御殿場高原より 43 クロネコヤマトのペリカン便

クロネコヤマトのペリカン便

 周りに公共の交通機関がない.御殿場の街に行くバスの停留所には歩いて20分かかる.地方の小都市の生活を楽しむには交通手段を確保してなければならない.御殿場では富士山の方向に伸びる道は必ず上り坂である.歩いても自転車でもちょっと苦しい.今年九月で89歳になるので,車の運転は止めて,後部に荷物置きのついた電動三輪車にしようと買ったのだが,乗ってみて,これで御殿場の街まで往復するのは死ぬ思いをすることになるだろうと実感した.それで,週に二回来て掃除と洗濯をしてもらっているお手伝いさんに,買い物の運転手もたのんだのだが,何かの話のとき,年齢が68歳と知って,その運転手の助手席に座るのは絵にならない感じがしたので,免許をあと一回更新することにした.御殿場自動車学校で認知テストを受け試し運転をした.更新お知らせの葉書が来たので,いつでも更新できる.ただ,もう年だから18年乗った軽貨物を捨てて,前後左右にセンサーの付いた軽自動車に換えてあと3年運転しようかと思っている.
 65歳の頃,糖尿病で視力を失いかけて免許証を返納したので,宅急便で荷物を送るのに困ったことがある.今ではクロネコヤマトも荷物を自宅まで取りに来てくれたり近くのコンビニが預かってくれたりするようになったようであるが,その頃は自分で近くの営業所まで運ばなければならなかった.クロネコヤマトにしたかったのは,箱がよかったからである.白い箱に黒い子猫をくわえた母クロネコが小さく描かれ,幅広の黒と細い赤の線が横に引いてあるデザインであった.クロネコヤマトのロゴは,当時の社長がアメリカの提携会社のロゴが気に入って,許可を得て黒ネコにしたものだそうである.それを利用してデザインしたクロネコヤマトの箱を使いたかったのであるが,集めにきてくれない.ところが,電話で尋ねてみるとペリカン便(いろいろ変わって,今は「ゆうパック」になっているのかな)は荷物を取りに来てくれると言う.しかし,ペリカン便は箱がださくて気に入らない.それで,クロネコヤマトの箱でもいいだろうかと聞くと,構いません,とのこと.以来,我が家では,ものを大切にする知人に送る時,たとえば,イクが選んで足火が着た子供服など,洗濯をして丁寧に畳んでクロネコヤマトの箱に入れ,オオ僕が箱を閉じて宛先を貼った「クロネコヤマトのペリカン便」が,イクの友達や親戚の間を飛び交うことになった.私たちはおしゃれを無駄にしないで,お互い無駄にものを買わないこういう生活が好きであった.しかし,最近,あのきれいな箱は見かけない.どんなに奇麗だったか,自分たちでは認識できていなかったらしい.
 地方の小都市に住んでいると,他にもいろいろわがままがきく.荷物が来ると玄関の脇のボタンが押される.ピンポンという音と同時に「宅急便です」という威勢のいい声が聞こえる.しかし,ちょうど二階の寝室のデスクで原稿を書いているときだったりすると「サインして置いていっください」と上から大声で伝える.「じゃあ,置いていきます」となる.イクもオオ僕も盗む人などいないと思い込んでいる,我が家は四角い家である.庭を造った造園師は「お宅は死角がないし,俺が四隅に魔除けの柊南天を植えたので,まあ,大丈夫でしょう」と言っていた.それに持ってくる人はいつもだいたい同じ人で,顔見知りである.最近は玄関に「宅配さんへ.荷物は中に入れていってください」とか,「ちょっと外出しています.下に置いておいてください」などというビラを貼って再配達の手間を省いている.私たちはいままで悪い人に会ったことがないので,恐ろしさを知らない.用心などあまり考えたことがなかった.先日も,フローリストババが花を生け替えに来る日であるのを忘れて外出してしまった.帰ってみると,もう勝手に二階に上がって花を生け替えて,ちょうど帰るところであった.
 ただ,わがまま勝手をしたり言ったりしているだけではない.気も遣う.毎年律儀に,夏は百パーセントリンゴジュース,お歳暮にリンゴを箱で送ってくれる教え子がいる.赤いリンゴと黄色いリンゴが入っている重い箱を運んでくれるので「ちょっと待ってくれ」と,その場で箱を開けて「赤いリンゴ」(だいたい上の段にある)をいくつか取り出し,「休憩時間にかじってくれ」と渡す.この赤いリンゴのお相伴にあずかるのは彼だけではない.高校生のころ岩手県の釜石線の陸中大橋駅からそれほど遠くない高台に住んでいた.猿の群れがざわざわ騒ぎ,出しっ放しの自家水道からはプラナリアが出てくることもあるようなところであった.山際なので雪が積もった.