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人間が企む人間の野獣化計画

不安によって、私たちはより強烈に結びつく。不安というものを互いに共有する事で私たちはより強固に結びつく。

人々が同じ不安や恐怖というものを皆で共有した時に、そこには恐ろしい力が生まれる。

この不安を共有した者たちが作り出す力というものは、盲目的でとても恐ろしい。

不安を共有した人たちが持つ意識というのは、自分たちは正しいという意識。この意識が大勢の人間の間で共有された時、そこには正しい人間と正しくない人間というものが生まれる。

不安を共有した人間というのは、ある種特権意識の様なものを持ち、自分たちには、特別な力があると思い込む。そしてその力が、この今ある世界を二つに分断していく。

不安や危機、そう言ったものを共有する人間たちは、自分たちが正しい行いをしているとそう信じ、自分たちの行動は完全なる善であると思い込む。そうなると、善である自分たちは何をしてもいいという思いに人間は捕らわれる様になる。

善なるものには、何か特別な権限でも与えられた様なそんな錯覚に人間は陥る。正しい事をする者は、正しくない事をする人間を制御してもいいというそう言った思いを持つ様になる。

私たちは警官ではない。けれど、こういった時には、善なるものが、特別意識を持ち、一部の人間を制御したり、差別したりする様になる。ここに一種の人種差別が生まれる。

今この世界は善なるものと悪なるものこの二つに分断しようとしている。支配的な力を持つ者と、その支配的な力を持つ者に支配されるもの。そうした極端な二分化が起こってきている。

自分の事を正しいと思う人間というのは、何をしても自分は善であると、そう信じているので、自分の取るその行動のその全てがいかなるものであっても、それが正しいものだとそう信じてしまう。そして、こういう人間ほど、強い正義感と、強い使命感にその身を捕らわれてしまい、バランスの取れた考えを持つ事が出来なくなってしまう。

自分が悪者を成敗しなければいけないというそう言った思いに捕らわれ、まるで自分が何かの映画のヒーローになった様なそんな気分になる。

この強い正義感、使命感を持つ者こそが、この世界をおかしな事にしてしまっているという現実もあるという事を知ってもらいたい。

人間というのは、自分を上手に制御する事など出来ない。私たちはいとも簡単に自分をコントロールされてしまう。いとも簡単に自分のバランスを崩されてしまう。

私たちはほんの少しの事で自分を制御不能なものにしてしまう。私たちの持っている理性なんてものは、ほんの少しの事で崩れてしまう。私たちは自分で自分を強く律しない限り、ほんの少しの事で狂暴化し、そして獣同然となる。

今世界とはまさにこうしたさなかにある。皆、盲目的になり、自分の中にあるバランスを欠きそして理性を失い狂暴化した獣になってしまっている。そしてその理性を失った獣が、街で、お互いに闘争を起こし始めている。

私たちは自分でも知らない内に獣化してしまっている。野獣化してしまっている。私たちには、人間としての理性がある。でも、そのバランスの取れた理性、これが今壊されつつある。この世界の人間が全て野獣化すれば、皆が皆自分の領土を守るために喧嘩になる。そうなれば、この世界に必然的にやってくるのは完全なる分断。

今こそ一つになるべきという時に、私たちは分断してしまっている。今こそ人間である事を最大限に生かすべき時なのに、私たちは不安によって自身のバランスを欠き、人間としての理性を失い、そして獣化してしまっている。

私たちは今獣となり、食うか食われるかの戦いをしているべきではないのだが、世界を見れば、何処も皆食うか食われるかの戦いをしている。

私たちは自分が今人間ではなく、完全なる獣と化してしまっっているという事にも気づけていない。自身が不安というものによって、コントロール不能になり、自己制御不能になっている事にも気づけていない。

私たちは完全に盲目的になっている。大きな不安に包まれた自分に今何が起こっているのか?その事に何も気付けていない。私たちは今この大きな転換期のさなかにありながら、でも、何も見えていない。何も気づけていない。

私たちは今、人間から獣にされている。その事に気づき、私たちは人間であるという事に今こそ強く踏みとどまらなくてはいけないのではないだろうか?

世界は人間を完全に抹消しようと動き出したのかも知れない。



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