御殿場高原より 30 異文化の言語的受容

異文化の言語的受容

 私は子供のころから言葉が好きだった.五歳の頃に読んだ絵本の中に,まるい地球が描いてあって,真上に日本の子供が,真下にアルゼンチンの子供が立っていた.脇に「ボーっとサイレンお昼だね」と書いてあった.同じ時間に,違った空間で,違う人がいて,違う言葉が使われているということの不思議さ.その時間と空間と言葉の関係に魅せられたのだろうか.その絵本は今でも覚えている.
 文字を読んだり言葉を聞いたりすることには関心があったので,小学校二年生の二学期と三学期だけ通った飯塚市のはずれの伊岐須小学校で,女の担任の先生が朝,出席簿を開いて「きょう,よこうた人はだれね?」と言ったのを覚えている.母が古い言葉の「よこたふ」が方言として残っているのだと教えてくれた.
 五年生の時,東京から狂言師が呼ばれて,講堂で狂言「ぶす」が上演された.和尚さんが太郎冠者と次郎冠者にこの壺には附子(ぶす)という毒が入っているので・・・と言って外出したのだが「念のう早かった」と言いながら舞台に再び姿を見せる.「念のう」か.「思っていたより」ということだろうと推測する.「念」とはそういうことか.「観念」「残念」「存念」・・・今までに出会った「念」を思い浮かべて楽しんだ.
 小学校6年の時の担任は田中正太という極上の先生であった.九大の教授をやめて教生を二人連れて郷里の飯塚にもどり,飯塚小学校の先生になって私たちの担任になった.「校長先生より偉い先生だって」と友達から聞いた.田中先生は「国語」に力を入れてくれた.先生は「表現手帳」を持つようにと勧め,面白い言葉,気に入った言葉,感じ入った言葉などを書き留めるようにと教えてくれた.今でもその習慣は続いていて,国際規格のカード(125×75mmで,日本ではコレクト情報カードC-3532)と万年筆はいつも持ち歩いて「用例採集」をする.田中先生は何人かずつ放課後に残して,文章を読み,言葉の意味や内容を私たちに尋ねた.言いよどむと,「自分の言葉で説明できないということはね,まだよくわかっていないということなんだよ」と言った.その訓練のおかげで,中学生になる年のお年玉で買った雑誌で「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」(若山牧水)を読んで言葉の順序はイメージの順序なのだと感じとることが出来た.「名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」(在原業平)という歌で言葉の順序と論理性を知った.
 中学生になって英語を習い,日本語に訳すとき,イメージが逆になることに悩んだ.たとえば,中学1年の時の教科書の Lesson 5 は
 There is a garden in front of my house.
という英文から始まっていたが
 「私の家の前には庭があります」
と訳すことに苦痛を感じた.「意味」はわかる.しかし「イメージ」は逆になる.
 「庭は家の前にあります」
と訳してはいけないのだろうか,と.この時すでに「翻訳」という作業は「不可能への挑戦である」と予感していた.
 学年が進むにつれて,英語と日本語とでは言語の構造が違うのであるから,イメージが入れ違っても仕方がないのだと納得させられた.しかし,心の奥ではその説明に満足していなかったらしい.というのは,大学院に入って,英語の詩を読んで訳すとき,またその疑問が浮かんで来たからである.詩のイメージの順序を逆にしていいのか,と.
 私の好きなアメリカの詩人の中にエミリー・ディキンソンという人がいる.極めてすぐれた詩人とは言えないが,いい詩をいくつも残している.彼女の詩の中に

 Because I could not stop for death
 He kindly stopped for me.
(私が死のために止まることができないものですから
 心やさしい死が私のために止まってくれました)

で始まる詩がある.その第三スタンザのはじめの二行は,私の持っている版では,

We passed the school where children played,
Their lessons scarcely done;

となっている.children played のところは,少し古い言い方で,現代英語なら the children were playing となるところである.同じ版を使ったどの訳詩集を見ても,中学以来私たちが教えられてきた英文の訳し方に忠実にしたがって,後ろから訳してある.ある訳詩集では

 子供たちの遊んでいる学校のそばをすぎた,
 授業はまだほとんど始まってなかった.

