御殿場高原より 34 イクとオオ僕

イクとオオ僕

 火曜日は可燃ゴミの日なので,車に積んでゴミステーションまで運び,家に帰り始めると,前を赤色ランプを点滅させたパトカーが走って行った.家に帰り着くと同時に,固定電話が鳴った.受話器を取ると,「奥さんと待っているから元andoに来てほしい.それから,奥さんがパンを食べたのでお金を持ってきてほしい.」という.元andoというのは家から1000歩先のパン屋さんで,同じ場所に新規に別のパン屋さんが営業を始めて,朝7時ごろから店を開けていた.ゴミ出しに出かけたのが7時ごろだから,イクはまだ二階の自分のベッドで眠っているはずなのだがと思いながら小銭入れをつかんで,店に走った.店の前に置かれている椅子にイクはきちんとした服装で,黒い留め金の付いた靴を履き,新一年生のように両手をお膝にのせてお行儀よく足をそろえて座っていた.童女のような澄んだ目をして,まるで広隆寺の半跏思惟像のような穏やかな顔をしていた.私にはとてもかわいく美しく見えた.が,そのそばには,婦人警官とお巡りさんが立っていた.「まずパン代を払ってきてください」とお巡りさんに言われてレジに行くと「168円」とのこと.ああ,イクは無銭飲食をしたんだ.パン代を支払って店の前に行くと,お巡りさんが,声を潜ませて,「奥さんは認知症ですか?」と.「そうです.ケアマネージャーに来てもらっていますし,今,要介護2です」と答えた.「今後のこともありますので,写真をとっておいていいですか」と言うので,「どうぞ.迷っていたら保護して電話してください」と頼みながら,ここの店は,なんというひどい店だろうと思った.何回かイクを連れて買いに来ているのだから,全く見知らぬ客ではない.次に僕がパンを買いにきた時に,「この前,奥さんが食べたパン代168円も加算します」と言えばいいものを,警察に通報してパトカーを呼ぶとは何事かと思った.
 それから,一年ほどで,そのパン屋は店じまいとなった.
 今,イクは要介護4になり,認知症が進んだ.朝食の卵サンドの半切れも「がんばる」と言ってやっと食べる.食事と「おいしい」と顔がほころぶので毎日食べるおやつのイチゴの時以外はほぼ一日中眠っている.私は夕方5時になると,着替えとかタオルとかを乾燥機にいれてスイッチを入れ,風呂の栓を抜いて新しいお湯にする.5時半過ぎに手を引いて風呂場に連れて行き,靴下,長股引,介護パンツを脱がせて,「おしっこ,しろ」と便座に誘導する.おしりをポリポリ掻いて座る.「出ない」という.「もう少し座っていろ」と座らせておく.するとおしっこが出る.「おしっこがでた」という.長い髪をアップにして輪ゴムで止めて,手を引いて湯殿の手すりにつかまらせて,背中やおしりや小股を石けんとお湯で洗ってやる.「ゆっくり暖まれよ」と湯船に入れる.「おこらない?」「おこらないよ」「バンバンたたかない?」「たたかないよ」という会話をほぼ毎日する.何かきつい言葉を受けたり,不快なことをされると「バンバンたたかれる」と言う.たとえば,電動歯ブラシで歯を磨かせると,10秒ほどで「終わり」と言う.「もっとよく奥歯も磨け」ときつい言葉で言うと「バンバンたたかれた」と言う.ときどき「知らない人がバンバンたたいた」と訴える.「どうして?」と尋ねると,「脳タリンと言ってバンバンたたいた」と言う.不思議なことに脳が冒されていることを自覚している.お風呂がすむと,「私,ここが好き」と言うので,私の書斎に置いた介護用のベッドに寝かせて,私は二階の寝室に設えたデスクで仕事を始める.一時間半ほどすると,階段の手すりをたぐりながら音もなく登ってきて,私の部屋のドアを開けて「どうしていいかわからなくなった」と言ったり,「私,間違えた?」と尋ねる.「夜だから下で寝るんだよ」と言って後ろからちょっと抱きしめてから,一緒に下に降りて寝かすが,また一時間ほどで上がって来る.