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[理系による「アート」考察] 川端康成"雪国"(1937) ➡文章で絵を描いた小説

ノーベル賞作品で敷居が高いですが、チャレンジしますね。

ゴリゴリの理系の言わせると、かなり難敵でした。結局、何が良いんだ?、に集約されます。なぜなら論理的整合が取れないところばかりだからです。基本、感受性で読む作品だと認識しており、文系脳のほうがより楽しめるのかな、と思っています。

が、理系脳でも説明できることが発見できたので記述しますね。

この人(失礼な言い方ですが、なぜこう言うかは最後に記載します)、画家です。かみ砕くと、文章で絵を描こうとした人です。"雪国"は風景画もありますが、メインは女性画で、色々な背景、色、演出で女性を描いています。

からくりとしては、この人、目からインプットされる文章から、どのような画がアウトプットとして脳内に描かれるかを知り尽くしています。よって、筆で絵を描くのではなく、文字で絵を描いています(正確には人間の脳に絵を描かせる)。で、その絵が芸術の域にまで達するように文字を操作しています。

技術者っぽい表現だと、AIのアルゴリズムを熟知していて、データ学習させたそのAIに、どんなデータをインプットすると、どんなアウトプットが出るか知り尽くしています。よってアウトプット情報で人間が感動できるように、インプット情報を作成しています。つまり、インプット情報操作の偉人です。

美しい日本語表現、とよく聞きますが、そうではなく、美しい画を脳に浮かばせるための日本語表現、のほうが正しいです。

古美術などを収集・鑑賞していたことでも有名ですが、おそらく、鑑賞により抽象芸術の美しさの言語化を半分仕事・半分趣味としてやっていたのではないかと思われます。

つまり、
なぜ美しいかを考える

なぜ美しいと脳が感じるかを考える

脳が美しいと感じる過程を理解する

上記と同じ過程を喚起する日本語表現を探す
を繰り返していたのではないかと。

最後に、この人、な書き方をした理由ですが、
AI(人間の脳)とインプット情報を完全に掌握されているので、我々凡人はもはや敵わないのは重々承知なのですが、自身がその立場にあることを知ってか知らずか(たぶん知ってる)、"雪国"の主人公の島田って(おそらく川端康成本人も多分に入っている)、凡人の営みをただ上から眺めて楽しんでる気配があり、なんか卑怯なんですよね…(駒子とシンクロ)。だから、尊敬できない…

という印象を抱かれることも知っているはずで、もはや川端康成の手のひらで転がされているようで、なんか悔しい…



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