となっている.ちがう,ちがう,そうではない.詩人は「(私たちの村の)学校→子供たち→遊んでいる理由」という順序でイメージを与えているのであるから
 
 学校のそばを通ると,子どもたちは遊んでいました
 ああ,やっと授業が終わったんだ.

と訳さなければ,作者が提示したイメージが逆になってしまう.

 現在,日本にはコンピュータによる自動翻訳のソフトがいくつもあるが,これらも,ほぼ同じような訳し上げるという方法をとって行き詰まっている.たとえば,ある英日翻訳ソフトで訳させると

I did not go to school as I was ill.
わたしが病気であったとき,わたしは学校に行かなかった.
I did not go to school because I was ill.
わたしが病気であったので,わたしは学校へ行かなかった.

と出てくる.80名ほどの学生に

 This train will stop at Machida briefly before reaching Shinjuku Terminal.

という文を訳させると,全員が

 この電車は終点新宿に着く前に,ちょっと町田に止まるでしょう.

と訳す.違う!

 この電車は町田にちょっと止まってから終点新宿に着きます.

と訳すのだと言うと,「先生は前から訳せといいますが,××先生は後ろから訳せ,と言います.どっちが正しいのですか」と文句を言う.「君は,英文を後ろから書くのか」と言われて,やっと納得したような顔をする.私たちは,いつから,イメージの配列を変えて
 He went to London to study English.
   1    3                 2
という形で,外国語を処理するようになったのだろうか.これは異文化理解の根本姿勢とかかわるはずだが・・・.
 日本と外国の文化との最初のかかわりは中国とであろう.私たちの先祖は,まず漢文・漢詩と出会った.サンスクリット(梵語)から漢文に翻訳された仏典は,日本に渡って以来,いまでも音読されている.たとえば,一番短い経典として有名な般若心経は

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是

と頭から順に読まれる.ただし,平安時代の初期にはすでに漢文を訓読みしていたらしい.当時書かれた『宇津保物語』には

七,八枚読みて,やがて一度は訓(くに)に,一度は声にて読ませ給いて・・・

という記述がある.「訓(くに)にて読ませ・・・」とは「訓読」ということであろう.この「訓読」とは,漢文の意味を考えながら日本語の構造で読むということで,漢文の日本語訳と考えてよい.

観自在菩薩が,深般若波羅蜜多を行じたもうの時
五蘊は皆空なりと照見したまい一切の苦厄を度したもう
舎利子よ,色は空に異ならず空は色に異ならず
色は即ち是れ空なり,空は即ち是れ色なり,受想行識もまた是の如し

と理解したのである.
 日本人は,文構造,つまりシンタックス(syntax) を見極めれば,異言語でも「意味」がわかるということに気がついたのだ.いや,もしかしたら,これは朝鮮半島の漢文「訓読」から学んで,それを完成させたのかもしれない.ただ,このような漢文の処理法は,朝鮮半島や日本に限ったことではないそうである.最近の研究によると,漢字文化圏の西の端ウイグルでも,漢字の仏典が古代ウイグル語で訓読されていたことがわかってきている.(雑誌『言語』1996年8月号 p.37 庄垣内正弘『漢字文化圏西端にも存在した「漢文訓読」―ウイグル僧は漢文をどう読んだか』)となると,外国語のシンタックスを見極めて母語のシンタックスで理解するというのは,異言語理解の普遍的な方法なのかもしれない.ただし,外国の言語をシンタックス分析して「返り点」を使って文の意味を理解するという方法は,必ずしも当該外国語をその意味する通りに理解することができるということを保証するものではない.それはむしろ「誤解」も含めて,勝手に「納得する方法」でしかないのかもしれないのである.しかし,そういう疑問をほどんど持つことなく,この方法は,その後,「外国語を処理する正しい方法」として日本人の意識に深く沈潜したと考えられる.それが,新しい外国語であるオランダ語や英語に利用されても少しも不思議ではない.
 異言語の中で「名訳」といわれているものが六つある.

