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LOCKDOWN (何もかも縮小されて行く社会の中で)

これから私たちは、色々な意味で追い込まれ、そして色々なものを自身に負担しなくてはいけなくなる。私たちがこれから背負うものは、今まで以上にたくさんのものになる。

私は不安をあおる為にこうした事を書いているのではなく、知って欲しいから書いている。バカバカしいと思うなら、読むのをやめてください。

今私たちの生活がコロナというものによって少しずつ浸食され始めました。これにより、私たちの心の中には、何らかの不安というものが生まれ始めました。私たちの心の中に不安というものがあり、その不安が今少しずつ、私たちの心を捉え始めました。

今までは特に何も考えずに生きてこれた事が、今はそうはいかなくなりつつあります。特にこれといって頭を働かせずとも難なく生きてこれた時代から、今はそうはいかないそんな時代に入ってきました。

何をするにも頭を使って考えなければいけない。自分の頭をフルに使って、色々な事を想定して動かなくてはいけない。何も考えずにのほほんとしていたら、これから先の世界では皆振り落とされていく事になります。

これまで私たちは、自分の家族に、仲間に、社会に、国に、世界にしがみついていればそれで生きることが出来てきました。でも、これからはその今まで自分を補償させる為にしがみついてきたその全てがなくなっていきます。

私たちを補償するものはこれから、本当に少なくなっていきます。誰しも皆そうですが、自分に補償する事が出来ない事や、ものは、皆自分の外部にあるものに私たちはこれまで依存して生きてきました。自分で自分のまかなえない部分をどうにかして賄おうとする事ではなく、私たちは、これまで自分に賄う事の出来ないその全ての事を皆外部のものによって賄ってきました。

外部、つまり私たちを取り囲むこの世界には、たくさんのものが溢れ、そのものによって私たちは、自分で賄う事が出来ない事をまかなってもらってきました。外部にあるものによって自分で賄う事が出来ない部分を賄わせる事で、私たちは、自分と向き合うという問題から、これまでずっと目を背けてきました。

自分に出来ない事は、何か他の事に任せる。本当にそれが自分に出来ない事であるのか?それを深くまで熟考する事無く、軽率な考えで、私たちは、自分の全てを自分でも知らない内に、自分以外のものに賄わせてきました。補償させてきました。

何度も言いますが、これからはそうやって自分をこれまで色々ないみでまかなってくれていたそのものが徐々に消えていきます。

あれを使いたいなとそう思っても、それが使えなくなる。あの人がいればなあと思う時に、その人には会えない。あれが食べたいなと思っても、それも食べる事が出来ない。そう言う事が実際に起こってきます。

これまで何もかも、その全てを自分の外部にある社会や物、人に依存してきた人はこれから、とても苦しい時期に入ります。

何もかもその全てを自分でしなければいけなくなる。誰も何もしてはくれないし、何も自分の思い通りにはならない。何かをしたいと思ってもそれが今までの様に自分の思うようには出来なくなるという事になります。

これまでは自分を守ってくれるものがたくさんあった。でも、これからはその自分に武装するものは何もなくなるという事です。

自分の身を何も飾る事も出来なければ皆、裸の状態で向き合わざるを得なくなるという事です。

何もかもなくなります。これは脅しでも何でもありません。脅しだと思うならもうここで読むのをやめてください。

とにかく何もなくなります。必要最低限のもの以外何もなくなります。これから、この世界はこれ以上余分なものは作ったりはしなくなります。これ以上余分なものをこの世界が作り出す事は出来ないんです。

これまで、色々な意味で人間は余分なものばかり作ってきた。でも、それがこのコロナの発生と共に、必要最小限にまで抑え込まれるという事になります。

これとこれとこれさえあれば、とりあえず人間として生きて行くのに足りるその最低限必要とされるものしか、供給されなくなりますし、作り出されなくなります。

私たちは、これまでありとあらゆる方向から、自分たちのエゴの為に色々なものを奪ってきました。それによって自分たちを満たそうとしてきました。でも、もうこれからはそれが出来なくなります。

自分たちのエゴの為に色々なものを奪ってきたその生き方を今此処で私たちはあらためる事を求められています。世界は私たちに手放す事をこれまでもずっと要請してきました。でも、私たちはがめつい存在で、何も手放そうとしなかった。自分たちのエゴの為に奪ったものを何も手放そうとせずに、それらに執着した。

このバランスを欠いてしまった世界のバランスを元に戻す為に、ずっと前から、私たちは自らの持っているものを手放す事をずっと要請されてきました。でも、それに私たちは何も耳をかそうとはしてきませんでした。

自分の思いのままに大量に物を消費する。そして、それが必要でなくなれば、それを何処にでも廃棄する。自分が必要な時だけ、それらを手にし、それが必要なくなれば、それらを無残にも破棄する。

この無残にも破棄されたものの事を私たちは何も考えようともしない。ゴミの様にあちこちに捨てられ、放棄されているものを見ても私たちは何も感じない。私たちが必要ないと言って、そこら辺に放棄し、捨てているものというのは、そのものを作る原材料というものがあり、その原材料があって、それらが作られている。でも、その原材料というものは、その多くが自然であるという事を私たちは知りません。

