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過ぎたるは及ばざるが如し

自分の中に恐れの感情を持っている事はとても大切な事。

でも、この恐れの感情を強く持ちすぎていると、私たちは悪に転じてしまう。逆にこの恐れの感情を持たなすぎても、私たちは悪に転じてしまう。

ありすぎることは、悪であって、又、なさすぎるのも又悪になる。

人間として機能するには、この両端をバランスよく自分の中で維持しないといけない。

義務感。これも持ちすぎていては自分が破綻してしまう。逆に持たなすぎても、自分が維持できない。これも又人間が悪に転じてしまう一端となる。

罪悪感。これも同じ。自分の中で強い罪悪感を持ちすぎていると、この罪悪感によって、自分を過剰に痛め付ける事になる。逆にこの罪悪感がなさ過ぎれば、やはり、私たちは悪に転じてしまう。

この三つとも、在りすぎれば、自分で自分を苦しめる事になるし、逆になさすぎれば、その何もかも欠如してしまっている自分が他人を苦しめる事になる。

人間というのは、この三つをいかにバランスよく自分の中で維持できるかがとても大切だったりする。

自分を苦しめる事が多い人は、この三つを過剰に持ちすぎている可能性がある。逆に他人を苦しめる事が多い人は、この三つをあまり持っていないのかも知れない。

持ちすぎていれば、それは自分に苦しみを与え、それを持つ事が少なすぎれば、私たちは他人に苦しみを与える事になる。

何でもそうだが、全てはバランス。

自分の中に恐怖心を持つ事も、義務感を持つ事も、罪悪感を持つ事もとても大切。それが何もなければ、私たちは悪に転じてしまう。でも、逆にそれがありすぎる事も又、私たちを悪にしてしまう事も大いにある。

自分を苦しめてしまう人も、そして他人を傷付けてしまう人も、この自分の中に持つ三つのものの、バランスが著しく崩れている様に思う。

バランスの良い状態でこの三つを自分の中で持つ事が出来れば、恐怖というものも、義務感というものも、罪悪感というものも、私や他人を傷付ける事はない。これらは、私たちを決して不幸にするものではなくて、私たち人間を維持する為には必要なもの。これを上手にコントロールする事が出来れば、私たちは、自分との関係においても、他人との関係においても良好な関係を維持する事が出来、この社会も上手く渡っていく事が出来るんじゃないかと思う。

私たち人間というのは、まるで風船の様。膨らませすぎれば、割れてしまうし、だからと言って、なにも膨らませなければ、しぼんでしまう。

何事もちょうどいいあんばいというものが在る様に思う。

お料理を作っていると、これはとてもよくわかる。味が濃すぎてもおいしくないし、だからと言って、味がなさ過ぎても、これまたおいしくない。

何事も、塩梅(あんばい)。これがとても大事なんだろうね。

ありすぎる事は、これはこういうものだっていう合理主義的な考えを生むし、これら三つがなさ過ぎれば、なんだっていいだろう?なんだってありだろう?っていう都合のいい相対主義的な考えを生んだりする。

ありすぎれば、その視点は狭くなるし、なさ過ぎれば、その視点は何処までも際限なく広がって行ってしまう。

狭い所に押しやるのではなくて、だからと言って、何の制限のない所に解き放つのでもなく、一番ころ合いが良い所に人間は位置して、そこで生きる事がとても大切な気がする。

法でガッチガチに縛り上げれば、私たちはそこに苦しみを覚えるし、だからと言って、何の法もない無法地帯にしてしまえば、そこで私たちは苦しみを与えられる事になる。どっちみちこのどちらに属しても、私たちは苦しみから逃れられない。だとしたら、やはり、このどちらでもないその真ん中、ちょうどいい塩梅、中庸なる場に私たちは位置する事が大切なんじゃないかと思う。


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