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悪魔な私。

半年前に、こんな記事を書いた。

罪悪感と
怖さと
恥ずかしさ。

この3つが、私の心にベタっとくっついている。

ベト~っと粘着のようにまとわりついている罪悪感。

モヤモヤと覆っている恐れ。

透明に見せかけて、分厚くて頑丈に出来てるガラスのような羞恥心。

ここの奥に隠しているものはなんだろう?

大切に、大切に、護っているものはなんだろう?

3つが無くなった時に、光り輝くものはなんだろう?

これから、ここの3つとじっくり向き合っていこう。

時々、信頼できる人たちの力を借りながら。
時々、自分の殻に閉じこもりながら。

少しずつ、少しずつ、じんわりと。

今思う、

「大切に、大切に、護っているものはなんだろう?」

の答えは、『綺麗な私』で、

「ここの奥に隠しているものはなんだろう?」

の答えは、『悪魔な私』だ。


ずっとずっと、【見せてはいけないもの】とタブー視してた存在。

見せてはいけないだけならまだしも、自分自身でも、存在すら認められなかったのだ。


「私が私でいられなくなっちゃう…!!!」

時折自分の中に湧き上がるように出てきていたこの感覚は、「綺麗な私でいられなくなる」という意味だったんだろうな。


綺麗な私は、人に合わせるのが上手だ。

相手の求めていることもよく分かる。

よく尽くし、相手の機嫌をとることに長けている。

ただ、そこに自分の意見や想いは見当たらない。

だって相手の求めることを遂行するのに、自分の意見や想いなんて煩わしいもんね。

綺麗な私を護り続けた結果、私は、本当の自分の想いが分からなくなってしまった。

とにかく人の期待に応えることに必死だった。

期待に応えていれば、ちやほやしてくれる。重宝してもらえる。

綺麗な私でいれば、私は愛されると知っていたのだ


ただ、どれだけ頑張っても、どれだけ愛しても、「足りない」「まだまだだ」と求められた。

枯渇している心に愛情を注ぎ続け、自分の意見を無視し、感情に蓋をし続けた結果、

気づいた時には頭皮に大きな穴が空いていた。

3箇所の大きな円形脱毛症。10円ハゲなんてもんじゃない。

皮膚科の先生が少し焦るほどに、異常だった。

心の異常を、体が分かりやすく目に見える形でSOSを出してくれたのだ。


さらに、そこから半年置きに、2度の高熱にうなされた。

1月はコロナ、7月は原因不明だった。

食べられない。起き上がれない。息が苦しい。寝る事以外、何も出来なかった。

ここまでになって、ようやく「頑張る」をやめられた。

人を頼る、お願いする、素直に甘えることを体験させてもらった。

周囲の人達は、快く協力してくれたし、応援してくれた。

本当に心配してくれたし、いつでも頼ってねって声を掛けてくれた。

「私はひとりで抱えすぎていたんだなぁ…。」

そんな想いに気付いた頃に、子宮頸がんの検診で異常が見つかった。

婦人科で再検査をした。

がん細胞ではなかったものの、予備軍として現在も経過観察中になっている。

さすがに危機感を抱いた。

「このまま死にたくないっ…!!!」


そんな時に、見えない世界が見える人達と出逢っていった。

彼ら、彼女たちには、私の違和感がすぐにバレた。

私の表面的な笑顔や言葉ではなく、本質を見られていたからだ。

心と言葉がチグハグであることを、見抜かれていたのだ。

私自身でも気付いていなかった部分を、人それぞれやり方は違えど、伝えてくれた。

伝えてくれる言葉をそのまま飲み込むと、刺激が強くて消化不良を起こしたこともある。

「変わりたい!!!」と望んでいるはずなのに、「え!!無理っ!!無理無理っ!!!」と拒否反応が出ることもたくさんあった。

でも、何に拒否反応が起きているのか、自分だけではよく分かっていなかった。

怖さもあったし、勇気も必要だったけれど、それでも知りたかった。

何度も何度も話したり、話を聴く中で、だんだんと私の違和感や本質や本当に求めるものが浮き彫りになってきた。


日々めまぐるしく変化していく心境の移り変わりを、自分のノートに書き溜めてきたけれど、

読み返してみても、たった3ヶ月の期間とは思えない程の濃密な時間と体験をしてきたことがわかる。

それだけ濃厚な時間を過ごしていった先に、とうとう出てきたものは「悪魔な私」だった。

「あー、そういうのマジでめんどくさい!!!」

「あたしのこと、コントロール出来ると思わないでね?」

「舐めんなよ」

綺麗な私だったら絶対言わなそうなセリフを、悪魔な私は平気ではいていく。

こんな自分が出てきてしまったら、とてもじゃないけど人の言うことなんて聞いていられない。

さらに、想いと言葉が一致しないのは、自分でも気持ち悪いのだ。

平気なフリをするとか、相手の機嫌をとるとか、

「えー、無理!!やりたくな~い。」

って、なんの躊躇もなく言い出す。


人への配慮が足らない人とか、エネルギーバンパイアのような人達に対しても容赦ない。

「舐めんなよ?」も、これはもはや「私に向けて」だけの話ではない。

自分の欲を満たすために都合よく人を支配しようとする人達全体に対しての憤りだ。


「自分の欲を満たす」ことが悪いんじゃない。

むしろそれは大切な原動力だ。欲を満たすために人を巻き込んでも、なんの問題もない。

悪魔な私の怒りは、「相手の想いを尊重せずに、都合よく人を支配し、コントロールする」ことにある。

そこに美しさを感じない。

逆に言えば、悪魔な私の確固たる美意識が、そこにはあるのだ。

「人を巻き込むなら楽しくやんなさいよ。弱い者いじめしてんじゃないよ。カッコ悪いわね!!」「人からエネルギー奪っておいて、被害者ぶるんじゃないよ。あなたの人生なんだから、自分の足で歩みなさいよ。」

自分の中からこの想いが出てきた時に、ようやく心と言葉が一致した感覚を持てた。

(言っていいんだ…。思ってもいいんだ…!!いや、むしろ、今までよく抑え込んできたよね。)

もうこの境地になってくると、本心ではない言葉が気持ち悪くて仕方ないとすら思う。

まぁ、通りすがりの人の前では綺麗な私でいるのだろうけど。

身近な人間関係で、綺麗な私だけを求める人達は、自然と離れていくのだろう。

期待に応えない。従順ではない。心地よさだけを提供してくれるわけじゃない。

「そんなあなたに興味はない」と感じる人も出てくるだろう。

「変わってしまったんだね」と嘆く人もいるだろうし、実際にそれらの言葉はすでに言われてきてもいる。

もう、それでもいい。

うん。もういいんじゃない?充分やってきたんだから。飽きたでしょ?笑

悪魔な私が出てきても、楽しんでくれる人、面白がってくれる人達と繋がっていたい。

そんなに多くはないかもしれないけれど、いいの。数人いれば。

「せっかくだからさ、楽しんじゃお?」

悪魔なんだか、小悪魔なんだか、ずるいんだか、可愛いんだか、ニヤニヤしながらワクワクしてる私で、これから先は生きていく。



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