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腐ったこの世界の臭いも嗅ぎ分けられないほどに落ちぶれた心

生きるってのは、こんな生ぬるい世界の中に身を置く事じゃない。

もっともっと気を失ってしまいそうな強烈な世界の中に身を置く事だ。

狂ってしまいそうなほどに強烈な世界の中に身を落とす。その世界の中で何もかもわからなくなり、めちゃくちゃになる。それでこそ、私は生きているとそう感じられる。

正常である事。それは私からしたら、生ぬるい。もっと狂ったように生きたい。そうする事でしか私は私を感じられない。

私にとってのこの世界はあまりにも生ぬるすぎて気持ち悪い。こんなにも気持ちが悪い世界に私たちは生きているのに、皆何故、それに気が付かないのか?それが私からしたら不思議だ。

世間は私の事を狂っているとそう言い指さして笑う。でも、私からすれば、そういった人たちこそ狂ってる。何も感じられないほどにその心が鈍感になって何にも感じられない。心の持つその嗅覚を失った奴の言葉なんかに絶対に私のこの心は屈したりはしない。

そういう人たちを見るたびに、私のこの心の嗅覚はまだ何も鈍ってはいないってそう確認できる。私はちゃんとこの世界の臭いをかぎ分ける事が出来ていると。

生ぬるくて、何も生きている実感を持てないこの世界で皆声を揃えて生きているとそううそぶく。

生きているっていう事が本当はどういったことなのか何もわかっていない様に見える。生きるってのは、こんな生ぬるい世界の中に足を突っ込んで生きる事じゃない。その頭を地獄の中に突っ込んで、その地獄の裂け目をこの目で見る事だ!それほどに生きるという事は強烈な体験だ!

生きるってことはそれほどに苦しくて強烈な事。そこまでして初めて、その先に自分ってものが見えてくる。今この自分を作っているものなんか本当の自分だなんて言えない。こんなものは自分じゃない。これを壊す為に、私たちはもっと強烈で鮮烈な生命のその泉の中に落ちていかなければいけない。

そこでしか、私たちは私を本当の意味で体験する事なんて出来ない。私は今あるこの自分を皆の様にいとも簡単に自分だなんて認めない。今ある自分を否定して否定して、そして、絶対に自分の中に本当の自分てものをみつけてその自分を生きてやる!!それが私が思う人間として在り方だ。

偽りだらけの自分を私は自分だなんて認めない。そんな気持ちが悪いものを私は私と認めない。私ってものはもっともっと純粋であって綺麗で美しいはず。その美しさを死ぬまでに絶対に感じてやる。


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