これを毎晩二時半から三時ごろまで繰り返す.日中寝て過ごすので運動不足である.階段の上り下りを運動として私は許している.イクが寂しそうに見える時には,一階の書斎に作ってある兵隊ベッドで眠ってやる.安心して眠るが,ふと目が覚めると,私が側のベッドで寝ていることを忘れて,イクは二階に上がって「オオ僕」と私を呼んで,返事がないので,また降りてきて寝る.ある晩,四時半ごろ目が覚めたら,トイレまでの床に下痢状態の便をまき散らして便座に座っている.着ているものも汚れている.脱がせておしりを洗い,風呂に入れて,着替えさせ,シーツを取り替えて寝かせる.それから,まき散らされた便の掃除をする.これも最近たびたびとなった.ケアマネイジャーや訪問看護師は寝不足の私を見て,「ショートステイを利用しては?」と勧めるが,イクは自分の見知った空間だから壁や手すりや何かに触って自由にしていられる.知らない狭い空間に預けるのはかわいそうだ.このままにしておいてあげたい.このお気に入りの空間で最後を迎えさせてやりたい.それまで私もがんばりたい.
 4月の20日の午後,二階の自室から仕事が一段落して,書斎に降りると,「あっ,オオ僕が来てくれた」と喜んで起き上がったので,「ジュースでも飲もうか」と誘って,手を引いて,食事の部屋のイクの椅子に座らせたとたん,「痛い」と言って突っ伏した.息が荒く,突っ伏したまま返事も出来ない状態なので,救急車を呼んで,御殿場の富士病院へ走ってもらった.もう問いかけに反応しない.心臓の大動脈解離とのこと.普通はすぐ手術して人工血管で修復するのだが,イクの場合は,血圧も測れない状態であること,認知症が進んでいること,老齢であることなどの理由で,手術は無理となった.その上,イクの血液は二千人に一人ほどのRH-Bであること.だからといって,血液の準備のある所まで動かすことも出来ない.これ以上痛い思いはさせたくないので,点滴もせず,尿道にパイプを入れることもせず,ただ静かに寝かせて死を待つという選択をせざるを得なかった.インターネットで調べて見ると,この病気は予兆なく突然起き,即死が大半とのこと.イクの日常の血圧は120前後でほぼ正常だったので,考えられる原因は動脈硬化ぐらいしかない.イクは五日間頑張ったが,4月25日18時18分に心臓が止まったと電話を受けて,病院へ駆けつけ,主治医という医師から18時45分に死亡と宣言された.イクはもう夜中に「オオ僕,どうしていいかわかなない」などと不安そうに生きることはしなくてすむ.一度だけの激痛で,あとは眠ったように死んでくれたので,それはそれでよかったが,「あっ,オオ僕が来てくれた」という嬉しそうな声が耳に残り,嬉しそうな顔が目に焼き付いて離れない.息子の足火を亡くし,ここで妻の郁を失って,もう私が生きている意味はない.私も糖尿病科と循環器科に通院している.いつぽっくり逝くかわからない.気を取り直して,やりかけた仕事は続けたいと思うが,その気にならない.このまま店じまいをしようかと思っている.今日は火葬の日で,郁が「きれいね」と言うので御殿場に住み始めのころから毎年植えている庭のナスタチュームの花を朝早く起きて全部摘んで,他に今庭で咲いている利休梅,白山吹,クリスマスローズ,都忘れ,シャクナゲなども摘んで,郁の周りを飾って火葬にした.91歳になっているイクの姉と収骨して,イクはオオ僕の膝の上で運ばれ,自分の寝室で眠っている.60幾年か一緒に生きてくれてありがとう,また結婚するなら郁とする.オオ僕も遠からず逝くことになる.待ってろよ.息子足火のときもそうだったが,死に「音」は騒々しい.誰とも口をきかず,無言で噛みしめ,しばらく「字」の世界で暮らそうと思う.

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