御殿場高原より 29 英語のエロ本を読んだせいで

英語のエロ本を読んだせいで

 着いてからすぐ仕事をしなくてもいいときには空港の売店で推理小説を一冊買う.E・S・ガードナーのペリー・メースン物は約103冊,ほとんど読んだので,最後の頃にはオーストラリアの推理作家カーター・ブラウンの作品を買っていた.この作家の小説は軽妙で面白い.大体どの話も探偵事務所に相談の電話かかって来て,行ってみると,依頼人の女は素っ裸で床に転がっている(I found her lying stark naked on the floor.)ところから始まる.IEEEの国際学会がチュニジアで行われると知って,アラブ圏に行ったことがないので行ってみようというこということになった.仲間とそれぞれ論文を書いて査読に通って発表と観光(クスクスを食べたり,カルタゴの遺跡を見たり)に出かけた.日本からの直行便はなく,私はパリ経由で,パリに一泊して朝チュニジアに飛んだ.おかげで,カーター・ブラウンは読み終わっていた.英文速読の達人は,県立嘉穂高校の先輩で東大教授であった多田幸蔵氏で,彼は表現のメモをとりながら一晩でペンギンブックス一冊を読み上げていた.まさか,多田さんもあの世界史の先生に教わったのか?
 嘉穂高校の二年の時の世界史の先生は教科書など持って来なかった.もちろん,私たちも教科書を持たずに学校へ行った.先生は教壇に立つなり,世界の歴史を「語った」.ペルシャがギリシャをどのように攻めたか,先生は黒板に地形を描き,戦車や軍団の配置まで描いて,その攻防を「語った」.それはまさに「語った」のであって「説明した」のではなかった.もう60年ほど前のことだが,先生の「世界史」を私は今でも覚えている.私たちは,毎週,講談「世界史」を聴きながら,歴史の流れをつかんでいった.先生はイガグリ頭の大男であったが,いわゆる少女小説を何冊も書いている「物語」作家であった.
 この風変わりな教師は,他にも面白いことを語った.たとえば,同じような内容な本―英文法の本など―を買うなら,表紙の美しい本を買え,持って歩きたくなるから.持っていれば,きっと幾ページかは読むだろう.それでいいんだ,と.
 しかし,彼が教えてくれて私たちが大いに実行したのは英語のエロ本を読むことだった. 彼曰く,英語の実力は読書量と単語力だ,どんな単語でも知っている方が勝ちだ.君たち,若いから,どうかねエロ本は? エロ本はバカでもチョンでも読めるように書いてあるんだ.単純な構文,同じ単語の繰り返し・・・,しかし,それでも英語なんだよ.読めば役に立つものだ.
 私たちは先生から本を借りて,回し読みを始めた.一人二日と期限を付けたので,辞書を引き引きの速読であった.刺激は強い.黒人の少女が,雇い主の前で着ているものを脱いで"Do me, Master, do me. You can do me."と言う.どの話も女が"Coming, coming, coming!"と叫んで終わる.脳みそがふやけてぼうーとなる.Comingって,何がやって来るのだろう.誰にもわからない.私たちは真面目で,尋ねて答えてくれれるような不良の女友達を持っている者は一人もいなかった.そのうち,Coming, comingという同じような内容の繰り返しにうんざりして,まともな物語が読みたくなった.そして,読みそびれていた本を読み始めた.前よりも早く英文が読めるようになっていた.
 先生は県立高校の教師であった.当時の子供たちは問題を結構自立的に処理していた.こんなことを親の前でべらべらしゃべるほど幼稚ではなかった.今こんな教師がいたら,噂はすぐに広まって,PTAに追い出されてしまうだろう.今の日本は,心も言葉も規格化して,何でも明るみに出し問題化しなければならないほど,人間として信頼できないような悪辣な人が増えて,互いに牽制し監視し合わなければ安心して過ごすことが出来ないほど闇の深い社会になっているから,こんな規格外れの教師は即刻摘発されて職を追われるだろう.
 私は世界史と英語の速読には今でも彼に感謝している.が,経済学部とか法学部に行かないで文学部英文科に入ってしまったのは,彼のせいかも知れない.そして,チュニジアの国際学会で,6世紀ごろスコットランド南部で誕生した短いケルト人の詩が,たとえば,8世紀か9世紀にケルトの伝説「デァドラ」(Deirdre)のような物語になり,ウエールズを通り,発展してイギリス海峡を越えてフランスに渡り,12世紀に宮廷風恋愛の傑作『トリスタンとイズー』(Tristan et Yseut)となった経緯とその骨格を整理して,「物語の公式」(a story-telling formula)(この物語原型に基づけば,コンピュータで恋愛小説を作ることができるよ,と)という話をすることになったのである.ちなみに,その物語の原型というのは

a不幸(な運命)・不満

b現状脱出(逃亡・満足)

c試練(追跡)

d救援・仲介
↓  ↓
↓ f約束違反(行き違い)
↓  ↓    ↓
↓  ↓    ↓
↓  g克服    ↓
↓  ↓    ↓
e幸福・満足  h死(喪失・同時死)

で,aからhまでは論理的に許されるという前提で人物・場所・事象の選択,および展開は自由である.そして,この公式はほぼ世界共通で,たとえば,日本の近松門左衛門の芝居などもほぼ同じ要素と展開をするし,シェクスピアの『ロミオとジュリエット』も同じ展開をする.個人・民族の嗜好によって変形・省略は起きる.典型的な西欧風恋愛物語(ケルトの「デァドラ」(Deirdre)とか『トリスタンとイズー』(Tristan et Yseut))は,次のように展開する.

