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死はキラキラと光っていつでも私たちを魅了する。

私たちは、毎日何かに追われている。毎日、毎日必死になって前に進んでいかなければ、後ろから大きな口をあけた社会という魔物が追いかけてくる。少しでも休んでいたら、その後ろから追いかけてくるその魔物に足を食われる。

私たちは自分ってものを失いたくなくて、必死にこの魔物から逃げる。

私たち人間というのは、この自分の後ろから追いかけてくる魔物から逃げる事しか出来ないのだろうか?

何故、毎日自分を追いかけてくる魔物と私たちは、対峙しようとしないのだろう?私たちは、ただ毎日息を切らして、この自分の背後から追いかけてくる魔物から逃げるだけ。振り向いて、何故この魔物と私たちは対峙しようとせずに、あちこち逃げ回っているのだろう?何を私たちは、怖れているんだろう?毎日、毎日、必死になって逃げて、それでいつかこの自分を追いかけてくる魔物から永遠に逃げおおせる事が出来ると思っているのだろうか?

振り向いて自分を飲み込もうとするそのものと何故、私たちは対峙しない?何を私たちは、怖れているんだろう?

自分を追いかけてくるその魔物に、いくら怯えて逃げ回っていても、何も状況は変わらない。私たちは逃げるのをやめて今こそその自分を飲み込もうとするその魔物と対峙しなくてはいけない。

自分のその目で、しっかりと自分が一番恐れているものを見ないといけない。どんなに逃げようと、その事実を色々な言葉で装飾しようと状況はかわらない。

私たちが今戦うべき相手は、自分の背後から自分を追いかけてくる魔物。その魔物に私たちは打ち勝たないといけない。自分の敵は自分の中にいる。自分の中にいるその魔物を倒す事が出来なければ、その魔物がこの現実社会の中に別の姿を持ってあなたを苦しめる。

自分の外にある世界とは、その全てが自分の内面にある世界の映しに過ぎない。

この世界がくだらない、つまらないそう思うのなら、その原因は自分の心にある。だから、この世界をそう見せてしまっているその原因を持つ自分の心の中に棲む魔物と私たちは対峙しないといけない。

どんなにつらくても、自分を助ける事が出来るのは自分しかいない。誰かに頼って、自分を救え得るわけではない。彼らは、ただのサポートであり、かれらによって、自分が助けられる事はない。

私たちは、自分の力によって深く暗い闇に囚われた自分を、光の世界に救い出さないといけない。

誰を頼ってもいい。誰を支えにしてもいい。でも最後は自分で立つしかない。

死というのは、いつでもキラキラと光っていて、私たちを魅了する。死こそ美しいものはないと、そう死は私たちに囁く。死んで何もかもなくなってしまえば、それほど美しい事はないとそう死は、私たちに語りかける。

でも、その死の言葉に耳を傾けてはいけない。本当に美しいものというのは、闇から立ち上がった自分のその姿にある。

死が美しいのではない。本当の美しさとは、苦しみを超えて掴んだ光と共にある。死がキラキラして光って見えるのは、私たちが、死を素晴らしいものだとそう思い込んでいるから。

これ以上ないほどに十全に自分を生きた!そう言い切れる時にだけ、死というのは、本当の美しさを表す。自分を十全に生きた時、その時死とは、私たちにこの世のものとは思えない美しさをその目に写してくれる。

だから、その美しさを見る為に今がどんなに辛くても、とにかく十全に生きて欲しい。自分が死ぬときに、偽りの美しさではなく、死の持つほんの一瞬しか垣間見せないその美しさに私たちは包まれ最後を迎える事が人間としての一番の幸せなのかも知れない。

頑張ろう!死が一瞬しか垣間見せない美を持つというのなら、何が何でもその美を自分のこの目で見てやろう!




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