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御殿場高原より 34 イクとオオ僕

イクとオオ僕  火曜日は可燃ゴミの日なので,車に積んでゴミステーションまで運び,家に帰り始めると,前を赤色ランプを点滅させたパトカーが走って行った.家に帰り着くと同時に,固定電話が鳴った.受話器を取ると,「奥さんと待っているから元andoに来てほしい.それから,奥さんがパンを食べたのでお金を持ってきてほしい.」という.元andoというのは家から1000歩先のパン屋さんで,同じ場所に新規に別のパン屋さんが営業を始めて,朝7時ごろから店を開けていた.ゴミ出しに出かけたのが7時ご

    • 御殿場高原より 33 「作家」の誕生

      「作家」の誕生  大学に入る前に,叔父さんの家にあった日本文学大系103冊を読んだ.今でも「賞」というものが付いた作品は必ず読んでいる.読む順序は直木賞(物語)が先で芥川賞(文学)は後である.私は言葉は好きであるが文才はない.小学生のころから「作文」が苦手で,「日曜日」という題が出るといつも「日曜日には,学校がないのに,朝早く起きて,歯を磨いて顔を洗って,ご飯を食べました.そして・・・」程度しか書けなかった.ただ,文字を読んだり言葉を聞いたりすることは好きであった.  小学

      • 御殿場高原より 32 機械翻訳

        機械翻訳  ここ数年,新型コロナや認知症の妻の世話で外出しなかった.我が家は朝と昼の二食で,妻が食べられるものを二人分,ほとんど年中同じものを自分で作ってきた.妻は手が震えるので,ナイフやフォークは使えず,手で食べるものとか小さいケーキ用のフォークで刺して食べられるようなものばかりなので,「料理」を食べたくなった.妻に在宅介護の見守り役をつけて,近くに出来たフランス料理で,予約の取りにくいレストランに食事に出かけた.メニューはなく,予約の際にコースを決めるという仕組みであっ

        • 御殿場高原より 31 世界と楽しむために

          世界と楽しむために  最近はヨーロッパに出かけていないので,はっきりしたことはわからないが,私の知っているヨーロッパは人間的であった.親戚が集まると会話は英語であるが,多様なルーツの人たちなので,いろいろな言語が当然のように入り混じる.私の論文は,だいたい「物語」(主に,認知科学会)とか「言語」(主に,人工知能学会)に関するものだから,その方面の専門家のイギリス人に英文のチェックを頼んでいた.一人はマンチェスター大学の大学院で「ローランド・バーサス論」(フランスの哲学者ロラ

        御殿場高原より 34 イクとオオ僕

          御殿場高原より 30 異文化の言語的受容

          異文化の言語的受容  私は子供のころから言葉が好きだった.五歳の頃に読んだ絵本の中に,まるい地球が描いてあって,真上に日本の子供が,真下にアルゼンチンの子供が立っていた.脇に「ボーっとサイレンお昼だね」と書いてあった.同じ時間に,違った空間で,違う人がいて,違う言葉が使われているということの不思議さ.その時間と空間と言葉の関係に魅せられたのだろうか.その絵本は今でも覚えている.  文字を読んだり言葉を聞いたりすることには関心があったので,小学校二年生の二学期と三学期だけ通っ

          御殿場高原より 30 異文化の言語的受容

          御殿場高原より 29 英語のエロ本を読んだせいで

          英語のエロ本を読んだせいで  着いてからすぐ仕事をしなくてもいいときには空港の売店で推理小説を一冊買う.E・S・ガードナーのペリー・メースン物は約103冊,ほとんど読んだので,最後の頃にはオーストラリアの推理作家カーター・ブラウンの作品を買っていた.この作家の小説は軽妙で面白い.大体どの話も探偵事務所に相談の電話かかって来て,行ってみると,依頼人の女は素っ裸で床に転がっている(I found her lying stark naked on the floor.)ところから

          御殿場高原より 29 英語のエロ本を読んだせいで

          御殿場高原より 28 おばあさんの野菜棚

          おばあさんの野菜棚  「道の駅・ふじ小山」には近隣で採れる旬のものも置かれる.水菜漬け,山ウド,クレソン,トウモロコシ,サツマイモ,栗,などなどが置かれる.山ウドは市販のものより細くて短いが香りがよい.最近は栽培されたものもあるが,クレソンも野生のものであった.このあたりは富士山の雪解け水が湧水となってあちこちで噴き出していて,小さな流れの脇によく自生している.昔は崖を降りて自分で採ったが,さすがに歳で足がおぼつかなく,最近では農家で売り出しているものを買っている.  クレ

          御殿場高原より 28 おばあさんの野菜棚

          御殿場高原より 27 「全会一致」という嘘

          「全会一致」という嘘  世界中で「民主主義的な政治形態」が採られている.ロシアでも,中国でも,あるいは北朝鮮でも,日本もアメリカも民主主義国である.候補者が出て選挙があって議会があれば形態は「民主主義」と思われている.しかし,現実の世界で本当の民主主義が実践されたのは,敬虔なピューリタンの一派(信教の自由を求めてアメリカに渡った教養ある礼節をわきまえた人たち(civilized citizen)であった)が,アメリカの新天地に小さな集落で生活をしたほんのわずかな期間にすぎな

