたあとの2曲は、どちらも天鼓のお家芸とも言えるハイトーン絶叫ボーカルとカオティックなバンドサウンドが切迫し、当時の水玉の迫力と自由度がうかがえる。
天鼓「あの(絶叫系の高い)声が出るようになったのは、実はこのときから。テープにあと2曲ほど入るって言われて、その場で皆で一斉に音を出してみた。そうしたら皆、何でもありっていうんで凄まじい音になって、これに対抗するには普通の声を出してもダメなわけ。このなかでも聞こえる声は? と出してみたら、全ての楽器音を突き抜けるような高い声。それまでは中域の声で歌ってたから『こんな声が出るんだ、私』って思ったのは、よく覚えてる」
カムラ「確かに天鼓が高い声を出すようになったのは、あれからかもね。『艶消しの闇』なんか今聴けば、キーボードもベースもどの音もコードが違うし、どの楽器も他の楽器のことなんか関係なく独自にやってて、面白いんだよね」
天鼓「『艶消しの闇』は私なんかギターのチューニングも絶対合ってないし、弦も途中で切れたりして、でも、勢いでそのまま走ってみました、みたいな感じ。聴いてみたら“これ、名曲かも”って。皆、それぞれ自分の勝手なイメージでやっていたんだと思う。もちろん、曲によってはそろってコードを展開しなきゃいけないのもあるんだけど、(水玉は)きちんとした曲になってるってことを目指してなかった。曲作りの常識から外れてたって、と言うか、常識がわかってないっていうのが正しいけど、自分たちが面白いと思えることが優先だったから」
 ところで、天鼓の言う「今はどうなっているか知らないんだけど」というサウンド・クラフトは、現在、エス・シー・アライアンスの社名で音響を主とする6会社からなる企業として業界を牽引し、今年で創立57年を迎える。ミスチル、サザンオールスターズ、松任谷由実、星野源等々……のアーティストたちのコンサートからミュージカル、演劇、劇場の音響を担い、カムラの言う「キーパーソンだった松木さん」の松木哲志氏はその後、代表取締役を経て現在顧問と要職を務める。言うなれば、高い実力を誇り続けていく音響会社と破天荒なアンダーグラウンドの女性パンクバンドが図らずしも出会い、アルバム制作が開始されたのである。
 

クラウドファンディングで資金集め

 
 さて、こうして、“棚ぼた”的にレコーディングにお金をかけることなく、無事マスターテープが出来上がってしまうのだが、そこからレコード化するには当然プレス代、ジャケット制作等の費用がかかる。もちろん、バンドに「自己資金なんかない」(カムラ)。さて、どうするか。
 そこで、彼女たちは借金せずに制作資金を確保するため、タフにアイデアを捻り出す。これから出来上がるであろう1枚2,500円の水玉消防団の初アルバムを、まず先行予約4枚分1万円で集金するという方法を考える。要は「予約」「先払い」という形で、アルバム制作を意気に感じてくれた人から「協力金」を募り、目標金額に達したら、プレス諸々の制作にコマを進める。つまり、今で言うところの「クラウドファンディング」方式だ。
天鼓「クラファンの先駆けということになるんだけど、これは友人の関西のミュージシャン、豊田勇造さんの真似っこ。勇造は1人だけど、ウチはメンバー5人。名前、連絡先、枚数と金額を記入する専用申し込み用紙を作って、それをメンバー皆がどこへ行くにも持って出かける。友達、仕事仲間、道ですれ違った人、飲み屋で隣になった人、とにかく色んな人に予約を仰いで。もちろん友達関係には“否応なく”払ってもらったと思うよ(笑)。本当に色々な人が協力してくれた。例えば、用紙に書いてある名前に誰も覚えがないのに、“1万円、4枚”となっていて、服のポケットには確かにもらったお札が入ってる。『誰なの?』『昨日飲み屋で隣になった男の人かも』って、その人らしき名刺を見たら『弁護士と書いてあるよ、いいの?』みたいな(笑)」
カムラ「ありとあらゆる人に申し込み用紙を渡して、資金を集めたよね。その人の音楽性とか無視して、基本的に“面白いことに加担したいなら、まずお金出さないとね!”みたいな押しの強さで(笑)」
 ケロッと「飲んで酔っ払った男を張り倒して申し込ませるぐらい」(カムラ)の戦法も用い、目標金額をクリア。晴れて初回1,000枚のプレスが実現するのである。
 