『ぎや・ど・ぺかどる』
 スペインの修道士ルイス・デ・グラナダが1555年に書いたGuadepecadoresを翻訳したもので,1559年に日本のイエズス会が長崎で発行した.表記法は漢文と仮名との通常のものであるが,ところどころにローマ字が入っている.当時,広く読まれた切支丹書であり,翻訳としてもすぐれていると言われている.

『聖書』
 これに関して,島田謹二氏は『近代比較文学』(光文社 p.51)で「ギリシャ語聖書によって,英訳・漢訳を参考にしてできあがったこの日本訳聖書は,きわめて平明な,それでいて深い味にとむ一種の名文である.すくなくとも日本における翻訳文学史上の大古典の一つである」と評価している.

『あいびき』
 二葉亭四迷が1881年に訳したツルゲーネフの『猟人日記』の中の一作.原作のもつ抒情を生かし,現在の散文詩を作る人でも,これ以上には書けないだろうと思われるほどの名訳と言われている.明治文学の発達に及ぼした影響はきわめて大きいとされている.

『即興詩人』
 森鴎外がドイツ語版から約10年かけて,アンデルセンの長編恋愛物語の名翻訳で,文章は清新の響き高く,浪漫的香りを漂わせていると言われている.

『於母影』
 明治22年(1899)に森鴎外・落合直文らの新声社同人の訳詩集.訳詩の調子は全体としてロマンチックで,透谷・藤村・泣菫・有明などに影響をあたえ,透谷・藤村などは,集中の名訳として名高いシェクスピアの「オッフェリアの歌」を大いに愛唱したそうである.

『海潮音』
 上田敏が明治38年(1905)10月に出した訳詩集.名訳として名高い.

 これらが「名訳」といわれるのは「日本語として読める」に尽きる.
 「名訳」といわれる「翻訳」をした二葉亭四迷は,翻訳の根本について,43歳(明治39年1906年)の時に『成功』(第8巻3号)に発表した「余が翻訳の標準」(明治文学全集17中村光夫編『二葉亭四迷・嵯峨の屋おむろ集』(筑摩書房 pp.108-110) に示している.それをまとめると,その要点は

 翻訳とは,形はまったく別にして,ただ原作に含まれている詩想を移すこと.ただし,そのためには,自分に充分な筆力があって,原詩を崩しても,その詩想に新詩形をつけることができるようでなければならない.しかし,それはままならないことで,せめて,作者の詩想を会得して,心身を原作者のままにして,忠実にその詩想を移すよう,詩形を崩さずにするくらいである.

ということで,二葉亭は「翻訳」に二つのタイプを想定している.
 前半の好例は,たぶん,上田敏の訳詩集『海潮音』で,中でも「落葉」であろう.原詩の Chanson d'automne (秋の歌)というタイトルを「落葉」と変えているということからも,すでに「形をまったく別にして,ただ原作に含まれている詩想を移すこと」を実践しようとしていることがわかる.

 落葉

 秋の日の
 ヴィオロンの
  ためいきの
 身にしみて
 ひたぶるに
  うら悲し.

 鐘のおとに
 胸ふたぎ
  色かへて
 涙ぐむ
 過ぎし日の
  おもひでや.

 げにわれは
 うらぶれて
  ここかしこ
 さだめなく
 とび散らふ
  落葉かな.

Chanson d'automne

Les sanglots longs
Des violons
De l'automne
Blessent mon coeur
D'une langueur
Monotone.

Tout suffocant
Et bleme, quand
Sonne l'heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure;

Et je m'en vais
Au vent mauvais
Qui m'emporte
Deca, dela
Pareil a la
Feuille morte.

 使われている日本語の透明度がきちんと計算されていてそろっている.そのためイメージが鮮明である.訳者の感性がすべての言葉に行き渡っていることがわかる.これは,たぶん,「詩想」を「日本文の創作力で置き換えた」最もよい例であろう.原詩を文字通りに「日本語化」したものと比べて見るとよい.