          御殿場高原より 27 「全会一致」という嘘

          御殿場高原より 26 「一つのメルヘン」を勝手読みする

          「一つのメルヘン」を勝手読みする  少し前までは,まだやり残したことの多さに焦りを感じて気ぜわしかった.しかし,残りの年月が一桁と予測せざるを得ない歳になって,あきらめがついたのか,遅い動きが楽しくなる.映画も最近の漫画風の演出よりも小津の『秋日和』とか『彼岸花』とか,現代のものなら『舟を編む』とか『蝉しぐれ』『小さなおうち』など時間がゆっくり流れるものを繰り返し見ることになる.若いころには,一冊でも多くと小説を読み飛ばしたものであるが,今では,小説は覗き見趣味のような後ろ

          御殿場高原より 26 「一つのメルヘン」を勝手読みする

          御殿場高原より 25 「うつらとなきて」を巡る和歌小史

          「うつらとなきて」を巡る和歌小史 1 自然に添って生きる―鳥・虫の鳴き声との共鳴  和歌・短歌の多くは「事象+感慨」の組み合わせでできています.作者はだいたい7音・5音で感慨(【】内)を加えて歌にします. あかねさす紫野行き標野行き【野守は見ずや】君が袖振る 久方の光のどけき春の日に【しずこころなく】花の散るらん 白鳥は【かなしからずや】空の青海のあをにも染まずただよふ 東海の小島の磯の白砂に【我泣きぬれて】蟹とたわむる 柔肌の熱き血潮に触れもみで【寂しからずや】道を説く

          御殿場高原より 25 「うつらとなきて」を巡る和歌小史

          御殿場高原より 24 呆け予防

          呆け予防  テレビが普及しはじめた頃,評論家の大宅壮一が「一億白痴化」と言った.それに「総」を加えたのは松本清張だそうである.これは低俗番組について言われたのであるが,「視覚情報」(見る)と「聴覚情報」(聴く)に関しては真面目なデータがある.ある老人ホームには「テレビ」だけを,もう一つの老人ホームには「ラジオ」だけをおいて,何年も観察してデータをとったら,テレビを置いたホームの方が認知症になる率が高かったのである.ラジオの場合は音・言葉を聞いてイメージを自分で作らなければな

          御殿場高原より 24 呆け予防

          御殿場高原より 23 「古池や」という発想

          「古池や」という発想  太陽の光が暖かく感じられて,自然が死から生へ転換する頃になると,「古池や・・・」という俳句が頭に浮かんできて,古池がまた一年古くなったなと思う.そして,「すごくいい句だ」といつも思う.  私は小学生ころから「言った人の気持」とか「書いた人の気持」を尋ねる質問には「わかりません」と答えてきた.そんな人の心を探るようなことはしたくなかった.それで「頭の悪い子」と思われていたらしい.成績はいつも「良」であった.中学生・高校生になっても「作者の言わんとすると

          御殿場高原より 23 「古池や」という発想

          御殿場高原より 22 英語の辞典

          英語の辞典  私が高校生のころ,岩波書店から田中菊男編の『岩波英和辞典』が出た.田中菊男は,学校は高等小学校しか出ていない.しかし,勉強して小学校の代用教員になり,検定試験に合格して正教員になる.東京に出て鉄道省に勤めながら,斉藤秀三郎が創設した神田の正則英語学校の夜学に通い,中学校教員検定試験に合格,更に高等学校教員検定試験に合格して旧制富山高校,旧制山形高校,更に新制の山形大学で教えた人である.私が釜石高校で特訓を受けた山崎先生も学校は小学校しか出ていないが,釜石港に出

          御殿場高原より 22 英語の辞典

          御殿場高原より 21 編集者という侍たち

          編集者という侍たち  今では,SNSとかインターネットとかで,誰のチェックも受けずに,気軽に不特定多数の人々に自分の書いた物を読ませることが出来るが,昔は「本」という形をとらなければ多くの人に読んでもらえなかった.ただ,「本」という形になるには,印刷・製本まで加えるとたくさんの人々が関わる.つまり,「本」はたくさんの人たちのチェックの成果であった.そして,その製作全体に責任持って関わるのが「編集者」である.  昔,「本」は,こんな風に作られた.  その出版社はある会社の出

          御殿場高原より 21 編集者という侍たち

          御殿場高原より 20 愛のかたち

          愛のかたち  ペンギン・ブックスの Sudden Fiction: American Short-short Stories という本を楽しんでいる.その中に,息子が父親から聞いた話という形で音楽と愛の話がある.  父親とその友達は,毎週土曜日になると,それぞれ女友達をつれて何十マイルか車をとばして,湖畔の軽食レストランに出掛ける.そこでは,みんなが父親たちが来るのを待っていた.それは父親の友達が,そこでピアノを弾くからであった.頼まれると彼はどんな曲でも弾いた.だが,みん

          御殿場高原より 20 愛のかたち

          御殿場高原より 19 「貴い」という教育

          「貴い」という教育  私が「全人教育」という言葉を知ったのは高校生のときでした.岩手県の仙人峠の下に日鉄鉱業の釜石鉱山があって,そこには「鉱山学園」という学校がありました.たしか小中一貫であったと思います.当時の日本の会社は社員の家族にまで責任を持っていて,会社が選んだ優秀な社員たちの子供にはよりよい教育を与えたいと,この会社は学校まで持っていたのです.その「鉱山学園」は教育方針に「全人教育」を採用していました.「労作」という名の掃除が朝と昼休みと放課後の一日に三回あったそ

          御殿場高原より 19 「貴い」という教育