人生ゲームは大切なものを作ったら負けなのかもしれない
誰かと過ごした時間がどうしようもなく懐かしくて、どうして今ここに私はひとりでいるのか訳が分からないくらい悲しくなることがある。
この悲しさを愛おしさと言っていいんだとしたら、すごくすごく私は元カレを愛おしく思っていた。
今はどうなのかわからない。確信できるほど彼が生活にいないからだ。
でも今でも幸せであってほしいって思うし、ふりかかるすべての苦労は報われて欲しいし、求められたら彼の眼の前に出てくるであろう障害の全部を一緒に取り除いてあげたくなるとは思う。
彼と付き合っていたとき、彼の親の次に彼のことを大切に思う人間は自分だという自信があった。
それだけで十分で。
彼が浮気をしていたとか、私のことを大切に扱わなかったとか、そんな事のすべてがどうでもよかった。
依存と言われたら依存かもしれないけど、束縛をもっとされたかったって言われるくらい、静かに思い続けていた。
……なんて書いてみて思ったけど、そんな気持ちも風化していくものだと思う。
最初に別れ話がでてからそろそろ1年。
あんなにずっと一緒にいた気がしたけどこんな簡単に1年過ぎるなら、3年半なんて一瞬で通り過ぎていくんだろう。
一生があと30年は続くとしたら、3年なんて10セット作れる。
あんなに必死に人と向き合った3年、代えがたい思い出みたいに感じてるけど、人生では誤差程度なのかもしれない。
悲しいのは私のこれからと、ずっと一緒にいると思っていた人のこれからが平行線のまんま、これから繋がらないから。
それなのに共通の友達もSNSのアカウントも連絡先も実家も勤務先も知り合っている私達は、近況を見に行こうとしたら簡単に見に行けて、繋がろうとしたら家まで会いに行けてしまう距離感のバグがある。
美化しようもない当たり前すぎる日常のすみっこに、彼がいた痕跡と彼が生きている気配がずっとある。
それでももうくっつかない距離を生きている。
いっそどっちかを消してくれと思う。この日常から退散させてほしくて、移住したいとすら思う。
1年間過ごしてみてるけど、ぽっかりとした気持ちがたまにいきなりやってきては、埋め方がわからなくて困っている。
大切な人を大切だと思わない方法が知りたくてずっとちょっとつらい。
人生ゲームむずい。
連絡は返しませんが、幸せであってください。
返さなきゃいけないピンチなら何があっても駆けつけるよ、以上。
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