 それにしても、レコーディングは近所の会社の厚意で、プレス+ジャケット代は多くの“先払い”で成立したわけだが、バンド自体はこれに悪びれることも臆することもなく、あっけらかんと自分たちのペースでコトを遂行させるたくましさ、したたかさ。ストイックなイメージのアンダーグラウンドシーンのなかで、流石と言うしかない。
カムラ「協力してもらったからと言って、“腰を低く”とか、“施してもらった”と卑屈になったりとかは、誰も絶対にならない。そこがまた私たちの凄いところ。ひどいよね(笑)。ただ、シングル盤ならともかくアルバムを自分たちで出すって、やっぱりデカいプロジェクトなんですよ。それを、今までも『やってみる?』『やろう、やろう』で始めちゃった人たちの集まりだから、『やろう、と言い出したら物事は出来るんだ』と、根拠のない楽観性がそこにはあったよね」
 また、「水玉がもともと音楽やパンクシーンから出て来たわけじゃない強み」ともカムラは続ける。
カムラ「結局、その強みが発揮されたんですよ。クラウドファンディングでサポートしてくれた半数以上はほとんど音楽とは関係ないフェミニストの人たち。そこが音楽、パンクシーンからではない水玉消防団の人間関係の財産で、フェミニストのみならず、それぞれ5人のメンバーは歳も重ねているから、その分の人間関係、人生経験も持っている。そこが音楽のクリエイティヴィティだけじゃなく、活動を支える資源、潜在的な原動力になっていたと思う。だから、水玉消防団はバンドとしての起動力が並大抵じゃなかったんですよ。これは、自分が水玉消防団以外のバンドやユニットで活動してつくづく実感したことでもある」
天鼓「ネットなんてない時代だし、人海戦術のみなわけ。色んなところへ出かけ、いろんな人に会って話す。巻き込む。説得する。仲間に入れてあげる。だまくらかす(笑)。人のエネルギーで物事が進むのを体感するのは楽しいよ」 

『乙女の祈りはダッダッダッ!』


 
そして’81年5月、水玉消防団のデビューアルバムがLP盤として出来上がる。「自分たちが作ったんだから、レーベルも自分たちのものを作る」(カムラ)と、その名も「筋肉美女レコード」を立ち上げ、完全自主制作盤としてリリースされた。全12曲のオリジナル曲が収録されたタイトルは『乙女の祈りはダッダッダッ!』。今聴いても、スタジオでライブ録音された当時の気迫とともに、水玉消防団の音と言葉のエッジ、オリジナリティ、先進性が記録された一枚である。
カムラ「“乙女の祈り”という言葉は、私が思いついたのかな。あまりにも水玉消防団と真逆で面白いと思って(笑)。でも、さすがに“乙女の祈り”だけじゃつまらない。それで、誰かが“ダッダッダッ!”を付けたらおかしくて面白いじゃないって言って、このタイトルになったんだよね。音楽は怖くて、ジャケットは赤くてぬらぬらしてて、なのにタイトルはちょっとコミックバンドっぽくってミスマッチ(笑)。わけわからないよね。メンバーは皆、ジョークも好きで笑ってばっかり。そういう一面も出てる。自分たちのことを“乙女”って言っちゃってるんだから(笑)」
 カムラ言うところの“赤くてぬらぬら”しているジャケットは、真紅のなか横に立ち並んだメンバーの写真が不思議に加工され、インパクトあるビジュアルだ。打って変わって裏ジャケはアルバムの制作やクラウドファンディングに協力した人たちのなかから、30人のコメントと写真がところ狭しと賑やかにコラージュされている。その人選も中山千夏、中山ラビ、小西綾、小池一子等のフェミニズムつながりや音楽評論家の田川律にはじまり、モモヨ、小嶋さちほ、巻上公一、吉野大作、白石民夫等々、ジャンルを横断して錚々たる顔ぶれ。実はこのデザイン、ディレクションは、表裏とも天鼓が手がけた。



(上)天鼓デザインによる『乙女の祈りはダッダッダッ!』表ジャケット(中)フェミニストから文化人、パンクアーティストまで総勢30人のコメントがひしめき合う裏ジャケット(下)メンバーの幼少時代の写真にチャート式占い等々……カムラ曰く「私たちの遊び心が満載」のライナー。「皆で早稲田の詰所に集まってワイワイ作ったのを覚えてる。そういう意味でも1stはとても愛着がある」(カムラ)。サウンド・クラフトのスタッフ・クレジットも。