妹たちは仙人峠トンネルの入り口の上有住(かみありす)駅近くのスキー場にスキーに出かけているあいだ,私はコタツで本を読みながら,庭の雪の中に投げて置いたリンゴを食べる.とてもおいしかったので,雪が積もると,赤いリンゴを投げておきたくなる.ただ,このあたりでは雪が深くないので投げておくと,冬で食べるものがなくなった小鳥たちに食べられてしまう.家の庭の木には野生のウズラや黒ツグミや雀が住んでいるらしい.春には二階の私の寝室の窓際の楓の木の上に巣を作って子育てをする.お陰で,雛が巣立つまで窓は開けられないし,ブラインドも動かせない.二月にたまにどか雪が降る.真っ白な雪に磨いた赤いリンゴは美しい.二つ離して投げてやる.黒ツグミは気が強いので,近くに置いておくと自分は満腹のくせに雀が食べ始めると低空飛行をして脅すのである.それで離して置いてやる.しかし,最近は,雪が少なくて白くならないのでやめている.枯れ草の上の食べかけの赤いリンゴは茶色になって見苦しい.最後はカラスが後始末をしてくれるのだが,茶色のリンゴが気になるので,最近は庭先には投げられない.小鳥たちには冬は空腹の訓練をしてもらうことになってしまっている.
 本やCDやDVDはアマゾンで買うから,家には別の業者も来る.はじめの頃は「アマゾンです」と誇らしげに大声で怒鳴っていた.手が離せないことが多いので,「本だから置いていってください」と言って置いていってもらう.最近では荷物でも黙って置いていく.外出から帰ってみると,中の板張りにイクの介護用パンツの大箱が置いてあった.ただ,どこかの会社は必ずサインか印鑑を求める.たまたま留守にすると,再配達の手配をしなければならなくなる.以前アマゾンは,運転手不足を予見していたのか,「個人配達」を試みたりしていたが,運転手不足問題は,いずれドローンで庭先に置いていくことで解決するかもしれない.
 便利になったものである.品物を見つけて電話やインターネットで注文を出せば,日本中の物品だけでなく世界中のものを手に入れることができる.たとえば,今のパナソニックがまだナショナルの頃買ったレモン・グレープフルーツを搾るプラスチックの道具が駄目になったので,アマゾンのカタログをインターネットで見たら,立派なステンレスの絞り器が出ていた.注文したら,なんとそれはシカゴから送られて来た.
 本でも商品でも,何でも居ながらにして世界中から手に入れることができるので,私は「セレクション」というファイルを作って,気に入った品物は電話番号やアドレスなどをファイルしておくことにした.品評会で世界一になった千葉の牧場のブルーチーズ.コルシカ島の有機栽培のオレンジを使ったオレンジマーマレード,こと路の「ちりめん山椒」,村上重の「千枚漬け」,新六の「奈良漬け」,青森の「ナイアガラ」,群馬の「紅玉」,博多の「鶏の水炊き」などなど.ただ,「運転手問題」が持ち上がっているので,この先どうなるか.
 いや,まだ鉄道がある.小学生のころ福岡県の二瀬とか飯塚とか伊岐須という田舎に住んでいた時,太平洋戦争の最中であったにもかかわらず,鳥取の網代に住んでいたおじいさんが,毎年シーズンになると松葉ガニを送ってくれていた.カニはおがくずの中でぶくぶく泡を吹きながら生きて届いた.最近は,浜茹でというのが普通のようであるが,カニというものは生きているものを自分の家で茹でるものだと思っていた.昔もすごかったんだなと思うと同時に,今なら鉄道でもっとうまく利用して運んでくれるのではないかという期待もしている.たとえば,夜中に貨物新幹線を走らせるとか,貨物リニアとか.特に,地震の多い日本では,地下何十メートルも下を走るリニアには乗る気にならない.地震になって電源が切れて地下に閉じ込まれると考えただけでぞっとする.自動運転の貨物輸送用に使えば,運転手問題は簡単に解消するのにと思う.はて,品川を起点にするというのはそういうことか.昔,叔父さんから品川駅は貨物の集積駅であると聴いたことがある.母の実兄,つまり,国分寺の倉林展造叔父さんは,そこの助役で定年を迎えたんだっけ.この国の政府は,戦前も,前後も,人々の欲求・欲望・不安を利用して,真面目な国民を自己規制的に誘導することに長けている.「欲しがりません,勝つまでは」に始まって「贅沢は敵だ」と婦人会を動員した.強引な奨励金付きのマイナ保険証にも裏があるのだろう.新NISAであおって国民に虚業を勧めるのも裏があるのだろう.たぶん,リニア品川駅も裏があって,本当はきっとリニア貨物品川駅なんだ.小学校三年の時に終戦を迎えて,国に裏切られた私は,まだ国にだまされた心の傷が癒えないでいる.

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