御殿場高原より 37 私たちは森で生活を始めた

私たちは森で生活を始めた

 私がイクを亡くして落ち込んだのは,単に連れ合いを失ったというのではなく,人生の同志を失ったという喪失感からである.私たちは全く別のところで生まれ育ったが,私は中学生の頃から幾人かの牧師と出会っていて,聖書を読んでいたし,プロテスタントの信仰と意志と理性を知っていた.イクはカナダ系のミッションスクールで学んでいた.二人とも洗礼を受けたわけではないが,キリスト教に関しては関心も知識もあった.偶然,同じ大学で学ぶことになったが学部の学生の時には会ったこともなかった.私は東京中の大学の聴きたい講義を聞いて回ることに忙しくて,自分の大学の学生には何の関心もなかった.イクと出会ったのは大学院の授業の初日である.そして,見た瞬間に「あっ,居た」と思った.
 イクは英米文学科の卒業論文にアメリカのヘンリー・デイビット・ソロー(Henry David Thoreau)を選んだそうであった.ソローは『ウオールデン 森の生活』(Walden; or Life in the Woods)を書いた作家・思想家である.『ウオールデン 森の生活』は,友人であり師でもあったラルフ・ワルド・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)が所有するマサチューセッツ(Massachusetts)州コンコード(Concord)近くの森の中にあるウオールデン(Walden)池のほとりに立てた小屋で2年2ヶ月2日暮らした生活経験を記述した作品である.私の卒論は,本当はジェームス・ジョイスを書きたかったのだが,友人に先を越されて,アメリカの劇作家アーサー・ミラーであった.しかし,二年の時の講読で非常勤講師のお茶の水女子大の鍋島さんが選んだエマーソンのNatureに関心を持ち,さらにThe American Scholarを読んで感動し,エマーソンの超絶主義(Transcendentalism)に惹かれていた.このあたりがイクとの接点かも知れない.超絶主義というのはロマン主義の運動の一つであるが,アメリカ育ちの思想らしく,ロマンティシズムの熱狂とピューリタンの真面目さと意志と理性を含むものである.そもそもロマン主義が「熱狂と理性」の希有なる組み合わせであるから,簡単に言うと,超絶主義というのは,経験に基づく客観的な既成の価値観よりも,人間に内在する善と自然への信頼に基づく主観的な直観を意志と理性で大切にするというものである.具体的に生活のレベルに落として言うと,熱狂と意志と理性で自分が選択したことには責任を持って,たとえそのために不幸になっても,それを人・親・社会・時代のせいにはしないという覚悟を持つことである.私はそのピューリタン的な理性と意志と真面目さと自然への信頼に基づく直観を大切にして生きることが気に入ったらしい.ただし,自然といっても野生の森ではなく,人の手の入った美しい森の中であり,一緒に住む人たちも,根本においては同質の人々,具体的には,親・兄弟・姉妹にしないことは決して他人にもしないという人たちと,束縛なく交わり一緒に暮らせる空間を求めていた,両親の怒声など一度も聞いたこともなく,父や母から愚痴,人の悪口など一度も聞いたことなく私たち兄弟姉妹は育っていた.尋ねたこともないし,何も言わなかったが,何となく同質感があったかから.たぶん,イクもそのような環境で育ったのだろうと思う.たまたま,イクの実姉が恵泉にいた関係で,キリスト教関係者が夏を過ごす御殿場の二の岡荘という別荘地の中の恵泉山の家三号館を借りることができた.夏になると,別荘の管理を任されている農家が,荘内の下草を刈り,プールを洗って水を入れ替え,テニスコートの草をむしって整備した.別荘はどれも夏の小屋であばら家であったし,私たちが借りた三号館も日本に持ち込まれた最初のアメリカのプレハブを移築したぼろ家だったが,どこの家も開放的で知的で清潔であった.自然の中で自分たちの感性を大事に生きていきたいと思っている私たちにはありがたいところであった.私たちは結婚式をしなかった.アルバイトをしながら人の二倍の年をかけている金のなさそうな院生の私に無理をさせたくないというイクの心配りであり優しさだったのではないかと思う.イクはさりげなく目立たない心配りのできる優しい賢い人であった.院生のとき互いに個人的な話をした記憶はないが,イクは私を黙って見ていてくれたようだ.授業が終わって一緒にお昼を食べるときなど,さりげなく,女ぽくない自分の財布を食事前に私に預けた.女性を誘って食事をしたりしたことのない私は,何もわからず,その中から支払いをした.イクは父親に保証人のサインをしてもらい,それを私に渡した.私も家に送って父親にサインしてもらって市役所に提出した.親たちは何も文句を言わなかったし,末っ子のイクのすることをイクの兄や姉たちは優しく黙って見ていてくれていたようである.先生や親しい人たち二三人には,静岡の庭で撮ってもらった二人の写真を添えて結婚しましたと知らせた.