天鼓「そう、ジャケットは全部私が作った。表はメンバーの写真を撮って、現像して加工して。赤色は皆が好きな色だったから。この頃はコンピューターのない時代だし、裏ジャケは写植と写真を切り貼りして。手作り感でいっぱいでしょ(笑)」
カムラ「天鼓が『私、カメラマンになるから』って自動シャッターでジャケットのメンバー写真も撮って、真っ赤も皆、いいねーってなって。裏ジャケの人たちのコメントは本当にアルバムに協力してくれたことと、日頃の感謝の気持ちが込められてる。完成した現物を手にしたときは、やっぱり嬉しかったよね」
天鼓「結局、いつでもとことん楽しみたいわけ。お金がないから自分でやる、ということでもなくて、“やってみたーい!”が、もともとあるのよ。この頃、現像が楽しみで、現像所化していた友人んちの台所で気が付いたらひとりで徹夜してた、なんてよくあった。ジャケ写はそんな孤独な夜から出来上がったんですよ(笑)。ライナーの写真は早稲田の近所の公園で遊んでた子たちを集めて撮ったり。裏ジャケにたくさんの友人たちのコメントや写真を入れたのも、みんなが水玉にどんなこと言うのか知りたかったから。思い出したけど、LPが出来上がった時は、可夜さんと静岡のプレス工場までハイエース飛ばして受け取りに行ったんだよね。LP50枚入りの段ボール20箱は、なかなかの重さだったな。でも、どんなところでどんなふうにレコードって作られてるのか見たいじゃない? 面白そうじゃん」
 
 ちなみに、レーベル名「筋肉美女レコード」は、当時、その肉体美で多くのアーティストのミューズ的存在になっていたアメリカの女性ボディ・ビルダー、リサ・ライオンをリスペクトして、カムラがネーミングした。
カムラ「あの時代、私は彼女に傾倒してたんですよ。彼女の写真を見て感動して素敵に思ってて、『レーベル名は“筋肉美女”ってどう?』って提案したら、『それいいじゃん』ってなった。レーベルマークの筋肉美女の絵も私が描いたんだよ。本当に何から何までDIY、ハンドメイド。そうやって自分たちの手で作っていくのが楽しかった」

●Lisa Lyon

 
「筋肉美女レコード」記念すべき第1段アルバム『乙女の祈りはダッダッダッ!』は、リリースするとほどなくして「クラウドファンディング分と、自主制作盤を取り扱う全国のレコード店をピックアップして卸したら、すぐに売れて、あっという間になくなったので1,000枚を再プレス」(天鼓)と、なんと2,000枚を売りつくすことになる。
 その後も「筋肉美女レコード」では、翌年の’82年、竹田賢一との共同プロデュースでハネムーンズのアルバム『笑う神話』を、また、後述するが水玉消防団の2ndアルバム、さらに天鼓のソロアルバムと、バンド、メンバーたちの作品を形にしていく。
 
 この頃から、水玉消防団の名前はシーンのなかでも、全国レベルで知られるようになり(ちなみに、筆者が彼女たちの存在を初めて知ったのが、今となってはようやくこの頃である)、雑誌等、メディアでも取り上げられる存在になるのである。
 



(上・中)表ジャケットの元になったメンバー写真とアザーショット(下)天鼓曰く「近所の公園で遊んでた子どもを集めて」メンバーと一緒に撮影した、ライナーに使われた写真


   
 

◆天鼓ライブ情報

まもなく!
「2023 Autumn duo tour 天ノ橋 地獄巡 
〜天鼓&内橋和久デュオツアー」


[出演]天鼓(声)&内橋和久(ギター、ダクソフォン)

 

9/19(火)
名古屋TOKUZO

スペシャルゲスト:小埜涼子(sax)
18:00open 19:00start
予約¥3,000 当日¥3,500

info@tokuzo.com

 

9/20(水)
京都UrBANGUILD
スペシャルゲスト:NO CON(山本精一・内橋和久)

19:00 open 19:30 start
予約¥3,000 当日¥3,500 + 1drink

info@urbanguild.net

9/21(木)
大阪environment Og

19:00 open 19:30 start
予約¥3,000 当日¥3,500 + 1drink

nuthingsjajouka@gmail.com

 

9/22(金)
秋葉原グッドマン
スペシャルゲスト:武田理沙/吉田達也/ナスノミツル


19:00 open 19:30 start
予約¥3,500 当日¥3,800 + 1drink


 
「GIGANOISE SPIN-OFF」
10/2(月)@秋葉原クラブグッドマン

[出演]内橋和久/天鼓/巻上公一/田中悠美子/doravideo
19:00 open 19:30 start
予約¥3,000 当日¥3,500 + 1drink

