見出し画像

今までずっと自分自身の恋愛を語ることに対して抵抗を覚えていた #恋愛

昔から「恋バナ」は好きだったけど
「自分の喋る恋バナ」は嫌いだった。

「下ネタ」も好きだったけど
「自分の喋る下ネタ」は嫌いだった。

この矛盾する気持ちが処理し切れず、ずっと悩んでいた。人の恋愛話にはぐだぐだ付き合うけど、いざ自分のターンになって話す時にものすごく抵抗感というか、それを拒否したくなる気持ちに苛まれることがよくあった。そして、この矛盾がなぜ生じるのかも正直よく分からなかった。

中学には、多感な時期なので変わり者や優等生はグループを形成できなきゃいじめられるかもしれない。そんな時に恋愛とか女子との接し方でヘマすりゃどうなるか想像できない。とにかく笑いものにされるのが嫌で嫌で、全力で遠ざかっていた。

高校の頃はそれがピークで、クラスの1軍の女子がギャハギャハ言いながら恋愛話してるのはあまりにも見苦しかったし、ちょっと下ネタでいじられようもんならブチギレて教室を飛び出したりしたし、その拒否感は半分アレルギー的なものになったりもしていた。

なまじ「女子を敵に回すことの怖さ」がわかる分
下手な立ち回りができず、かえって足がすくむ。

そんなんだから尚更思うのである。
この拒否感はどうやったら変化するのかと。


しかし、24歳になった今。ようやくその気持ちが咀嚼して飲み込めるようになってきた気がする。急な心の変化に驚くばかりなのだが。

その心の矛盾は多分、見た目に相反するような大胆なことをいうことによって起こる「苦笑い」とか「好奇の眼差し」がたまらなく嫌だったから、ということに終着するのだと思った。

自他ともに認める優等生タイプな私。第一印象でもまず先頭に「真面目そう」って言うのが来るのが学生時代の私だった。でも、他の人と同じように恋だってするし、欲求に駆られるままに性的なことだって考えるし、人を選べばそういう話はできたし、人並みに彼女も居て素敵な(って自分で言うのも恐縮だが)恋愛もしてきた。

でも、いざ恋愛について自分が語れば、それはつまり「俺らが見たことない真面目な瑞野くんの知らない顔」がスッゲー見られるから、もう面白くてしょうがないんだろうな、と。

ある種、人のことをエンターテイメントとして捉えるふしが学生の頃のみんなの未熟な心にはあったのかもしれない。そういう人の邪な気持ちが嫌で、全力で遠ざかっていたのだろう。おそらく。


でも社会になったら評価のものさし、存在価値、人間関係、全てが目に見えてガラリと変わっていった。学校は会社と違い義務で来るところではない。契約上発生するお金をもらい、そのための犠牲として発生する労働をするための場所。いわば、ビジネスライクな環境。

そうなったら、恋愛なんて所詮「組織の中のコミュニケーション潤滑油」になる。社内恋愛でもしない限りは恋愛と仕事は切り離され、それが直接的に自分自身の批判や仕事の評価に繋がることもまあ少ない。

まあなんというか、いい意味の無関心?
喋りたければ喋れば?って空気感になったのだ。


だから、もうそろそろいいんじゃないかと思った。そういう自分の「恥ずかしいと思っていた面」を肯定しても、と。

平たく言えば「別に好きにしていんじゃね?」
って気持ちになった。誰にどう思われても
最後は自分の気持ちだけでどうにでもなるし。

むしろ素直な思いを話す機会に恵まれない社会人生活の中で、このままずっと素直じゃない自分のままままでいいのだろうか。そう考えると「恋愛話」って話すのは難しいけど、でも一番自分に素直になれる瞬間なんだろう。

その瞬間、絡まった糸がほぐれた気がした。


自分からしたら革命的な価値観の変化が起きたのだが、それを理解してくれる人がどれぐらい居るのかも不安だ。なので、とりあえず書くだけ書いている。

ただ一つ僕が確信していることは、周りを怖がる気持ちがスーッと潮が引くようになくなっていく今。一回この辺で肩の荷を下ろして、素直「恋愛」や「性」と向き合って曝け出すこと。それがもう一段自分の精神を強く熟したものにしてくれるような気がするのだ。それだけだ。

これが正しい答えになるかどうか、じゃなくて
正しい答えにできる人生を歩むように。
ちょっと、自分なりに楽しんでみようと思う。



おしまい。



こちらの記事もおすすめ。↓

この記事が参加している募集