傲り高ぶるな、自身を知れ、身の丈にあった事を成せ。過剰はその身をいつか滅ぼす。
私たちホモサピエンスは、何もかもその全てを我が手によって、コントロール出来るとそう思って生きているが、昨今の自然災害、疫病はコントロール不能なものになっている。
人間のもつ力は何もかもを克服する事が出来るとそうこれまで信じ込まれて来たが、どうやら、此処へ来て、私たち人間の力ではどうにもする事が出来ない事が目に見えて増えてきた。でも、私たち人間は、まだこうした現実を受け入れようとはせずに、人間至上主義を謳い、必ず私たち人類は、この戦いに勝てるとそう信じている。
自分達のもつ力でありとあらゆる災難を克服できると信じている。超えられると信じている。こうした事が全て幻想だ!という事にいつ私たちは気づく事が出来るのだろう?
私たちは、認めなければいけない。自分達人間がこの地球で一番ではないという事を。私たち人間にも、出来ない事、不可能な事はあるという事を。何がどれだけ進化しようとも、私たちホモサピエンスには、限界があるという事を。
何もかも克服する事が出来るわけではない。人間にも限界というものはある。この限界、つまり人間が人間としての分をわきまえる事無く、その力を何処までも伸ばしていこうとすればいつか必ずこの世界は終わる。
何事もそうだが、自分の分をわきまえるという事は、とても大切な事。分を超えて、前に進んでいけば、そこには破滅しかない。
私たち人間には、与えられた分というものがあるように思う。その分をわきまえ、私たちは、この地球ともっと仲良くならなくてはいけないのかもしれない。
何もかも克服し、超越する事が素晴らしい事じゃない。克服してはいけない事、超越してはいけない事、飛び越えてはいけないライン、そう言ったものがこの世界、地球にはある気がしてならない。
何でもかんでも踏み越えればいいという訳ではない。時には、踏みとどまるという人間のもつ自制心を働かせなければいけない時もあるのではないだろうか?
超える事が本当に素晴らしい事なんだろうか?克服する、打ち勝つ事が本当に素晴らしい事なんだろうか?時には、踏みとどまり、負けるという事も大切な事なんじゃないだろうか?何でもかんでも超える事では無く、その前で踏みとどまり、他を尊重するという生き方もあっていいのではないだろうか?
何でもかんでも人間のもつ力で乗り越えて行こうとすることが、なんだか今は恐ろしく思えて仕方がない。私たちはただ自分たちの持っている力を誇示したいだけなんじゃないだろうか?ただそれだけの為に、今私たちは恐ろしいい事をしようとしているんじゃないだろうか?
私たち人間は、力を持つ事で己を完全に見失ってしまった。人間としての分をわきまえる事が出来なくなってしまった。何でもかんでも出来るという思いが、人間としての分をわきまえるという行為そのものを失わせた。
私たちは、今こそ知るべきなのかもしれない。人間によって克服する事が出来ない事もあるという事を。私たちは万能ではないという事を。
時には負ける。自分の小ささを認めるという事も私たちには大切な事なのかも知れない。
今この世界は、そして地球は、私たちに、己の大きさを知れ!とそう言っている様に思える。今こそ、私たちは、汝自身を知るという事が出来なくてはいけないのかもしれない。何事も、超えようとする事では無く、己の大きさを知り、そして私たちは今いる舞台から降りなければいけないのかもしれない。そう言った事を今この地球に私たちは要求されているのかもしれない。
傲り高ぶるな!自身の大きさを知れ!身の丈を知れ!そして身の丈にあったことを成せ!そう私たち人間は大いなる地球や、存在にそう言われているのかも知れない。
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