ながくすすり泣く
秋の日のヴィオロンの
単調な物悲しさに
私の心はいたむ

時を告げる鐘の音に
胸はつまり、青ざめる
昔の日々が思い出されて
私は涙をこぼす

邪悪な風に吹かれて私は
あちこちと
さまよう
風に舞う枯葉のように

 しかし,「落葉」は例外的な場合であって,普通,「翻訳」とは後者,すなわち「せめて,作者の詩想を会得して,心身を原作者のままにして,忠実にその詩想を移すよう,詩形を崩さずにするくらい」のことであろう.二葉亭四迷自身は

 「自分はさすがにそれほど大胆ではなかったので,どうも剣呑に思はれて断行し得なかった.で,依然旧翻訳法でやっていたが・・・」(p.110)

と謙遜して後者の方法をとっていると言っているが,その場合でも,新しい「詩想」が十分に日本語に咀嚼されていて,日本語として違和感がないことが最低の条件であることは,彼の訳文を読めばわかる.そのような「翻訳」を「異文化の言語的受容」と言いたい.その場合,「異文化の言語的受容」として大切なことは

 「意味」だけではなく「イメージの配列」に気を配ること
 「言葉を削って論理を潜ませることによって実体に迫るという日本語の表現形態」と「言葉を論理的に重ねることによって実体にせまるという西欧の表現形態」の違いを十分に認識すること
 そして,これらを言語的に実践すること

である.
 これは,日本を含めて東洋と西欧との違いを深く認識し,それを実際に示さなければならないということである.しかし,これは容易なことではない.表現の仕方が違うのである.したがって,翻訳とは異文化の受容を自分の言葉にして表明することにほかならない.その困難なプロセスを段階的に説明してみよう.

 ある事象が起きる.(単位情報)
 イギリス人はその事象を英語で表現する(単位情報+固有表現E)
 日本人はその事象を日本語で表現する(単位情報+固有表現J)

 普通,「翻訳」(トランスレイション)とは「固有表現E←→固有表現J」の置換と思われている.この場合,同一語族間であるなら,ほぼイメージ順に処理することが可能であろう.しかし,「翻訳」の究極を求めると,単位情報の変換,すなわち「変形」(トランスフォーメイション)にまで及ばなければなければならない.さらに,単位情報と固有表現の関係をとらえて「転写」(トランスクリプション)することが究極の変換としてありうると考えることができる.
 したがって,「言語的受容」は,大きく分けて三つの段階を想定することができる.

 1 固有表現の置換(表現を置き換えるだけの言語置換)
 2 単位情報+固有表現の変換(イメージ配列・言語論理に及ぶ翻訳)
 3 単位情報+固有表現の創作変換(創作力で変換する創作訳)
 
 上田敏の「落葉」は3に属するものであって,これは恵まれた天才のする翻訳である.漢文や英文に使っている「返り点」式の翻訳は1に属するもので「外国語の日本語化理解」に相当するものであろう.二葉亭四迷の翻訳論の後者に相当するのは2であろう.これにも文才は必要であり,「翻訳」と言うからには,せめてこのレベルでなければならない.
 さて,「翻訳」のレベルの1と2の根本的な相違はどこにあるか.それは「イメージの配列を大切にする」「当該言語の表現形態に合わせる」という作業がなされているかどうかにある.
 まず,「イメージの配列」について考えてみよう.
 「イメージ」は,言語の固有性の最小の塊,基本的には,「動詞とそれを支える一つ以上の名詞」(たとえば,「犬が走っている」とか「月さん,雨が」など)からなる{単位情報}から出来ている.19世紀の,暖炉の火に暖をとりながら,ランプの光で推敲した文は別として,現代の英文はだいたい前から順に,{単位情報}を他の言語(私たちの場合は日本語)に変えて理解することができるように書かれている.たとえば,次の文は, The Times (1996年8月)の記事である.

