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食っても食っても腹にたまらない幸福感

私たちは、毎日幸福という奴を貪り食っている。この幸福を貪り食うために、毎日必死に働いている。

幸福感、それが欲しいから、私たちは毎日汗水たらして働く。そしてその働いた報酬としてお金をもらい、そのお金で幸福感というものを買って自分を満たしたつもりになっている。

どれだけ働いても、私たちは、この腹が一杯にならない。沢山働いて、多くのお金を手にして、そのお金を持って、幸福感ってやつを多量に食らう。でも、どれだけ、その幸福感というものを食べても、すぐに又その幸福感ってやつをこの腹に納めないといられなくなる。

幸福感が欲しい。でも、その幸福感を得るには、沢山働き、その対価として手にする事が出来るお金がなければならない。

私たち人間というのは、この幸福感ってやつでこの腹を存分に満たしたいらしい。でも、私たちが欲しがっている幸福感ってやつは不思議で、食べても食べても腹が一杯にならない。もっと言えば、食べれば食べただけ、いや、それよりももっと食べれば、食べた以上に、私たちはもっとその幸福感が欲しくなる。

沢山のものを食らって、この身を満たしたくなる。となると、私たちは、目の色を変えてお金を稼がないといけなくなる。お金がなければ、幸福感を食らう事が出来なくなる。幸福感を食らう事が出来なくなれば、私たちは完全にエネルギー不足になる。幸福感ってやつを食っては、お金の為に働き、そして又、そのお金で幸福感ってやつをその腹におさめる。

私たちの日常はこの繰り返し。一生懸命働いては、絶対に満たされる事のない幸福感を買って食らう。お腹が一杯になるのはその時だけで、私たちはすぐに空腹感に襲われる。だから、又この幸福感を買うために、汗水たらして必死に働く。

よくよく考えてみると、こうした私たちの日常というのは、ただこうした事の繰り返しという事になる。食べても食べても満たされる事のないものを追って、私たちは毎日働いているという事になる。

幸福感が欲しいから、働いている事になる。働かないと、幸福感を手にする事が出来ない。だから、私たちは働いているという事になる。お金がなければ幸福感を食らう事は出来ない。

幸福ってやつを食っては、すぐに空腹になり、そしてその腹を満たす為に又お金を稼いで、その腹を満たす。私たち人間というのは、こうした事を一生繰り返していくのだろうか?

食っても、食ってもすぐに空腹になる。それが何故なのか考える事無く、ひたすら食う。

私たちは、お金を稼いで幸福というものを食って、その腹におさめているとそう思っているけれど、もしかすると、この食っているというこの行為自体が幻想であるのかも知れない。

食っても食っても、すぐにお腹が空く。これはもしかしたら、何も食ってはいないという事になるのかもしれない。私たちは、食ったつもりになっているだけで、実際には、何も身になるものは食べていない。つまり霞の様なものを食べているに過ぎないのかもしれない。

私たちは食べたつもりになっているだけで、本当は何も食べてはいない。その腹にはなにも収めてはいない。つまり、私たちが必死にお金を稼いで幸福ってやつをこの腹におさめても、それは全てが幻想という事になるのかもしれない。

私たちは食べたつもりになっているだけ。お腹一杯になったつもりになっているだけ。実際は何も食べてはいない。これこそがもしかしたら真実なのかもしれない。

食っても食っても満たされない。私たちがこの社会で食わされている幸福ってやつは形がある様に見えて、実際には何の形も実体もないものなのかも知れない。

その何の実体もないものを、私たちは高いお金を払って買わされているのかも知れない。あると思い込んでいるだけであって、実際には何もない。だから、この腹も、そして身も心も何も満たされない。

私たち人間は、何の実体もないものをただ在るとそう思い込み、そのものによって、自分は豊かになれるとそう信じて生きているだけなのかも知れない。

幸福を腹いっぱい食らう為に働く。働いて、幸福だと信じ込まされているものを買い、それを食らう。それで私たちは、本当に幸せなんだろうか?

お金を出して幸福を買う。これってよくよく考えてみればおかしな事なんじゃないだろうか?一生懸命働いて、そのお金で幸福を買おうとしても、その幸福なんて、お金でかえるものではないとしたら、私たちは、ただ幸福という作られた幻想に、ただ無駄金を投げ捨てているだけだったりするんじゃないだろうか?

もし、本当にお金で幸福ってやつを買えるとするなら、どうして今私たちはこんなにも満たされていないんだろう?汗水たらして働いたお金は、本当に幸福ってものに還元する事が出来ているのだろうか?

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