何もかも今私たちはコロナによって奪われ始めましたが、この私たちを囲む自然たちは、もっと以前から、何もかも私たち人間によって奪われてきたのです。今自分たちの生活が困窮してきて、私たちの心の中には今まで感じた事のないような不安や恐怖が渦巻いているのかもしれません。でも、自然は、そうした恐怖や不安の中でこれまでずっと生きてきました。

何もかも私たち人間に奪われ、偏狭な世界にありながらも、それでも自然は人間の為に存在しています。今コロナという問題が世界各国で起こっていますが、これは、私たち人間が作り出したものだといっても過言ではないと言えます。

本来あるべきものを人間が自分たちのエゴによって過剰に奪い取った。そのせいでこの世界は均衡を失い、その免疫を落としてしまい、本来発生する事のなかったものが発生してしまったという事も考えられます。

何もかもなくなる。必要最低限のものしかなくなる。でも、これは私たちが自然に対してしてきた事だから、それを今此処でただ同じ報いを受けいているだけと考える事も出来ます。

これまで何も考える事がなかった自然、この世界の環境について、今私たちは考えさせられるところに来ているのかもしれません。

コロナについては様々な事が語られています。でも、一番はこの世界が均衡を失ったからこそ起こっている事だと考える事は出来ないでしょうか?人間も自分の均衡を崩せば、バランスを崩し、それで自分の免疫力を落とし、様々なウイルスに侵される様になるのと一緒で、今この世界も、均衡そのものを崩し始めているのです。何かでこの世界が均衡を失い、それにより正常なバランスを保つ事が出来なくなり、結果、この世界全体の免疫力が落ちているという事になるかと考える事は出来ないでしょうか?

誰かが、そして何かが、私たち個人を、そして社会を国家を揺るがしている。崩壊させているとそう考えるのではなく、その自分の外に向けているベクトルを今は自分たちの内に向けるべき時なのではないでしょうか?

誰かが、そして何かが、ではなく、私たちが一番恐れを抱かなくてはいけないのは、この自分自身であるという事を私たちは今一度考えなおさなければいけないのではないでしょうか?

不安や、恐怖、そういったものは皆、私たちのこの心の中にあるものなのです。それを払拭する事が出来るのは、国でもなく、社会でもなく自分以外の他でもありません。それが出来るのは自分以外にはいません。

自分の中にある不安や恐怖といったものとどう自分が向き合うべきか?どうそうしたものとの間に折り合いをつけていくか?それは自分にしか出来ない事なのです。誰も、何もしてはくれません。

何か他が助言する事は出来るかもしれません。サポートする事も出来るかもしれません。しかし、最後は何をするにも自分しかありません。

その自分を今しっかりと内面的に強化しておかなければこれからやってくる様々な災害に対処する事は出来ません。

猛烈な風が吹いた時、自分の身を何も強化していなければ、今の自分に何のん重みも持たせておかなければ、そうした人間は皆いとも簡単にどこかに飛ばされていく事になります。そういう人間は一気に淘汰されていく事になります。そうならないためにも、今私たちは自分の内に目を向けなければいけません。

国も、そして社会も、人間も皆、外から壊れると思っているかもしれません、でも、それらは皆内側から壊れていきます。

この国を作っているのは、社会というもの。その社会を作っているものは私たち一人一人の人間。そしてその人間を作っているのがこの心。だとすると、この世界の崩壊は、私たち一人一人の心の崩壊から始まるという事になるという事です。

国が壊れるのが先なのではなく、世界が壊れるのが先なのではなく、私たち人間の心が壊れることにより、身近なコミュニティーが壊れ、それにより社会が崩壊し、経済が破綻し、そして国が潰れるのです。

いつの時代もそうですが、全てが破綻した時に新しい時代というものが立ち現れてきます。こうした時に新しいこれまでと全く違った秩序というものが生まれてきます。でも、この新しい秩序を持った体制が立ち現れてくる前には、とんでもない事がいつも起こります。何もかもノアの箱舟の時の様に押し流されて、そして、そこに新しい新世界がやってきます。

犠牲を大きく伴う時というのは、必ずその先に大きな変革がまっている時です。大きな変革が起きる時、それが生まれ出ようとする時というのは、そこにそれが生まれ出てくるための大きなスペースを空けなければいけないという事になります。その大きなスペースを今まである場所に作るには、大きな痛みを私たちは味あわなければいけません。出産と原理は同じです。激しい痛みや、壮絶な苦しみ。それを超えなければ、新しいものは生まれては来ません。自分が壊れてしまいそうな壮絶な痛み、苦しみその先に光が生まれてくるのです。その前には、何処にも光のない深い暗闇の中に私たちは落ちていかなければいけません。その深い暗闇の中で、私たちはこの身をバラバラにされるような壮絶な体験をしなければいけないんです。

これは脅しでも何でもありません。世界というのは、いつもこうした経験を通して、大きくなっています。

そんな事がある訳ないとそう皆思っているかもしれませんが、今確実に色々な事が動いています。何もかも、私たちはこれから変えていかなくてはいけないのかも知れませんというよりかは、変えなくてはこれからは生きてはいけません。

皆を怖がらせて、不安に陥れる為にこうした記事を書いた訳ではありません。今知っておいて欲しい大切な事だったので、あえて書かせてもらいました。


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