 It was almost midnight on a Saturday evening in December 1994 when General Colin Powell received a telephone call from President Clinton asking the former chairman of the Joint Chiefs of Staff to drop into the White House for a chat.

 この記事から,私たちは{単位情報}順に

1994年の12月ある土曜日の真夜中ごろ,コリン・パウエル将軍はクリントン大統領からの電話を受けた.クリントンは前統合参謀本部議長に,ホワイトハウスにちょっと立ちよっておしゃべりしていかないかというのであった.

という情報を得ることができる.その上,日本語としても違和感はない.これは新聞記事であるから,事実関係に誤りが生じないかぎり「意味内容」が理解できれば,情報の順序をそれほど厳密に考える必要はないと思うが,文学作品となると,単に「意味内容」を理解するばかりでなく「イメージ」も大切になるから,情報の順序,すなわちイメージ({単位情報})の順序を気にしなければならない.たとえば,イマジズムの詩人でもあった小説家 D. H. ロレンスは,ある作品(Twilight in Italy and Other Essays p.112 The Cambridge Edition of the Works of D. H. Lawrence) で

 The day was gone, the twilight was gone, and the snow was invisible as I came down to the side of the lake. Only the moon, white and shinning, was in th sky, like a woman glorying in her own loveliness as she loiters superbly to the gaze of all the world, looking sometimes through the fringe of dark olive leaves, sometimes looking at her own superb, quivering body, wholly naked in the water of the lake.

という文を書いた.
 この文では the moon という女性名詞と a woman という女性名詞とが意識的に重ね合わされていて,人称代名詞 she; her で受けた glorying... 以下の文は the moon と a woman とを共に受けるかのように構成されている.すなわち,to the gaze of all the world とか her own superb, quivering body, wholly naked in the water of the lake とかは,月にも女にも通じるのである.その上,a woman という単語を the moon のあとに持ってきている.そのため,月の冷やかな神秘性が女の体温を包み込んで,裸の女が大理石の彫像のような印象を与えることになるのである.もし a woman 以下の表現が the moon の前にあったら,女の温かさの方が the moon の神秘性にまさって,この文章の美しさは消えてしまったであろう.これはイメージの前後関係を十分に意識して書いた文だと思う.

 日がくれて,黄昏もきえ,雪も見えなくなるなかを私は湖のほとりに降りていった.月だけが白く夜空に光っていて,女が自分の美しさにほれぼれしながら,世界中の人々の注視をうけてゆっくり歩むように,ときには暗いオリーブの葉陰から,またあるときには,震えるみごとな身体を,素裸で湖の水に映していた.

 では,次に「イメージの順序」と「当該言語の表現形態に合わせる」とはどういうことか.日本文を英語に「翻訳」する際に,私たちは,頭の中で,ごく普通に「イメージの順序」を考え,「沈潜している論理を掬い上げて英語の論理にあわせる」というような作業をおこなう.

 やがて森が切れ海が見えてきた.黒っぽい荒れ海だが,水平線のあたりから白い帯が伸びて,川のように蛇行しつつ間近まで来ていた.
 「あれ,何かしら」
 「流氷だ」
 「あれが,そうなの.初めて見る」和香子は窓ガラスに額をつけて目を凝らした.流氷は見る見る数を増して海を覆い,岸辺までを填め尽くした.
                        加賀 乙彦:湿原

 Soon the forest ended and the sea appeared. The sea was dark and wild, but a white belt stretched from the horizon to (near) the shore, winding like a river.
"What's it, I wonder?"
"It's floating ice."
"Oh, Is that so? I've never seen it before," said Wakako, pressing her forehead to the window pane, and gazing closely. The number of the floating ice-burgs increased while she was looking, and they covered the sea.

