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コトバの栽培者

 『現代の超克』の一節にある“文化の栽培者”という表現に心が揺れ動き、“ココロの栽培者”という題をポンと思いつくが、どうも違和感がある。超越していて、まだまだ深遠なテーマである感じがする故に、これからも未知なる道を探究する歩みを進めていこうと思う。とはいえ、この場では何かしら言葉を紡ぎたい。では、我々は何を栽培しているのか、しばらく想起してみよう。
 読む、書くことは植物を育てることに似ている。植物を育てるときに、種だけあっても始まらない。土に植え、水をやり、育てていく必要がある。無論、観察者として見るだけでは育たない。
 言葉もこれと同じであろう。文字としてそこにただ存在していたとしても、それを言葉だと気づかれなければ意味を持たない。言葉であることに気づき(読み)、伝達する(書く)ことによって、初めてそれは意味を持つようになる。言葉とともに暮らしていくことで言葉は自然と育っていく。そこにあるだけでは消え失せてしまうことを忘れがちだ。つまるところ、我々は“コトバの栽培者”なのである。
 付け加えておくと、一般的に言葉は文字として表されたものだが、コトバは目に見えるものとは限らず音や匂いなどのように目に見えないものもなり得る。
 彫刻家ミケランジェロ氏は「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ」と言った。芸術家は、自らが作るのではなく、存在の深みから形が浮かび上がってくるという。芸術家自身が媒介となり、形を顕現させているというわけである。ここにまざまざと与格性を感ずる。
 季節柄、りんどう祭の龍制作を回想する。梅雨による高湿度と闘いつつ、新聞を何枚貼りつけただろう。朝貼っても、夕方破れている。悲し。仕舞いには、建立時にザイルの取り付けをしくじり、胴体破損。さらに悲し。この当時、貼っているというより、龍を具象するように貼らされている感じだったかもしれない。そして、そのときの感覚に近いのだが、最近どことなく感じるのは、数学を解いているというより、流れ(イメージ)を具現化させられている。また、通信で文章を執筆しているというより、コトバが私に宿り、それを具現化させられている。凡夫の単なる思い上がりにすぎないが…。
 ところで、古文で出てくる言葉「かなし」には、愛し、悲し、哀し、美しなどがあり、捉え方(意味)が様々である。もともとは「かなし」だけだったはずだが、そのときどきの視座や心境によって、言葉の価値観が変容していったのだろう。心からの愛しさは、ときには悲しく、切ない想いをもつことはなかろうか。恋心なども含め、文化祭前の心境を詠えば、「かなし」という言葉はふさわしい。
 そもそも、なぜ言葉、コトバは生まれたのだろうか。問いは尽きない。私たちの遺伝子(DNA)には何が組み込まれ、次世代にどんな言葉、そしてコトバを紡ぎ、受け継ごうとしているのだろうか。可視のみならず、恋心のように不可視なものにもこれらは存在するが故に、樂しみは尽きない。
 
이 모든 건 우연이 아니니까 (このすべては偶然なんかじゃないから) (BTS『DNA』より)


🎵 人生相談&哲学対話ほのぼのカフェ 🎵
 
【Q30】楽しいことをしているときは時間が早く感じるのに、つまらないときには時間が経つのを遅く感じるのはどうしてでしょうか。
【A】まず、ジャネーの法則について。主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く感じられます。初めて経験するときは新鮮で、意識が強く働き長く感じます。逆に慣れてしまうと、新しい経験が失われ、新鮮味がなくなり、短く感じるのです。
 ただ、楽しいときにはドーパミンが分泌され、時が早く流れると感じ、ドーパミンの分泌が減ると時は遅く流れると感じるという研究結果もあります。やはり、子ども心のように好奇心旺盛で、常に新鮮な気持ちでいることが良さそうですね。
 
【Q31】どういうおじいちゃんになりたいですか。
【A】古川誠著『りんどう珈琲』に出てくるマスターよろしく、ダンディで知的でオーラを醸し出す人でいられたら素敵だなって思います。子どもや孫が気軽に近寄ってくるおじいちゃんでありたいです。
 
【Q32】愛とお金とどちらが大切ですか。
【A】生きていく最低限のお金さえあれば、あとは愛の方が大切だと思います。そもそもお金なんてなくても、昔のように自給自足的な相互社会であれば生きていけますからね。でも、愛が枯渇したら、繁栄せずに人間社会そのものが廃れてしまう気がします。
 
【Q33】なぜ、人間は忘れてしまうのでしょうか。
【A】もし、あらゆるものを覚えていられたら、5分程度で脳はパンクするそうです。たとえば、顔を覚え続けていられたら、隣の人を見たとき残像があるので誰であるか段々判別できなくなるでしょう。ようするに、動物の脳は効率よく忘れられるようにできています。身体の仕組みは想像も及ばないくらいに凄くて、興味が尽きないです。
 
【Q34】働くとはどういうことですか。
【A】“傍(はた)を楽にする”という意味合いがあります。哲学者の鷲田清一氏は著書『だれのための仕事』で「自分の目的ではなく限界にこそ向き合うことになるのが、仕事である。限界を感じるからこそ、働いている実感を得ることもできる。」と述べています。自分の可能性を試すのではなく、誰かのために(利他的に)限界に向かい合えたら素晴らしいですね。
 
【Q34】先生が今まで生きてきた中で一番苦労したことや苦しかったことは何ですか。
【A】2週間の過酷な教育実習による体重6kg減少、誰も信じられなくなる人間不信など様々ありましたが、やはり一番というなら交通事故を起こして家族に多大なる心配をかけたことですね。自分が苦労してきたことよりも、身近で私の身を案じてくれ、愛してくれる家族に心配をかけてしまったことは何にも代えがたい苦です。でも、すべての事実は消えませんが、今の私そのものを創り上げ、生かされています。

2022.6.10

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