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宮古島の自然が20歳の私に教えてくれたこと


思い出した景色


深夜3:33。

ふと目が覚めた。

まだ布団にくるまり、まどろむ中で、思い出した景色がある。


20歳の時に観た、宮古島の夜道だ。


海の碧さ、空の青さ


私は20歳の夏に、宮古島で1ヶ月半過ごしたことがある。

島では、民宿の住み込みアルバイトをしていた。

(宮古島を選んだ理由、民宿への住み込みバイトにした理由もちゃんとあるのだけれど、今回は割愛。)

アルバイトのスケジュールとしては、
朝6時に起きて仕事をして、11時頃から15時頃まで自由時間、
16時から21時頃まで仕事をして、
週に1~2回は休みをもらっていた。


自由時間は、ほぼ毎日のように近くの海に行っていた。

与那覇前浜ビーチ。

東洋一、白い砂浜として有名なビーチだ。

海も、砂浜も、本当に美しくて、
何度眺めても心奪われる光景だった。

そして、

なぜだか分からないけれど、
私にとっては安心とワクワクが共存する場所でもあった。


この時、宮古島には1人で行っていた。

ずっと実家暮らしだったため、家族と離れて過ごすのも初めて。
当時大好きだった彼氏とも離れ、
毎晩のように飲み会していた友達や仲間とも離れ、

私のことを知っている人は誰もいない状況だった。

自称寂しがり屋だった私にとっては
孤独との闘いになるだろうと予測していたにも関わらず、

あのビーチに行く時は、なぜか安心感に包まれていた。

(あの感覚は本当に不思議な体験だったなぁ…)


さらに、

信号もない、さとうきび畑の中で自転車をかっ飛ばして、
海に向かうあの時間も大好きだった。

当時ペーパードライバーだった私は、
車を借りるのも、スクーターに乗るのも怖がって、
移動手段は自転車だった。

民宿から海までだいたい15分くらいだったかな。

東京生まれ、東京育ちの自分にとって、
「信号がない」「舗装されていない道」というのが
とても新鮮だったし、面白かった。


誰かと話すわけでもなく、何かを聴きながらでもなく、
視界に入ってくるものもあまり変化のない道。

その中で自転車を漕ぐ時間は、なんとも言えない感情を味わえた。

8月の宮古島はさすがに暑かった。
漕げば漕ぐほど、額と背中がじんわりと汗ばんでいく。
そこに生温かいはずの風が加わると、心地の良い爽快感を覚えた。

さとうきびの葉がさざめくように揺れている音を感じる。
むしろ、その音と、自転車を漕ぐ音しかないのではないか、
と感じられるような静けさだった。

あれはまさに、孤独だった。
この世界に、私ひとりしかいないのではないか、と感じられるような空間。

それでも、暑さや爽快感やざわめく音を感じながら
ひたすら自転車を漕いで前に進んでいる時間は、
「生」を感じられずにはいられなかった。


そして、背の高いさとうきび畑の中を走っていると、
周りの建物も何も見えず、ただただ、青く広い空が広がっていた。

海の碧さとまた違う、空の青さも好きだった。


ひとりでも、この世界を楽しめるんだと、実感した時間だった。

ただ、そんな海や空も印象的だったけれど、
さっき思い出したのは、暗く、静寂に包まれた夜だったんだ。

ひららの夜


週に1~2日の休みの中で、
私は民宿から離れた平良(ひらら)という宮古島の中では繁華街、
中心地と言える場所に毎週のように足を運んだ。


中心地と言われるだけあって、
平良にはたくさんの店舗と宿泊施設が立ち並んでいた。

正直、私の地元の方が
よっぽど繁華街なのではないかと思うほど、
施設の数も店舗の数も人口も少ないように感じたけれど、

それでも、さきほどのさとうきび畑の道を考えたら
ものすごく都会に感じられた。


私がいた民宿から平良までは、自転車だと2時間程の場所だったけれど、
それでも毎週のように自転車で向かっていた。

1人でゲストハウスに泊まり、
同じ日に泊まった人達と飲みに行った勢いで、
翌日、伊良部島へ観光に行ったこともあった。

(伊良部の自然もまた、宮古島とは違う雰囲気でワイルドだったなぁ…)

そして、とある居酒屋にひとりで立ち寄った時、
仲良くなった店員さんがいた。

『郷家』のまゆさんだ。

(今調べてみたら、14年前のお店がまだあった…!!なんだか嬉しいっ
!!
そしてここの郷家の料理はどれも本当に美味しかったの!!!
ゴーヤチャンプルー、ジーマミー豆腐、海ぶどう、紅芋コロッケ、ラフテー…
……また食べたいなぁ。あぁ…お腹すいてきちゃったよ。笑)


まゆさんは気さくに話しかけてくれて、
「一人旅してんの?良かったら仕事終わったら飲み行こうよ!」
と誘ってくれた。

平良のバーに連れていってくれて、
そこでまた初めましての人達と他愛のない話をしながら、
みんなの人生を垣間見た。


宮古島に単身で来ている人達は
それぞれに「来ている理由」を持っていた。

出張の人もいれば、退職後に移住してきた人もいたし、
自分でカフェを開くという夢を持っている人もいた。
私のように期間限定で働きにきていた人もいたし、
元カレを忘れるために来たと話す人もいた。