 ◆カムラ ライブ情報

10/20(金) 梅津和時&KIKI BAND in London

@Off the Cuff(London)
supported by Kamura Obscura, Yumi Hara, etc

11/8(水) 舞踏UK ツアー 上杉満代舞踏公演 in Birmingham

Live music:Kamura Obscura
 
●天鼓 1978年より女性のみのパンクロックバンド、水玉消防団で音楽活動を開始、80年代のニューウェイヴシーンで10年間活動を行う。同時に80年代初頭にNYの即興演奏に誘発され、声によるデュオの即興ユニット、ハネムーンズをカムラと結成、活動開始。その後、ソリストとして活動を続けるうち、86年頃よりヴォーカリストではなく「ヴォイス・パフォーマー」と称するようになる。「声を楽器に近づけるのではなく、より肉体に近づけるスタンス。あるいは声と肉体の関係を音楽のクリシェを介さずに見つめる視点。“彼女以前”と“以降”とでは、欧米における即興ヴォイスそのものの質が大きく変質した」(大友良英)。85年のメールス・ジャズ・フェス(ドイツ)以降、世界20カ国以上でのフェスティバルに招聘されている。これまでの主な共演者は、フレッド・フリス、ジョン・ゾーン、森郁恵、大友良英、内橋和久、一楽儀光、巻上公一、高橋悠治など。舞踏の白桃房ほかダンス、演劇グループとの共演も多い。水玉消防団以降のバンドとしては、ドラゴンブルー(with 大友良英、今堀恒雄 他)アヴァンギャリオン(with 内橋和久、吉田達也 他)などがある。15枚のアルバム(LP /CD)が日本・アメリカ・カナダ・スイス・フランス・香港などでリリースされている。演奏活動の他、各地で即興・ヴォイスや彫塑、空間ダイナミックスなどのワークショップを数多く行っている。
 
●カムラアツコ 80年代、日本初の女性パンクバンド「水玉消防団」で、ボーカリスト、ベーシストとして音楽活動開始。日本パンクシーンの一翼を担う。同時に天鼓との即興ボーカル・デュオ「ハネムーンズ」にて、ニューヨーク、モントリオール、ヨーロッパで公演、ジョン・ゾーンはじめニューヨーク・インプロバイザー等と共演。その後、英国に渡りポップグループ「フランクチキンズ」でホーキ・カズコとペアを組む。オーストラリアを始め、ニュージーランド、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、ソビエトなどツアー。90年代は、ロンドンで始まったレイブシーンでダンスミュージックの洗礼を受ける。2000年以降、「I am a Kamura」、「Setsubun bean unit」でフォーク、エスニック、ジャズ音楽の領域に挑戦。現在の自身のプロジェクト「Kamura Obscura」では、Melt, Socrates' Garden、Speleologyのアルバムをリリース。エレクトロニクス、サウンドスケープ、即興の渾然一体となったさらに実験的な新作「4AM Diary」を2021年末にリリース。同年秋、イギリスのポストパンクバンドNightingalesの満席完売全国ツアーをサポートする。2019年にはバーミンガムの映画祭Flat Pack Film Festival、2022年10月にはポルトガル・セトバルの映画祭Cinema Charlot, in Setubal, Portugal にて、日本の前衛映画の名作「狂った一頁」の弁士を務めた。
 
●水玉消防団 70年代末結成された女性5人によるロックバンド。1981年にクラウド・ファンディングでリリースした自主制作盤『乙女の祈りはダッダッダ!』は、発売数ヶ月で2千枚を売り上げ、東京ロッカーズをはじめとするDIYパンクシーンの一翼となリ、都内のライブハウスを中心に反原発や女の祭りなどの各地のフェスティバル、大学祭、九州から北海道までのツアー、京大西部講堂や内田裕也年末オールナイトなど多数ライブ出演する。80年代には、リザード、じゃがたら、スターリンなどや、女性バンドのゼルダ、ノンバンドなどとの共演も多く、85年にはセカンドアルバム『満天に赤い花びら』をフレッド・フリスとの共同プロデュースで制作。両アルバムは共に自身のレーベル筋肉美女より発売され、91年に2枚組のCDに。天鼓はNYの即興シーンに触発され、カムラとヴォイスデュオ「ハネムーンズ」結成。水玉の活動と並行して、主に即興が中心のライブ活動を展開。82年には竹田賢一と共同プロデュースによるアルバム『笑う神話』を発表。NYインプロバイザーとの共演も多く、ヨーロッパツアーなども行う。水玉消防団は89年までオリジナルメンバーで活動を続け、その後、カムラはロンドンで、天鼓はヨーロッパのフェスやNY、東京でバンドやユニット、ソロ活動などを続ける。
 

◆天鼓 Official Site

天鼓の公式サイト。ヴォイスパフォーマーとしての活動記録、水玉消防団を含むディスコグラフィーなど。

Kamura Obscura

カムラの現プロジェクト「Kamura Obscura」の公式サイト。現在の活動情報、水玉消防団を含むディスコグラフィー、動画など。

◆水玉消防団ヒストリー バックナンバー





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