御殿場高原より 38 初心者読むべからずの英語の話 1

初心者読むべからずの英語の話 1

 日本で英語について本を書くには勇気がいります.日本人は全員,中学校で英語を学んでいるので,自分の習ったことと違うことに反発するからです.私は過去に何冊か英語に関する本を書いていますが,出版して2,3ヶ月は緊張して胃が痛くなります.読者カードに質問や意見が来ると営業部からどんなつまらないことにも必ず返事を書くことを強制されるからです.時には出版してから数年たって読者から質問されることもあります.それで,もう英語に関する記事は書くのをやめていたのですが,また書いていまいす.ただし,出版する気はなく,NPO法人「言語研究アソシエーション」のために「等価変換(翻訳)の手法の高度化・精緻化のための資料」として提供しているだけです.
 ここに書いた内容は,その等価変換(翻訳)について英語の言語感覚と知識に優れ,言葉の仕事をしているネイティブスピーカーと一緒に考えたり調べたり話し合ったりした時に話題にしたことです.最近では,日本で作る英語辞典でも教科書でも,編集の段階から日本人の他にイギリス人やアメリカ人が参加しています.ですから,文法的に間違いのある日本文や英文はまずないと言ってよいでしょう.しかし,英文に対する日本語訳文の適切性について,またその逆の日本文に対する英語訳文の適切性については,まだ十分にはチェックがなされていないと思われます.and 一つとっても「そして,それで,や,と,で,のに,が,そうすれば」などいろいろな訳し方があります.どれが適切であるかは文脈(前後の内容や発話の状況や口調など)によって決まるので,英語のできる日本人と日本語のできる英米人とによって検討されなければなりません.そこで,「対応」という視点で気の付いたこと,話し合ったことなどを書いてみます.言葉の面白さに関心持っている人に読んでもらうことを前提にした細かいことですから「初心者読むべからず」の秘密文書です.

1.She is a girl.は「彼女は少女です」ではない
 私が英語を習い始めたのは第二次世界大戦後まもなく中学一年になってからです.与えられた教科書は平川唯一さんが作った"Let's Learn English"でした.一ページ目にはアメリカの男の子が気をつけをして立っている挿絵があって,下に

I am Tom Brown.

と書いてありました.

「僕はトム・ブラウンです」

という意味だと先生は教えてくれました.二ページ目には男の子と女の子の顔が出ていて

I am a boy. You are a girl.

という英語が書いてありました.意味は

「私は少年です.あなたは少女です」

とのことでした.ここで私は引っかかりました.おかしいな.見て少年とわかり,見て少女とわかるようなことを日本語では決して「私は少年です.あなたは少女です」などと言わないと思ったので,先生に「これは正しい英語ですか」とたずねました.先生は「正しい」と言いました.「変だ!」と思いながらも,これが英語というものか・・・と納めました.しかし,疑問はずっと心の奥に残っていました.
 大学院を出て英語の仕事をするようになりました.ある時,アメリカの記事を翻訳して載せた日本の雑誌(たしか『モア』だったと思います)で「私は二つの負い目をもってこの世に生まれてきました.一つはユダヤ人であること,もう一つは女ばかり五人姉妹の末っ子であること.私が生まれたとき,「元気な女の子ですよ」と看護婦に言われて,男の子を期待していた父は「女の子だ!」と冷たく言ったそうなのです・・・」という文章を読みました.ふと思いついて,言葉に対する感受性と分析力に優れ,一緒に仕事をしているイギリス人のベスターさん(ついでに紹介をしておきます.ベスターさんはロンドン大学の教授になることを約束されて日本に留学して帰国せずに,日本文学の翻訳家となり,宮沢賢治の童話や大江健三郎の作品など多数の翻訳をし,東大で「イギリスのロマン派文学」と「日英翻訳」を定年まで教えた人です.)私は彼に記事の内容を説明して,「このとき父親は She is a girl!(奴は女の子だ)と言ったのではありませんか」とたずねてみました.彼は「そうでしょう.赤ん坊が主語ですからイギリス人ならIt's a girl!ですが」と答えました.中学一年の最初に抱いた疑問がやっと解決しました.私は,いろいろ状況を作って重ねて確かめました.「男の子が三人遊んでいて,警察ごっこが始まり,ガキ大将が「俺は警察署長だ」と言うと,次の男の子が「俺は刑事になる」といいます.最後の男の子が「じゃあ,僕はお巡りさんだ」と言うと,ガキ大将が「お前は泥棒になれ」と言います.「やだ.あっ,あそこにスージーがいる.スージーを泥棒にしよう」と言うと,このとき,ガキ大将は“No. She is a girl.”(駄目だ.スージーは女の子だ)と言いませんか」「言います」という答えが返ってきました.それから人称代名詞についての疑問をただしました.「先生がペンを手に持って,教壇から"What is this?"とたずねた場合,答えとして"It's a pen."はおかしいですよね? これは,たとえば,後ろの席の子と話をしているトムに向かって先生が"Tom, what is this?"とたずねると,トムが"It's a pen."(ペンに決まってらあ)と答えるということですね.」「そうです.ですから,たとえば,イギリス女王が「きれいな花ね.これは何という花?」とたずねた時に"A rose, her Majesty."(バラでございます,女王陛下)と答えるのが普通で,"It's a rose."(バラに決まってますよ)は失礼です」
 日本でも,子供がリンゴを取り上げて「これなあに?」と尋ねると,お母さんは「リンゴよ」といい,ミカンを取り上げて尋ねると「ミカンよ」と答えるのに,すでに教えてあるものを子供が取り上げて「これなあに?」というと「(馬鹿ねえ)それはトマトよ」と言います.人称代名詞を使う感覚は同じなのです.
 それでも,少し気になったので,言語感覚の優れているアメリカ人の友人ジャン・マケーレブにたずねてみました.彼は「その通りだけど,日本では It's.... と教えているよね」と言っただけでした.大学院の教え子の一人が南米スリナム(南米唯一のオランダ語圏)に行ったので,現地で作った英語の教科書を送ってもらってみたら,先生と生徒のやりとりが"What is this?" "That's a pen."となっていました.どうも人称代名詞の使い方にはどの国も苦労しているようです.

