むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子

年末年始は意外と家族や親しい友人と諍いが起こりやすく、それは一緒にいる時間が長いからだなと、ことしの正月にようやく気づいた。

だからことしの年末と来年の正月は、意識的に離れる時間を作ろうと計画しております。とくに正月は頑張って離れようと。年明け早々いらいらしたくないからね。ことしまんまとブチ切れてしまったので、反省を生かして。どこにもでかけない。すぐ帰る。誰かとだらだら一緒にいない。

近しい間柄のひととけんかをすると、「そんなにけんかするなら離れてなさい」という言葉を思いだす。「くっついてるからけんかになるんだから」と。

これはわたしが言われた言葉ではない。作家の江國香織さんが幼少期に妹とけんかをしたときに、母親に言われた言葉だ。読んだ当初はわからなかったけど、大人になったらわかる。関係を持続させるために、敢えて距離をおくということ。決定的に相手をだめにしないし、自分もだめにならないために。

わたしはそこまで親しくないひと(好きではない、という意味ではない。なんというか、関係の深度的に)に対しては自然と距離をおいて、楽しいときだけ会う、ということができるのに、親しくなるとやりすぎる。信じるまで時間がかかるのに、一回信じると、全部さらけだしてしまう。「このひとはわたしが好きなんだ」とわかると。

さらけ出しすぎて、無神経な発言をしてしまうときがときどきある。それが、親しいひとであっても(あるからこそ)気に障ることがあるのだ。実際、わたしはたまに人を怒らせるが、なんで怒っているのかわからないことがままある。つど考える。わたしがいやな人間だから、などという便利な言葉で、かんたんに片づけないようにいましめている。そのひとと関係を続けたい場合は。

タイトルに使ったのは与謝野晶子の有名な短歌で、ひとことでいうと恋愛の歌だ。純粋な美しいはずの愛情も、関係が続くにつれて変容してしまった、わたしにもあなたにも罪がある、というような解釈をしている。良い歌だなとおもう。なにもしなければ、水は濁るのだ。想像力を働かせて、愛情と根気をもって、関係を保たなければならない。恋愛であっても、家族であっても、友情であっても。そうおもう。

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