年老いた男が若い娘を娶る.
娘は若い男に恋をする
若い男女は森に逃げ込んで隠れ幸せに暮らす.
老いた男が追跡する.
仲介者を通して二人は国に戻る.
が,若い男は年老いた男の闇討ちにあって死ぬ.
それを見て[知って]若い娘も死ぬ.

 作品が文学として多くの人に愛されるかどうかは,コンピュータではなく,コンピュータを操る作者の表現力に懸かっている.シエクスピアの『ロミオとジュリエット』のように,「おお,ロミオ,ロミオ!どうして貴方はロミオなの・・・」(O Romio, Romio! Wherefore art thou Romio...)と同等の表現を交えて物語を展開させることが出来たら,その作品は「名作」と人々は評価してくれる.そこまで行かなくても,ハーレークイーンのような物語は無数に生産することが出来る.
 チュニジアのIEEEは楽しかった.毎晩,ホテルのコーヒーショックの一つでは,文化庁主催のエキシビションがあり,チュニジアの人気歌手の歌を聞いたり,ベリーダンスを見たりすることができた.また,ある晩は大統領主催の夕食会があり,全員をホテルの広間でテーブルに着かせで,チュニジア独特の土器で焼いた肉料理が振る舞われた.さらに,会期中巡回していた文化庁の職員から文化庁長官との夕食会に指名されて,別のチュニジア料理を味わうことが出来た.私の「物語原型」にはインドから来ていた女性の学者が関心を持ってくれて,以後,インターネットを通して情報交換をしている.
 日本では,直木賞をもらった桜庭一樹の『私の男』も,上に示した「物語原型」や「原型的エピソード展開」の物語論的な要素から出来ていると感じた.作者自身,西欧の物語と普遍的テーマを意識しているようなことを言っていたように記憶しているが,この小説には西洋の物語に使われるいくつかキーになる言葉が出てくる.

海と死
海を渡って来た男
私生児:孤児
相反するものの合一の希求(両性具有・近親相姦)=死

など.これらのイメージを利用して「物語原型」の中の

不幸(な運命)・不満

現状脱出(逃亡)

救援・仲介(d救援・仲介には「老人,知恵,時間(眠り)」なども含まれる)

が,「相反するものの合一(considentia oppositrum) への衝動」を動因として展開されるのである.

異常な状態「養父(腐野淳悟)=養女(花)」

正常な状態(現状脱出)(花=尾崎美郎)

 その異常な状態を読者に論理的かつ心理的に納得させるために,推理小説や芝居でよく用いられる「隠された事実(ここでは殺人・逃亡)手法」が使われ,その事実が時間を遡って明らかにされる.
 そのプロセスの中で「義父と養女」の関係は「実父と娘」であることが明かされていく.しかも,物語の初めから,この男女には性的関係があることが暗示され,最後には,男が娘を引き取った「25歳と9歳」の時からそれが続いていることが明らかになる.殺人も,父と娘のそのような関係を目撃されたことから起こる.
 不倫の子で,他の家族(母親,父親,兄弟たち)を津波(奥尻島)の海(母・命・死の象徴)で失い,「孤児」となって,(海の泡から生まれたビーナスではなく「津波に泡立つゴミの海から)生まれた女の子は,(海を渡ってきた大人の男トリスタンや映画『ライアンの娘』の大尉のように)海を渡って来た男と合一しようとする.この男の方は父親を海で亡くし,父親代わりに厳しくなった母親を病気で亡くした「孤児」で,女の子を母親の代償として合一しようとする.
 「孤児」(欠けている者同士)の「両性具有」(相反するものの合一considentia oppositorum) への不可避的な欲求という「錬金術」の世界が作られているのである.
 ただ,提示されたイメージは,9歳の女の子とのセックス,高校一年の女の子に「おとうさんが欲しい」と言わせて父親の体を口に含ませたり,高校生の娘とセックスの後「中指と人差し指から立ち上る女の匂い,花の匂い」という描写はポルノ的であり,それがうらぶれた状況の中で描かれている.
 両性具有,相反するものの合一は,本来人間があこがれて手に入れることの出来ない人類の永遠のテーマであって,その現象態は「性的恍惚(一瞬の無時間状態)」であり,その持続(性的恍惚の持続)はやはり「死」なのであろうかという問いに対する答えは出てこないが,作者の目指す通り,テーマは普遍的であり,コンピュータで自動生成を目指している物語要素を含んでいるという意味で,これはコンピュータ時代にふさわしい作品であったと思われた.
 さて,世界共通のこの物語原型に肉付けして,あなたも物語を書いてみませんか.うまくいけば,賞がもらえます.

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