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そうだ、工房つくろう
MNHの小澤です。
「そうだ、工房つくろう」
どこかのCM(*1)のようだが、ぼくらの中で突如そんなアイデアがわいた。
2015年の1月だった。
それまでのぼくらのやってきた事業は、ソフトウェアに近い開発の仕方だった。
商品企画を立て、OEM(*2)先に製造を依頼し、バイヤーに提案して、売り場で売ってもらう。
つまり、それまでのMNHはハードウェアを持っていない、いわゆる「ファブレスメーカ
フェンシング場をつくるのが夢だった
MNHの小澤です。
「フェンシング場をつくるのが夢だったんだ」
フェンシングの世界大会への出場経験があり、プロ級の腕前を持つMNHの菅会長が言った。
2014年の10月頃だった。
フェンシングは、太田雄貴選手のオリンピックでの活躍が注目され、今でこそ知られてきたスポーツだが、日本ではまだまだマイナーなスポーツである。菅会長は、そんなフェンシングをもっと広めたいと思っていた。
会長の熱い想
山形のフラッグシップにしたかった
MNHの小澤です。
こうしてはじめた山形の食材雑貨店「縁日家やまがた」では、販売だけでなく、たまにイベントも開催した。
年始には、お客さんやスタッフの家族を呼んで餅つき大会を開いた。知り合いの庄内町の農家さんを呼び、店の一角で農産物を売ってもらったこともあった。日常業務に忙殺されてあまりできなかったが、そのような交流をもっとやってみたかった。
…とまぁ結構楽しんでやっていたものの、この事業の
山形の食材雑貨店・縁日家やまがたオープン
MNHの小澤です。
2013年末につつじヶ丘の事務所に移転したのもつかの間、半年足らずで、菅会長は調布駅前の大きなビル(*1)の購入を決めていた。
この頃はもう、引っ越しばかりしていた気がする。
ちなみにぼくは、移転には後ろ向きで、4階建てのこんな広いスペースは必要ないと思っていた。
それはさておき、ぼくと会長は、このビルの使い道を延々と考えた。
そして、既に庄内町で事業をはじめて庄内野菜
危機一発!コロナで生まれ変わった玄米デカフェ
MNHの小澤です。
試行錯誤によりできあがった「玄米コーヒー」だが、その後に「玄米デカフェ」に生まれ変わり、ゆくゆくはMNHの主力商品になっていく。
改めて振り返ると、この商品はいくども荒波を乗りこえてきたのに気づく。
まず2014年、庄内町で「お土産品」として売り始めた頃(*)。
そもそも「玄米コーヒー」は、あまりおいしいとは言われていなかった。
発売時も試行錯誤をしていたし、味が安定する
夜な夜な焙煎して誕生した玄米コーヒー
MNHの小澤です。
2014年夏、庄内町に事務所をつくり、商品開発に挑戦していた頃(*1)。
「玄米を焙煎してコーヒーをつくろう」という話が持ちあがった。
そもそも庄内町は日本でも有数の米どころだ。
お米離れが著しい日本において、経営がひっ迫する米農家を守るため、新しいお米の価値をつくりたい。そういう実に正統的な理由からだった。
そして県をあげて推していた新品種「つや姫」を使うことになった。
これぞ商売。1からさくらんぼを売ってみよう!
MNHの小澤です。
つつじヶ丘の事務所の移転後に、社員を何人か採っていたMNH。
当時のぼくらには「彼らに何か新しい仕事をつくらないといけない」という焦りがあった。
さらに6月の閑散期(*)を前に、何か売れるものはないかと探していた。
そんな時に始めたのが、さくらんぼの販売だ。
庄内町でいろいろな事業もしていたぼくらは、山形でちょうど旬を迎えるそれに目をつけた。
現地のスタッフのツテで農家さん
ヒーローマスクで販売したらおもしろいんじゃない?
MNHの小澤です。
リアカーで山形庄内野菜を行商することを検討していた時期に、ちょっとしたこぼれ話がある。
当時ぼくと菅会長は、ある談義を重ねていた。
「被り物をすると違う自分になれる」
そんな話を聞いたことがあるだろうか?