2.日本語で言わないことは英語でも言わない
 コンピュータによる「機械翻訳」の根底には「言葉」は「集合イメージ+その符牒」という考え方があると思います.
 たとえば,日本の幼児の前で黒い犬を歩かせて「ワンワン」と教えます.それから茶色の犬,白と黒の斑の犬,足の長い犬,などいろいろな種類の犬を見せて「ワンワン」と教えます.最後に足の短い胴長のダックスフントを見せて「これは何だ」と尋ねると子供たちは「ワンワン」と答えます.このとき子供たちの脳の中には「犬の集合イメージ」ができていて.そして「ワンワン」はその「集合イメージに付けられた符牒(グループ共通の呼称)」だと理解しているということになります.
 同じことをフランスの子供たちにすると,フランスの子供たちは「犬の集合イメージ」に tou-tou というフランス語の符牒を付けていますし,イギリスの子供たちは woof-woof という符牒を付けています.つまり,「言葉」はグループの構成員一人一人の脳に蓄積された共通の「集合イメージ」に付けられた「グループ共有の符牒」ということです.それで「意味」とは「集合イメージ」のことであり,「意味が伝わる・わかる」とは「集合イメージが伝わる・わかる」ということです.
 「集合イメージ」が同じであるなら「符牒」は付け替えることが出来ます.「家出」のことを悪ガキたちは「ヤサグレ」と付け替えます.チンピラやくざはきれいな女の子を見つけると「キスさせろ」を「アンペラ噛ませろ」と付け替えます.「集合イメージ」(犬)が同じなら日本語の「ワンワン」はフランス語の‘tou-tou'と付け替えることができますし,英語の‘woof-woof’と付け替えることもできます.
 「犬の集合イメージ」を「空間」の中に描きます.それに「時間」を加えると,「犬の集合イメージ」は動き,吠えます.「吠える」も集合イメージです.「ワンワン(集合イメージ)」と「吠える(集合イメージ)」の二つの集合を組み合わせて{ワンワン(符牒);吠える(符牒)}を「日本語のルール」を加えて「ワンワンは吠える」と出力するのと日本語の{単位情報}が出来ますす.この集合イメージの組み合わせは{woof-woof;bark}と符牒を付け替えることができます.「英語のルール」を加えて “Woof-woofs bark.” と出力すると英語の{単位情報}になります.したがって,理論的には,「同じ集合イメージ」に言語間でさまざまな符牒を,相互に正しく対応するルールを作って換えるなら,一つの言語の{単位情報}は別の言語の{単位情報}に付け替えることができるということになるのです.これが機械翻訳の原理です.
 ある私立高校の入試の英作文の問題に

「あそこにお巡りさんが立っています.」

という日本文が出題されました.古い「機械翻訳」にかけると,日本語の符牒(単語)を英語の符牒(単語)に付け替え,英語のルールで整理して

 A/The policeman is standing there.
 The uniformed patrol office is standing there.

