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安定つり合いと不安定つり合い

『世界は贈与でてきている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』

という本を今、読んでいます。
著者は近内悠太さん。
これがデビュー著作です。

この本に「二つのつり合い」という話が出てきます。

ずっと動かず静止し続ける黒いボール。
しかし、その台座は見えない。
いったい何の上に鎮座しているのかはわからない。

それが静止しているのは、ボールに働く力の合計がゼロになっているということ。

つまりつり合っている状態と言えます。

そしてつり合うという概念には2種類あるという物理学の知識が紹介されます。

「安定つり合い」と「不安定つり合い」の2つです。

片方のボールは、丸いくぼみに位置するものとします。
何らかの外的な力を受け、ボールの位置が変わっても、
復元力(レジリエンス)を発揮して、元に戻り続けます。
これが安定つり合いです。

一方のボールは、丸い丘の頂上に静止しています。
こちらのボールは、何らかの外的な力を加えると、丘から転落し、2度と戻ることはありません。

静止し続けるボール。

それが静止している台座、地面が見えない以上、
そのボールに力を加えて動かしてみないと、
ボールが安定つり合いで静止しているのか、
不安定つり合いで静止しているのかを理解することはできません。

近内さんはこの黒いボールの話を、僕たちの日常に変換して考えます。

僕らの日常あるいは僕らを取り巻く世界、つまり文明とはこのような、止まっているボールのようなものではないでしょうか?

世界は贈与でできている 近内悠太

安定つり合いの状態のボールは、「神的な」力によって、勝手に安定し続けます。
いっぽうで不安定つり合いのボールは、何らかの意図的な力を加え支え続けないと、あっけなくそのつり合いは崩れ、丘の下へボールは転がり落ちていきます。

ここで思い出してほしいのが、先日の地震です。
ついこの前、東日本大震災から11年目を迎えたばかりの東北の地を、再び大きな地震が襲いました。

そこで僕たちは、数々の「当たり前が当たり前じゃなかった」という事実に気づかされます。

11年前の地震や、その後の数々の天災、某ウイルスによる惨禍を経ても、相変わらず起こった後に気づくその「当たり前は当たり前じゃなかった」という事実。

それは、僕たちが「日常」を安定つり合いだと思っているからではないでしょうか。

見知らぬ誰かが支えてくれることなどつゆ知らず、
当たり前に電気がついて、
当たり前に暖かいお湯が出て、
当たり前にきれいな水が飲めて、
当たり前に火が使えて、
当たり前に電車が動いて、
当たり前にコンビニが空いていて商品が並んでいて、
当たり前に注文した荷物が届いて、
当たり前にインターネットが使える。

「当たり前じゃねえからな!」
加藤浩次さんにそう言われて初めて山本さんも気づいたことでしょう。

僕らはこのように「当たり前」つまり「日常」が失われた時、何かが起こってしまった後でしか、
その「有難さ」に気づくことができない。

それは、日常を「安定つり合い」だと考えているからだ、と近内さんは言います。

常に電力の安定供給を管理してくれている電力会社の人や、電車の安全を管理してくれている人や、深夜に車を走らせるトラック運転手や、もちろん何らかの職業に就いて働いている僕たちそれぞれが、

丘の頂上からボールが落ちないように必死に食い止めている。

それが僕らの日常なのではないでしょうか。

1つの場所にボールが静止し続けている。

それはまさしく、昨日と同じような今日が来る、僕らの日常です。

しかし僕らの日常においては、それが安定つり合いなのか、不安定つり合いなのかは、ボールが動いてみないとわからない。

けれど、実際に地震や台風、感染症の蔓延、戦争行為などが起こるとそれは不安定つり合いだったと判明する。

安定つり合いだと思い込んでいるからこそ、
電車の遅延が起こると人は苛立ち、荷物が期日までに届かなければ怒るのでしょう。

なにもない状態、つまりプラマイゼロの地点に常に居続けるために戦ってくれている人たちがいる。

つまり僕たちが暮らすこの世界は「放っておけばマイナスになる世界」だということです。

「何もない状態」というのは気づくことができないし、そこに感謝を表明することは難しいですね。

「飛行機が墜落し、〇〇名が死亡」という事故はニュースになっても、
「今日も飛行機が無事目的地の空港にたどり着きました」なんてニュースは見たことがありません。

だって「当たり前」ですからね。

僕らが日常を作っていくためには、誰にも気づかれず、称賛されずとも、
割に合わない、不公平だという交換の原理に立たず職務を全うする「誰か」が必要であるということです。

その誰かはこの社会に無数に存在します。

加藤さんではないですが、常に「当たり前じゃねえからな!」と考え、
「名もなきヒーロー」たちが丘の上からボールが落ちないように必死で食い止めてくれていることに思いを馳せることができる想像力が、
今の僕たちには求められているのではないでしょうか。

小野トロ


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