素性を知られてないので、自分が出しやすくなるのだという。
要は、いっときでも違う自分になれるのは単純に気持ちがいい。なぜか堂々としていられる。
コスプレにはまる若者の
庄内のとれたて野菜、いかがですかー?
MNHの小澤です。
2023年に入った頃だろうか。
ぼくはあるニュースにくぎづけになった。
「都会で働いていたら、うつ病になっちゃって。
地べたに足をつけて自分で何かやっているって実感がもてる仕事をしたくて、
リヤカーで手作りシフォンを売り始めたんです」
そういって笑う、青梅のリヤカー行商の姿を見て、ぼくは息を飲んだ。
「あの時のMNHと同じだー!!」と…
"あの時"とは、2013年の夏
やっぱり無理筋?お酒の事業
MNHの小澤です。
「お酒の事業をやろう」。
つつじヶ丘へ事務所を移転した頃。ふいに会長が言った。
会長が考えていたのは、既存のお酒になにか企画を入れ、新しい価値を作ることだった。
例えば日本酒。
今でこそ「獺祭」が火付け役となりブームとなっているが、2014年当時はかなり低迷していた。そこにちょっと変わったストーリーやネーミングで工夫を加えたらおもしろいんじゃないか、と。そんなことを考え
観光地ではない地域にどうやって人を呼ぶか
MNHの小澤です。
やりたいことと法律・制度のジレンマに翻弄されながらも、ぼくらは観光免許を取ることに決めた。
企業が観光免許をとるには、まずぼくらの誰か個人が「国内旅程管理主任者」の免許を取る必要がある。「ならば全員で取ろう」とみんなでテストを受けることにした。業務のかたわらみんなで勉強したのだが、結果ぼくだけが受かった。
しかし、この事業がその後進むことはなかった(*1)。
なぜかとい
アイデアはないけど起業したい人、大募集!
MNHの小澤です。
こうして起業家の卵を育てるためのプログラムをつくったぼくらは、その運営会社を別途たてることにした。
なぜ「別会社」なのか?
株式会社MNHが起業家の卵を突然雇用をするのは、労働基準法の観点からも難しいし、雇用している社員との棲み分けもできない。
であるなら、公益的な事業柄、切り離して一般社団法人にしようと。
そうしてつくったのが、一般社団法人バトントゥザネクスト(*1)だ
社会起業家を育てよう
MNHの小澤です。
2013年の12月。
ぼくらは調布駅前のマンションから、つつじヶ丘の事務所へ移転した(*1)。
そしてこの移転の前後に、いろいろなことが「芋づる式」に起こった。
簡単にいうと、移転しながら、新会社をつくり、新事業をたちあげたのだ。
今回はこの「芋づる」をひも解いてみることにしよう。
もともと若者の働く場づくりを志していた我々だったが、「起業家を育てたい」という想いもあった
10年前と変わらない?プリントの整理ができない問題
MNHの小澤です。
MNHでは創業当初から障がい者の労力を取り入れてきた。さらに、社会にうまく適応できないために、働く場が持てない若者にも目を向けてきた。
そんな礎がある我々だが、発達凹凸の子のための事業を検討していた時期がある。
2013年の秋ごろだ。
今でこそ細かく分類されてきた発達凹凸だが、大まかにみて注意欠如・多動、学習障害、対人関係が苦手などの特性が多いと言われている。
例えば、
東京のひとにもまれてきました
MNHの小澤です。
今やMNHの大きな柱事業である「ひとスナック」。
このアイデアの発端は、「つや姫スナック」を一緒につくった、蔵王米菓さんとの出会いにある。
蔵王米菓さんがつくれる米菓の型がいくつかあり、その中に「タコ」があった。製造の都合上、4本足にしかできないのだが、これが「人の形に見える」と。MNHの企画担当が発見した。
そして、当時注力していた山形エリアで、人型スナックの企画を考え