と提示していました.これは形態素解析や係り受け解析などを駆使してルールを作って機械に翻訳させたものです.長いこと機械による日本語から英語への翻訳はこの程度で使い物になりませんでしたが,三年ほど前に,グーグルが「深層学習(deep learning)」の手法を取り込んで,翻訳の精度を格段に上げました.今,上の日本文を「グーグル翻訳」にかけると,

 There's a policeman standing over there.

と訳します.表層上の符牒の対応関係は抜群に精度が上がりました.ところで,この日本文に対して学校が用意した模範解答は

A policeman is standing over there.

です.どちらの英文も正しい文です.では,これらは正しい翻訳でしょうか.
 ベスターさんにこの日本文と英文を見せますと,しばらくじっと眺めていましたが,やがて「実際に,こういう日本語を言いますか」と尋ねました.この質問は私が中学校で「僕は少年です.あなたは少女です」という英語に対して行った質問と同じです.
 さすが,「第一回日本文学翻訳賞」をもらった翻訳家です.おそらく,この日本文を国語の先生に見せても正しい日本語と言うでしょう.この日本文に対する二つの英文を英語の先生に見せても.どちらも正しいと言うでしょう.たぶん,ベスターさんのよな質問は出てこないでしょう.文法的に正しい文なのですから.しかし,ベスターさんが問題にするとおり,実際にこの日本語を言う文脈(場面・状況)はありません.人間の翻訳家は「文脈も織り込んで等価変換(翻訳)する」のです.「機械翻訳」は,まだ文脈込みの翻訳は出来ません.
 さて,現実なら,息を殺して相棒に

 「(おい,)あそこにお巡りが立っているぜ」

などと注意を喚起て言います.そのようにベスターさんに伝えると,それなら,英語では

There's a policeman standing over there.

か,あるいは

Look! A policeman is standing over there.

になる,というのです.このthereは文法では「導入のthere」といわれるものですが,実態は明確に説明されていませんでした.アメリカの言語(哲学)学者ノアム・チョムスキー(Ivram Noam Chomsky)の生得的能力としての言語を解説した『言語を生み出す本能(上・下)』(NHKブックス)を書いたスチーブン・ピンカー(Steven Pinker)の教え子が20年ほど前に,はじめて, There's... は注意を喚起するために使われるもので,Look!とほぼ同じであるということを大学院で論文にしました.ですから,「あそこにお巡りさんが立っています.」に対するグーグルのThere's a policeman standing over there.は英文としては正しいのですが,対日本語の翻訳としては正しくないのです.「あそこにお巡りさんが立っています.」という日本文は実際に使われることはめったにないのですが,対応する正解としてA policeman is standing over there.が正しいのです.
 では,文法的には正しい文であるが,実際にはほとんど使わない

あそこにお巡りさんが立っています.
A policeman is standing over there.

は使えないのでしょうか.
 文法的に正しい文は,現実の場面でも必ず使えます.この英文が使える文脈を考えると,次のような場面です.都市計画建築家が一階の空間に大きな模型を作って,人物をいろいろ配置していて,二階の桟敷から全体を鳥瞰する視点から眺めながら,

「あそこにお巡りさんが立っている」

と説明するような場面です.これに対応する英語がA policeman is standing over there.なのです.しかし,現実の社会では,このような状況は滅多にありません.
 京阪奈にあるNTT基礎研究所が,「宿を取っておきましょう」も正しく訳すことのできる機械翻訳を完成させたので,デモンストレーションをするから見に来ませんかとの誘いがあったので行きました.開発担当者に「あそこにお巡りさんが立っている.」を訳してみてくださいと頼むと,A policeman is standing over there. が出ました.そばにいたカナダ人の共同開発者に「この英語,使いますか」と尋ねると,しばらく当惑した顔をしていましたが「まれに」と答えがもどってきました.やはり,現実の世界では滅多に使わないのです.
 したがって,私立高校は滅多に使わない文を英語に訳せという無理難題を受験生に科したことになります.文法的に間違いのない文が現実に使われるとは限らないわけです.実際の言葉は「集合イメージ+符牒+α(文脈=文化事情・発話状況など)」が一体となって使われるもので,どれか一つの項目にでも狂いがあると通じないのです.英語の先生が正しく分析・解答出来ないことは「機械翻訳」も出来ません,まだ「α(文脈=文化事情・発話状況など)」が入っていないからです.ただ,最近,文脈情報も加味するという機械翻訳の研究が進んでいるようです,来週その研究会にZOOMで参加することにしていますが・・・.

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