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御殿場高原より 44 「とてもいい」の世界

「とてもいい」の世界  昨日は糖尿病科の佐藤先生の診察日だった.「クレアチンの数値がちょっと高いですね」これは腎臓が傷ついている証拠である.「食べ物では何が関係していますか」「塩分ですね」ああ,そうか.イクが死んでから食事がいい加減になっている.朝食はゆで卵で,塩と胡椒で食べる.ちょっとしょっぱいなと思う時がある.夏なのでスイカを一日に二回食べている.これにも塩を振る.ちょっとかけすぎたと思うことがある.次の診察は二か月後である.「次までに下げておきます」と言って部屋を出る

    • 御殿場高原より 43 クロネコヤマトのペリカン便

      クロネコヤマトのペリカン便  周りに公共の交通機関がない.御殿場の街に行くバスの停留所には歩いて20分かかる.地方の小都市の生活を楽しむには交通手段を確保してなければならない.御殿場では富士山の方向に伸びる道は必ず上り坂である.歩いても自転車でもちょっと苦しい.今年九月で89歳になるので,車の運転は止めて,後部に荷物置きのついた電動三輪車にしようと買ったのだが,乗ってみて,これで御殿場の街まで往復するのは死ぬ思いをすることになるだろうと実感した.それで,週に二回来て掃除と洗

      • 御殿場高原より 42 イク,十里木を覚えているか

        イク,十里木を覚えているか  イクはいつもオオ僕と一緒だった.何をしていても「イクも行く」と言ってついてきた.以前は,いろいろな店が御殿場駅周辺にあった.駅前の有料駐車場に車を置いて,イクとその辺を歩いた.駅前のアサヒ堂書店で本を買ったり,その前の喫茶店でコーヒーを飲んだり.映画館が二軒あって,文具の「いせまた」の主人がやっていた「マウント劇場」では,洋画を上映していた.「〇〇映画が見たいんだけど入れてよ」というと,映写技師でもある劇場主は「観客を90人ほど集めてくれたら」

        • 御殿場高原より 41 独り暮らし

          独り暮らし  イクが認知症で要介護2になったとき,認知症そのもので死ぬことはないので,ほとんど病気になったことのないイクは,心筋梗塞で入院したオオ僕よりも長生きするだろうと思った.それで,オオ僕が元気な間はイクの慣れ親しんだこの空間で世話をするが,オオ僕が入院したり死んだりした後,イクが安心して過ごすことが出来るように,キリスト教系の御殿場十字の園への入園の手続きを済ませておいたのだが,オオ僕より先に死んでしまったので,オオ僕は思いがけず自由時間をたっぷり持つことになった.

        御殿場高原より 44 「とてもいい」の世界

          御殿場高原より 40 イク,蜩が鳴き始めたよ

          イク,蜩が鳴き始めたよ  今日は7月15日.一昨日の夕方,今年はじめて蜩(ヒグラシ)の鳴き声を聞いた.以前住んでいた二の岡荘では,7月20日まで霧に閉ざされるが,不思議に20日を過ぎると晴れて,その頃から夏の終わりまで,恵泉の本館の前の土の坂道を歩くと,周りの檜の幹からまるでシャワーのように蜩の鳴き声が降り注いだものだった.この声を聴いて少し経つと夏休みが始まって,恵泉山の家本館の庭の草芝の上には丸く椅子が並べられ,真ん中にキャンプファイヤーの薪が積まれる.女学園の生徒や学

          御殿場高原より 40 イク,蜩が鳴き始めたよ

          御殿場高原より 39 イク,疲れてお昼寝しているか

          イク,疲れてお昼寝しているか  イクがいなくなってから,お手伝いさんに「お願いします」程度の挨拶をしたり,毎週月曜にお昼に来てくれる看護師さんとは少し話をしているが,誰ともまともな話をせずに仕事をして生きている.夜,きしむ音がしたりすると,ドアのところにイクが立っているかなと見てしまう.昼寝の最中に音がするとつい「イクや」と呼んでしまう.どうも感覚はイクを待っているらしいのだ.それで,感覚的にイクの死を受け入れることができるまで,いつまでかわからないけれども,イクとお話をす

          御殿場高原より 39 イク,疲れてお昼寝しているか

          御殿場高原より 38 初心者読むべからずの英語の話 1

          初心者読むべからずの英語の話 1  日本で英語について本を書くには勇気がいります.日本人は全員,中学校で英語を学んでいるので,自分の習ったことと違うことに反発するからです.私は過去に何冊か英語に関する本を書いていますが,出版して2,3ヶ月は緊張して胃が痛くなります.読者カードに質問や意見が来ると営業部からどんなつまらないことにも必ず返事を書くことを強制されるからです.時には出版してから数年たって読者から質問されることもあります.それで,もう英語に関する記事は書くのをやめてい

          御殿場高原より 38 初心者読むべからずの英語の話 1

          御殿場高原より 37 私たちは森で生活を始めた

          私たちは森で生活を始めた  私がイクを亡くして落ち込んだのは,単に連れ合いを失ったというのではなく,人生の同志を失ったという喪失感からである.私たちは全く別のところで生まれ育ったが,私は中学生の頃から幾人かの牧師と出会っていて,聖書を読んでいたし,プロテスタントの信仰と意志と理性を知っていた.イクはカナダ系のミッションスクールで学んでいた.二人とも洗礼を受けたわけではないが,キリスト教に関しては関心も知識もあった.偶然,同じ大学で学ぶことになったが学部の学生の時には会ったこ