まゆさんは話し上手でもあり、聴き上手でもあった。

馴染みの人とも、初めましての人ともざっくばらんに話せるし、
その場の空気をパッと明るくもできるし、
「気付いたら自分の心の内を話しちゃう」雰囲気もまとっていた。


まゆさんの存在もあって、
ひららの夜では、様々な人生を聴いた。

私は当時から、『その人の物語』を聴くのが好きだった。


静寂の夜道


ひららの夜が楽しすぎて、
休みの日ギリギリまで残っていたこともあった。


深夜2時までひららにいて、約2時間かけて自転車を漕ぎ、
朝6時の出勤に間に合うように帰った。

(一度、民宿のお母さんに見つかって「もう!この不良娘!(笑)」と笑いながら叱られたことがある。笑)


深夜2時の夜道は、本当に車道なのかと見間違う程に、
静寂に包まれていた。

車もほとんど走っていないし、
信号も街灯も、ぽつ、ぽつ、としかなくて、
あんなにも夜の闇を感じたのは初めてだった。


さとうきび畑の時に感じた孤独とは比べ物にならないくらいの、
圧倒的な孤独だった。


世界でひとりだけ取り残されたような不安。

何か視えてしまうんじゃないかと思う不気味さ。

今この瞬間に、誰も私のことを考えている人はいないんだろうなと感じる寂しさ。

本当は、誰とも繋がっていないような虚しさ。


なんでこんな感情になるのかも分からない、得体の知れない怖さがあった。



ただ、あの時に感じたのは怖さだけではなかった。

この時ばかりは、
「〇〇ちゃんはすごいなぁ。それに比べて私なんて…。」と自分を卑下することもなかったし、
「彼はまた女の子と飲み会でオールしているのかなぁ」なんてよぎることもなかったし、
「こないだ先輩と飲み行った時にもっと上手く話せたよなぁ」と反省することもなかった。


いつも賑やかな脳内は、この時とても静かだった。

まるで一時停止ボタンを押されたような状態だった。

静けさを感じて、改めて常に思考が働いていたことに気が付いた。

そして、自分の息づかいの音が聴こえた。


民宿に帰りたい一心で、ペダルを漕ぐペースが速くなっていたんだ。

「はっ、、、はっ、、、はっ、、、はっ、、、」


自分の息づかいの音だけを聴くことは、なかなかなかった。


静けさの中、
ちょっと古びた自転車の車輪がカラカラ鳴る音と合わさって、
これは現実なのか空想なのか、よく分からない感覚になっていた。


今までに感じたことのない感覚だった。


今自分がどこにいるのかもわからない。
どれくらい時間が経ったのかもわからない。


それでも、ひたすらに夢中で漕ぎ続けていた。

「あっ………。」

ふと目に入ってきたのは、朝日だった。


朝日に包まれて


道沿いに差し込んだ朝日は、本当に綺麗だった。

そして、安心したんだ。


なぜだかよくわからないけれど、ものすごく泣きそうになっていた。

嬉しくて、ほっとして、頬が緩んだ。

自然と、笑っていた。


それから、帰り道に通る港に寄り道をして、
海にうつる朝日を眺めていた。

下唇を嚙みながら、泣きそうになるのを堪えていた。

(当時の私は、滅多に泣くことは無かったんだよな…)

結局涙は出なかったけれど、あれは心が震える感動だった。
と、今でも思っている。



この時の私は、孤独を恐れていた。

誰かに必要とされたくて、
「やっぱり〇〇が1番だよ」と言われたくて、
人から嫌われることが怖くって、

私の価値は他人がいなければ意味をなさなかった。


それでも、あの日の出は、陽の光は、
私を安心させてくれた。

私はひとりぼっちだったのに、心が穏やかで、満たされていた。


何故なのかは当時全く言葉で説明できなかったけれど、
包まれるような、そんな暖かさだったんだ。


海も、太陽も、私に安心感を教えてくれた。

今でもうまく説明できないものの、

生きる希望のようなものを、感じさせてくれた時間だった。


だからなのか、それとも前世とかに関係するのかは知らないけれど、

私は今でも宮古島を思い出すと恋しくなるんだ。


「またいつか、会いたいな」

そんな気持ちになる景色だった。


あれから十数年


明日、久しぶりに沖縄へ行く。

今度は3人のこどもたちとともに。

宮古島と那覇はまた全然違う景色、空間ではあると思うけれど、

沖縄の海と太陽を感じられることに、不思議な高揚感を感じている。

(沖縄と宮古島は全然違う!!と感じるのもまた面白そう…!!!)



今、人生の見直し期間であり、岐路に立っているとも思っている私にとって、

沖縄の自然に触れられることは、きっとまた、生きる希望となるに違いない。

この感覚は、確信に近いのだ。

根拠はないけどね!笑



十数年ぶりに感じる沖縄の景色に、

今の私は何を想うのか、とても楽しみだ。


またここで残そうと思う。



最後まで読んでくれたあなたに、ありがとう。

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