と訳すことができれば,これでも「意味内容の英語化理解」としては十分に評価されるであろう.しかし,これは「1 表層構造の移動→表現を置き換えるだけの翻訳」である.「2 深層構造の移動→イメージの配列,言語の論理にまでおよぶ翻訳」にするには,もう少し丁寧に日本文を読み,イメージを追い,言葉を補わなければならない.というのは,日本語は「言葉を削って論理を潜ませることによって実体に迫る」という表現形態をとり,さらに,多くの場合,写実的な表現の組み合わせの中に観念や感情をこめる.それに反して,英語は「言葉を論理的に重ねることによって実体に迫る」という表現形態であるから,「翻訳」では、「言葉や論理を付加する」という作業が必要なのである.そのような検討を頭の中でおこなって「翻訳」すると,次のようになる.

 Before long there was a break in the forest and the sea came into view. Its waters were dark and stormy, but with a band of white that started from near the horizon and stretched, meandering like a river, to a point close at hand.
"What's that, I wonder?"
"Ice floes."
"So those are ice floes. This is the first time for me." Wakako pressed her forehead to the window and peered out. While she was watching the floes increased in number till they covered the sea, blotting it out right up to the shore.

 これは日本文のイメージ({単位情報})の順を崩さないように訳してあるし,この文を,逆に「イメージの順に」とは「{単位情報}順に」訳すと,もとの日本文にもどる.それでいて,どこも英語として違和感を感じさせてはいない.
 このように「翻訳文が違和感を感じさせない」ということが「言語的受容」つまり「翻訳」,言い換えると「深層構造と表層構造との関係から詩想を創作力で置き換える」翻訳に至る道であり,「せめて,作者の詩想を会得して,心身を原作者のままにして,忠実にその詩想を移すよう,詩形を崩さずにするくらい」の翻訳であろう.そうすれば,たとえ概念が新しく,母語にない場合でも,特に違和感を出そうと意図していない限り「違和感を感じさせない翻訳」になる.このようになされた「翻訳」が「異文化の深層的受容の言語的表明」であり,この域に達していない言葉の運用は異文化の勝手な「納得」であって「受容」とは言えないのである.あえて簡単な例を出すと,たとえば,
 「お散歩ですか」「ええ」

"Are you taking a walk?" "Yes."
と英語にするのは「翻訳」ではない.日本語の表現の深層を掬い上げて,せめて
"Are you out for a walk?" "Yes."
くらいに訳さなければ「翻訳」とは言えないのである.
 最近,英文の訳し方,詩の訳し方が変わってきている.たとえば,岩波文庫の『アメリカ名詩選』(亀井俊介・川本選・訳)では,実験的ながら,「前から訳す」という原則が取り入れられているようである.柴田元幸氏や村上春樹氏の翻訳もイメージの逆転がなくなっている.さらに,最近送られてきた訳詩集ヘイデン・カルース『雪と岩から、混沌から』(沢崎順之助・D. W. ライト訳 pp.16-17)はいい翻訳である.最初の短い詩の訳を例に出そう.

 当節の献辞

言葉が作りだせるものは
いまほとんど無であるように思える
たかだか一つの調べ 一つの旋律

でもあなたが
その喜びのために
目に涙を浮かべるのを
見た

だからこそ
このわずかなものを
いまのために あなたのために
ふたたび

Dedication in These Days

What words can make
seems next to nothing now
a tune a measure

Yet
I have seen you with
your eyes wet
with pleasure for their sake

For this then
these few
for now for you
again

 この訳には名訳への香りが感じられる.
 「翻訳」と言うからには,せめて「イメージの配列を大事にしながら,英語から論理を潜ませて日本語に,日本語から潜んでいる論理を掬いあげて英語に」しようという心掛けがなければなるまい.
 それにしても,やはり,「翻訳」は「不可能への挑戦」である.

おことわり:
1 引用した詩は,本来縦書きですし,また訳詩もたいてい縦なのですが,ここでは,全体が横書きなので,原詩とともに,詩人,訳詩者に無断で横組みにさせていただきました.お許しください.
2 ベルレーヌの詩の私の「日本語化」に関しては,詩人でフラン文学者の川田靖子氏に点検していただきました.
3「加賀 乙彦:湿原」の翻訳は,NPO法人「言語研究アソシエーション」の「文書館」の記事を利用しました.

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