          御殿場高原より 37 私たちは森で生活を始めた

          御殿場高原より 36 「イク,オオ僕は独居老人になった」

          「イク,オオ僕は独居老人になった」  息子の足火と妻の郁に先立たれて「独居老人」になった.世間では「人生百年」と言って喜んでいるようであるが,百歳の自分は想像できない.実際に88歳になると,昨年まで梯子に登って平気で枝下ろしをしていたのに,今年は足下がおぼつかなく感じる.年を取るということは急速に衰えることでもあるし,急に死が訪れるということだ.日常の血圧が120前後で,血液検査では「ちょっとコレステロール値が高い」と言われていただけのイクが「急性大動脈解離」で,一瞬で意識

          御殿場高原より 36 「イク,オオ僕は独居老人になった」

          御殿場高原より 35 イクとオオ僕 2

          イクとオオ僕 2  イクを失って一ヶ月が過ぎた.その間に,小さいときから静岡でイクと暮らしていた甥や姪が来て,家の中やイクの持ち物の整理をしてくれた.私は机についても何も手が付かず,ただ,書斎の北側の窓から紅葉の若葉や,ヤマボウシの花を見ていた.箱根バラも咲いて一晩で散っていった.その間にもう一つの死が起きた.イクに花を贈ってくれたので,電話でお礼をしたばかりの,イクの実兄で彫刻家の掛井五郎の奥さんの芙美さんがその電話の二日後に亡くなった.死はどうも突然やってくるものらしい

          御殿場高原より 35 イクとオオ僕 2

          御殿場高原より 34 イクとオオ僕

          イクとオオ僕  火曜日は可燃ゴミの日なので,車に積んでゴミステーションまで運び,家に帰り始めると,前を赤色ランプを点滅させたパトカーが走って行った.家に帰り着くと同時に,固定電話が鳴った.受話器を取ると,「奥さんと待っているから元andoに来てほしい.それから,奥さんがパンを食べたのでお金を持ってきてほしい.」という.元andoというのは家から1000歩先のパン屋さんで,同じ場所に新規に別のパン屋さんが営業を始めて,朝7時ごろから店を開けていた.ゴミ出しに出かけたのが7時ご

          御殿場高原より 34 イクとオオ僕

          御殿場高原より 33 「作家」の誕生

          「作家」の誕生  大学に入る前に,叔父さんの家にあった日本文学大系103冊を読んだ.今でも「賞」というものが付いた作品は必ず読んでいる.読む順序は直木賞(物語)が先で芥川賞(文学)は後である.私は言葉は好きであるが文才はない.小学生のころから「作文」が苦手で,「日曜日」という題が出るといつも「日曜日には,学校がないのに,朝早く起きて,歯を磨いて顔を洗って,ご飯を食べました.そして・・・」程度しか書けなかった.ただ,文字を読んだり言葉を聞いたりすることは好きであった.  小学

          御殿場高原より 33 「作家」の誕生

          御殿場高原より 32 機械翻訳

          機械翻訳  ここ数年,新型コロナや認知症の妻の世話で外出しなかった.我が家は朝と昼の二食で,妻が食べられるものを二人分,ほとんど年中同じものを自分で作ってきた.妻は手が震えるので,ナイフやフォークは使えず,手で食べるものとか小さいケーキ用のフォークで刺して食べられるようなものばかりなので,「料理」を食べたくなった.妻に在宅介護の見守り役をつけて,近くに出来たフランス料理で,予約の取りにくいレストランに食事に出かけた.メニューはなく,予約の際にコースを決めるという仕組みであっ

          御殿場高原より 32 機械翻訳

          御殿場高原より 31 世界と楽しむために

          世界と楽しむために  最近はヨーロッパに出かけていないので,はっきりしたことはわからないが,私の知っているヨーロッパは人間的であった.親戚が集まると会話は英語であるが,多様なルーツの人たちなので,いろいろな言語が当然のように入り混じる.私の論文は,だいたい「物語」(主に,認知科学会)とか「言語」(主に,人工知能学会)に関するものだから,その方面の専門家のイギリス人に英文のチェックを頼んでいた.一人はマンチェスター大学の大学院で「ローランド・バーサス論」(フランスの哲学者ロラ

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          御殿場高原より 30 異文化の言語的受容

          異文化の言語的受容  私は子供のころから言葉が好きだった.五歳の頃に読んだ絵本の中に,まるい地球が描いてあって,真上に日本の子供が,真下にアルゼンチンの子供が立っていた.脇に「ボーっとサイレンお昼だね」と書いてあった.同じ時間に,違った空間で,違う人がいて,違う言葉が使われているということの不思議さ.その時間と空間と言葉の関係に魅せられたのだろうか.その絵本は今でも覚えている.  文字を読んだり言葉を聞いたりすることには関心があったので,小学校二年生の二学期と三学期だけ通っ

          御殿場高原より 30 異文化の言語的受容

          御殿場高原より 29 英語のエロ本を読んだせいで

          英語のエロ本を読んだせいで  着いてからすぐ仕事をしなくてもいいときには空港の売店で推理小説を一冊買う.E・S・ガードナーのペリー・メースン物は約103冊,ほとんど読んだので,最後の頃にはオーストラリアの推理作家カーター・ブラウンの作品を買っていた.この作家の小説は軽妙で面白い.大体どの話も探偵事務所に相談の電話かかって来て,行ってみると,依頼人の女は素っ裸で床に転がっている(I found her lying stark naked on the floor.)ところから

          御殿場高原より 29 英語のエロ本を読んだせいで