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タイミングの感度

 ミニマムムーン。今月18日は今年一番小さく見える“満月”の日であった。理系の割合に、知人から教えてもらい知る。色々なタイミングで知るのは、まさしくチャンス。逃す手はない。そして、長年疑問だったのが、半分の形の月を何と呼ぶか。上弦の月、下弦の月というらしい。これ以外にも月には色々な呼び名があって、月一つに感性溢れる表現を持てる昔の人は素敵。いとをかし。
 スーパームーンと比較すると、月は地球からさらに44,000km遠くなる。この差に至極驚愕し、混沌状態。月は自転しながら、地球の周りを公転するが、何億年もかけて2つの周期が同じになったため月は片面しか見られない。裏側を見たい欲望はあるが、この同期自転という現象の方がより魅了的だ。月がある故に、海の満ち引きがあり、多様な生きものが存在し得る。月がなくなると、1日のサイクルは6時間になり、地軸の傾きの変化によって様々なバランスを崩す。やはり、月さまさまである。
 さて、事物にはふさわしいタイミングというのがある。これは“流れ”といってもよい。勉学で言うなら、いきなり応用問題に取り掛かっても心が折れる。鍛錬もしていないのに、フルマラソンを走れば逆に身体を壊す。今でも思い出すが、中学生の時にバレンタインで休み時間にチョコを配っていた女子に「チャイムが鳴ったからあとで」と言ったら、受け取り損ねた。恋愛、結婚、出産、…。タイミングが早ければ受け流され、遅ければもうそこにはなかったことになっている。どんなことにも絶妙なタイミングというのがあるわけだ。ただ、その感度をあげるのはなかなか難しい。
 地球が常に同じ速度で自転していないように、ゆらぎのあるリズムの中であらゆる事物は起こっているから、同じように見えても同じものなど存在しないのだろう。そのリズムたるものが流れであり、それを感じられるかどうかはその人独自の感性に委ねられる。月が綺麗だと思う感度も人によって異なる。勿論、誰もが綺麗だと思う必要はないし、どう捉えるかはその人の感性により様々である。
 今年度のテーマである「思えたら聴こえる」(金城幸政氏の言葉)は、まさしくタイミングのことを示す。思えるかどうかは、絶妙なタイミングで必然的に訪れる。そのチャンスを掴めるかは一瞬だ。迷ったり、悩んでいたりして、どうにかならないこともある。身体からの聲を織りなす「直観」で、すぐに反応する。やりたいと自分が“心地よく”感じたならば、先のことばかり考えず行動してみるのは大切。あとでやろうと思ったことは大切でないというか、タイミングでないのかもしれない。
 ビッグバンから始まり、絶妙なタイミングの連続によって、我々は“いのち”を授かり、この世で生きている。勘違いしそうだが、ヒトだけでなく日頃から食べているものも生きものである。谷川俊太郎著『しんでくれた』は、食べ物への感謝を表した絵本である。他者のいのちがあるからこそ、自分のいのちがある。我々は、今、生きている。否、生かされている。それを忘れてはならない。
 ドラマ『ナイト・ドクター』の、琴音さんによる歌『君は生きてますか』をしみじみ聴き入る。これを聴くたびに、「何のために生きているか」を考えさせられる。

♬M.M. の「哲学対話P4S」コーナー♬

〇鬼のイメージがどうして定着したのでしょうか。
 まず、「節分」ですが、字の如く、季節を分けることを意味します。二十四節気である立春、立夏、立秋、立冬の前日であり、実は4回あるのです。一般的に馴染み深いのが、立春(定気法により太陽黄経が315度になった瞬間が属する日)の前日で、2月3日頃です。しかも、太陰太陽暦では、元日とともに、この立春は、新年と捉えられていました。
 節分の日には、“鬼を打ち払う”、“豆を投げ与えて恵み、静まってもらう”という意味を込めて、豆を撒いて、豆を食べる厄除けをしたりしますね。そもそも、昔から、豆を含む五穀には霊力があり、撒いた場所は清められ、聖域になるという考えがあります。
 さて、『鬼滅の刃』は大ヒット中ですが、「鬼」のイメージがどうして“2本の角と虎柄のパンツ”なのでしょうか。
 漢字の「鬼」は死体を表す象形文字で、人は死んだら鬼になると考えられていました。鬼とは、死者の魂そのものであり、姿のないもの(実体のない存在)とされました。その存在を、「モノ」と呼び、怨念を持った霊や邪悪な怨念を意味していました。平安時代になり、仏教思想の影響で、鬼が地獄の鬼のような実体を伴う怪物として認識され始め、“この世ならざるもの”という意味の「隠(おぬ)」と呼ばれ、「鬼」に変容していったようです。
 鬼は大きく分けて、赤、青、黄、緑、黒の5種類が存在します。仏教における5つの煩悩のことを五蓋といい、鬼の色に当てはめています。因みに、赤鬼は貪欲、青鬼は瞋恚、黄鬼は掉挙、緑鬼は惛沈、黒鬼は疑惑です。
 そして、鬼の外見でイメージされるのが、パーマをかけたような縮れた頭に2本の牛の角を生やし、腰には虎の皮でできたパンツを穿き、手には金棒を持った姿です。風水上、鬼が出入りすると言われる「鬼門」は北東を指します。昔の方角でいうと、丑寅の方角です。それが由縁で、頭が牛で、下が虎という鬼の姿が生まれたというわけです。
 ところで、今年の恵方(歳徳神という神様がいる場所を指す方角)は「北北西やや北」です。そちらを向いて、願い事を思い浮かべながら恵方巻を食べましょう。

 色のことが出ましたので…。色を表現する際、「赤、黒、白、青」は“赤い”というように“~い”という言葉があります。しかし、「茶、黄」は“茶色い”というように“~色い”という表現だけです。“茶い”とは言いません。不思議ですよね。
 昔から日本語が持っていた色は4つで、上述している赤(明)、黒(暗)、白(濃)、青(薄)です。これをもとに派生した日本語はたくさんあります。「真っ赤な太陽」は、赤くなく、白く見えます。ここには明るいという意味が込められています。また、「青りんご」における青には淡いという意味があり、まだ熟していないりんごとなるわけです。
 このように、この4つの色は色そのものを単に表すのみならず、様々な心情や状況を表しているんですね。『枕草子』の冒頭に、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる 雲のほそくたなびきたる」とあります。“白く”には、ただ色を表しているわけではなく、濃さも含められています。こういうことを知ると、文章の味わい方も変容してきそうですね。

 節分ゆえに、拙文でした(笑)。良き一週間を。

2022.1.21

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