大学院で一緒にヘンリー・ジェームスのThe Portrait of a Ladyを読んだ富田彬先生は,「散歩の途中で見つけたので」と添え書きして美しい陶器の一輪挿しを贈ってくれた.私たちは,イクが持ってきた食器戸棚と食器,古い圧力式石油ストーブ,振り子の付いた古い柱時計,イクの兄や姉がお金を出し合って買ってくれたステレオとシャンソン名曲集,イクの母親が持たせた絹の寝具などと,出版社が私に払ってくれる月給で,二の岡荘の森で生活を始めた.冬は隙間風が吹き込んで,家の中でも氷点下11度くらいになった.寒くてダッフルコートを着てイクは台所をした.イクがかけているレコードはいつもヘンデルの「ドイツアリア集」だった.私たちはよく散歩をし,通りがかりの農家からトウモロコシを分けてもらったり,二の岡フーズでハムを買ったりした.時にはそのまま手を挙げてトラックを止めて,静岡まで乗せてもらって,イクの実家に出かけた.イクにも私にも時間はたっぷりあったので,富田先生と読み,当時まだ翻訳のなかったThe Portrait of a Ladyを訳し始めた.終りまで行かなかったが,その原稿は茶色くなって今でも私の本棚に積んであり,今少しずつパソコンに打ち込んでいる.私がちょっと高いアメリカの神学者Jonathan Edwardsの著作集を買いたいと言ったら,イクは「買ったら」と言ってくれた.イクは貧しさを一度も私に気づかせなかった.私が英語に関する原稿を書き始め,同時に大学の教員になって,しばらくして,安心したのか,イクは「20万円ピン札でちょうだい」と言った.私は一万円札と五千円札と千円札を組み合わせて,袋に入れて20万円ピン札で渡した.イクは貧しくお金を使うような浪費家ではなかった.イクは,その中から幾枚かを印伝の財布に入れ,それでイクは自分で自由に買い物をした.皺くちゃのおつりが来ると,すべて私によこした.私は時々袋の中を調べて,不足を補った.食べ物は「食のパラダイス・あおき」で買ったが,支払いが簡単に済むようにダイナースの家族カードを持たせた.イクは生涯一度も銀行へ行ったこともなく,ATMを使ったこともなく,認知症になって計算が出来なくなるまで,その20万円の世界で過ごした.私がポルシェ911SCを買おうが,買い物用にビートルを買おうが,私の稼ぎやお金の使い方などに一切関心を持たなかった.今住んでいる家を建てるときも,予算など一切聞かずに,イクは足火のレゴを使って,楽しそうに間取りを組み立てていった.窓はすべて同じ大きさにして,等間隔にする.外からトイレだ風呂場だなどとわからないようにする.王様やお姫様はいまトイレに入っているとかお風呂に入っているなんてわからせないようにするでしょ,と.外壁の色,壁紙の色,室内の色など,すべて決めてから,レゴの家を沼津の三井ホームの事務所に持って行って,こういう風に家を作ってほしいと頼んで作らせた.とてもシンプルな家で,私が支払える範囲のアーリーアメリカンスタイルの家になった.イクはセンスがよくて,よくわかっていて,賢く,優しい人だった思う.野犬狩りに追われて飼うことになった「シロ」も,いつもは見ているだけで,イクは一度も触ったことはなかったのに,シロが大きな犬に襲われそうになったとき,さっと胸に抱き込んで伏せた.イクの優しさはほとばしるように実に自然であった.認知症になっても,小さな子どもを見つけると,「ママがイクちゃんの手は小さくてきれいだねと言った」というきれいな手で指差して「おちびちゃん」とつぶやいた.運転しながら目の端に入るその指の差し方も私は好きだった.たぶん,いろいろなところで,私に対しても,息子の足火に対してもその自然の優しさを出していただろうと思う.私たちも,一度も怒鳴り合うこともなく,本を読み,音楽を聴き,自然を楽しんで,静かに暮らした.私たちは現代の忙しさや騒々しさを避けて,森に入り,少し古き良き時代の静かな自然の生活を選択したのである.そして,その選択には,The Portrait of a Ladyの主人公のIsabel Archerのように,また,William StyronのSophie's ChoiceのSophieのように,たとえ自分のしたその選択によって不幸な人生を送るようなことになってもそれを受け入れるという覚悟をイクも私も暗黙の了解としていた.それが私たちが好み大切にしたアメリカのピューチタニズムの真髄と思うからで,だから,イクの死は,私にとって単に身内の死ではなく,センス・価値観を共有して人生を共に過ごしていた同志の死なのである.それは泣くことも出来ないくらい深い悲しみである.この先,もっと認知症が進んで,私が誰かわからなくなっても,それでどんな大変な世話をすることになってもかまわないと私は思っていた.もっとイクと一緒に生きていたかった.「人類が滅びた後の荒野の地球に二人で立とうね」と約束していたのだから.
 今日は朝から快晴.イクがベッドから見ていた北側の窓には,若い緑の葉が順光で明るく柔らかく輝いている.イクは「私,この庭,好き」と言っていた.イクが好きだった庭であるように,今日は少し手を入れよう.

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