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古本屋は今の自分を確かめる場所かもしれない

個人経営の古本屋は魅力的だけど緊張する。少しだけ背筋を伸ばして、でもそんな気取られないように普通っぽく敷居を跨ぐ。そんな場所だ。

なんで緊張するんだろう。
古本屋の店主は大体自分よりも本好きで、年上で、人生の経験も本の好き度も自分よりも圧倒的に上位に感じてしまうからかもしれない。

学生時代に古本屋に行くときは、馬鹿にされないかと少し心配になりながら、でもあの空間の不思議な引力に引き寄せられて見かけるとつい行ってしまう。

店内の静かな空間には、普通の本屋では絶対に出会えない本が並んでいる。1990年の音楽雑誌、読み方もわからない外国の本、背表紙の角がほつれていて長く誰かの手に渡っていたとわかる本。
たくさんの時代が本棚には詰まっている。

もう会うことのできない作者の人は何を思ってこの本を書いたのかを考えてしまう。自分が生まれる遥か昔から、人は何かを創作したいと思っていたのか。それぞれの本の作者は、どれくらいの気軽さで処女作を生み出したんだろう。苦悩のすえに書いた本はなんだったんだろう。
友達にも同僚にも聞けない、誰かの人生の葛藤の瞬間を私は知りたいのかもしれない。

古本屋に詰まっているものは、本ではなくて歴史だと思う。

そして、古本屋が好きな人の中にはもしかしたら私と同じような、言葉にできない誰かの葛藤を知りたがる癖がある人が行っているのかもしれないとも思う。

人生に悩んだとき、心を入れ替えたいとき、気持ちをまっすぐに戻したいとき。気持ちによって見るコーナーも選ぶ本も違うけど、持ち帰った後で本が今の私の心境を教えてくれる。古本は本当に鏡みたいな存在だと思う。

店を出るとき、「すぐには来ないかもしれない。でもきっと、またここに来るだろうな。」と確信を持って外に繰り出す。その一瞬だけかもしれないけど、静かな暗い店内から、明るい外に出ると、違う自分になっていける気がするんだ。

こんな瞬間もいいよね。


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