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ポジティブが作る脆弱な人間性
明るくて、楽しいものしか見ない。聞かない。ポジティブなものしか見ない。聞かない。そういう人が多いが、それで本当にいいのだろうか?
ネガティブなものを見ると、確かに気分は落ち込む。国内をはじめ、世界各国で目を伏せたくなるような、耳を塞ぎたくなる様なそんなニュースが連日放送される。
こういうニュースを見てしまうと、テンションが下がってしまう。気持ちが暗くなってしまって、その日一日の生産性が落ちてしまう。だから、そういったニュースは絶対に見ないで、ひたすら、自分の気分を上げてくれる楽しいニュースや記事だけを見ている。その方が精神衛生上絶対にいいからとそう多くの人は言う。
それに自分の人生にネガティブを少しでも入れてしまったら、何もかも上手くいかなくなってしまうとそう思い込んでいる人も少なくない。ポジティブなものだけで自分のその身を囲って、ネガティブなものは何も自分に入れない。そうする事で毎日とてもいい気分で生きていける。それに自分のテンションも落ちないから、その日一日の生産性も落ちなくて済む。皆そう言って、自分の見たくないものは、なるべく見ない様にしている。ネガティブなものは、自分に何の良い影響も与えないとそう皆思い込み、徹底的に、自分にネガティブなものが入ってこない様にしている。
ポジティブなものしか、自分に取り入れない。ネガティブなものの一斉排除。これって本当にいいことなのだろうか?
私たちには知る権利というものがある様に思う。もっと言えば、知らなくてはならない権利があるともいえるのかもしれない。嫌だ!嫌だ!といって、自分の見たくないものを見ないでいる事は簡単。自分の見たいものだけを見て、それで自分の生活をポジティブなものだけでまとめあげる事もとても簡単な事。でも、それでは私たちは、今ここにある現実と何も向き合っていないという事になる。
どんなに嫌でも、私たちは、この世界に起こっている事をその目で見なければいけない。その目で見て、耳で聞かなければいけない。嫌だ!嫌だ!自分のテンションが下がるから、そうしたものに触れたくないというのは、今こうして私たちの目の前にある現実からただ目を逸らしているだけなのではないだろうか?
ポジティブな事に焦点を当てるというのは、決して悪い事ではない。でも、それは目の前にある現実をしっかりと見た上で、そういうものをしっかりと認識した上ですべきことなのではないだろうか?
私たちは自分たちの目の前にある現実というものを何もみようとしない。何も見ようとしないで、何も認識しようとしないで、自分に都合のいい世界だけを見ている。それでは、この世界を、そしてこの世界に生きる私たち人間を真に理解する事など出来ない。
心がえぐられるようなニュース。その日一日のモチベーションを一気に崩されてしまうようなニュース。そういったニュースもそれらは皆、私たちの目の前に実際に起きている事。それは私たちが知らなければいけない事。そうした事を何も知ろうとはせずにいるのは、ナンセンス。
ただただポジティブを求める。今の私たちはそんな生き物のような気がする。大変な現実がここに在り、それを私たちは一人一人しっかりと見なければいけないのだが、それを見るのは精神的にしんどい。だから、それらを見ようとしないでただただポジティブにはしる。自分の気分を上げてくれるものだけに執着して、自分の気分を下げてしまうようなものには一切触れない。それで本当にいいのだろうか?
私たちは本当に狭い価値観の中で生きている訳だけれど、それはよくよく考えてみれば、そういった狭い価値観の中に私たちは自分で自分を押し込めているだけなのではないだろうか?
知ろうとしない。もっと世界の事を。この自国で起きている事を知ろうとしない。それを知ると、苦しくなる。だから、見たくない事からは目を背け、知らない事にしておく。それで自分の精神的な面を皆必死に守っている。
知らなければ、確かに自分が精神的に追い込まれたり、打撃を受ける事はない。ポジティブな事だけで自分の身を固めていれば、それほど幸せな事はない。でも、それでは自分の持っている世界観はどんどんと偏狭なものになっていく。自分ではそれで自分の精神的な面を守れたとそう思っているかもしれないが、でも実際は、そうする事によって自分というものがとても小さなものになってしまっているという事を忘れて欲しくない。
見たくない。聞きたくない。触れたくない。そう言って、何もかも拒否して、ポジティブなものだけで身を固めようと私たちはしているけれど、今私たちがしているそう言った行動というのは、ただの現実逃避でしかないと私は思う。
今此処に実際にこうした事が起こっているというのなら、それを現実の事として受け取らなくてはいけない。それが嫌だからとか、テンション落ちるからとかそういった理由ではなく、それが今自分たちの目の前にある現実であるならば、それをしっかりと受け入れなければいけない。それを避けては通れない。嫌だ、嫌だ!といって、そういったことから目を背けていいことにだけ意識を向けていたら、この世界はもっともっとひどい事になる。
現実を見る人間が誰もいなくなったら、この世界は終わり。どんなに目を伏せたくなるような、耳を伏せたくなるような事でも、それがこの世界に起こった現実であるならば、それを私たちはちゃんと知らなくてはいけない。そう言った義務が私たちにはある気がする。
いい事だけを見ていては進化はない。ポジティブはとてもいい事の様に語られているが、そのポジティブが、今現実をその目で、耳で捉える事の出来ない脆弱な人間を作ってしまっているのも確かだ。
やたらめったら、ネガティブな事を避けようとする事ではなく、それが自分たちの目の前に実際に起こっている現実であるならば、それをしっかりと受け止める必要がある。何でもかんでもネガティブなものを自分の人生から削除する事ではなく、しっかりと認識しなければならない事は認識しなければいけない。それがどんなに大変な事であっても。私たちが本当の意味で避けるべきものというのは、目の前にある現実ではなく、何の根拠もなくあちこちに漂っているネガティブな情報であるべきなのではないのだろうか?
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