御殿場高原より 36 「イク,オオ僕は独居老人になった」

「イク,オオ僕は独居老人になった」

 息子の足火と妻の郁に先立たれて「独居老人」になった.世間では「人生百年」と言って喜んでいるようであるが,百歳の自分は想像できない.実際に88歳になると,昨年まで梯子に登って平気で枝下ろしをしていたのに,今年は足下がおぼつかなく感じる.年を取るということは急速に衰えることでもあるし,急に死が訪れるということだ.日常の血圧が120前後で,血液検査では「ちょっとコレステロール値が高い」と言われていただけのイクが「急性大動脈解離」で,一瞬で意識を失うのを見て,独居老人になり,糖尿病科と循環器科に通院している私は,そういう場合,119番に電話してくれる人がそばにいないので,たぶん孤独死することになるだろうと予測せざるをえない.それが心配になったのか,スマートホンで顔を見ながら電話したり,相手の位置情報を確認し合っているの甥と姪が,私も仲間に加えてくれることになり,私は息子がソニーにいた頃仲間たちと開発したXperiaを持っていたのであるが,「ドコモショップ」に行ってiPhoneに換えることになった.おかげで,甥が電車に乗って移動している時には,線路上を丸い点が動くし,姪がアメリカに帰ると,街並みと一緒に「パサデナたった今」と出てくる.カーナビの応用であろうが,それにしても世界中どこにいても位置情報が得られるとは恐れ入った.これでは,戦争はドローンの撃ち合いということになりそうだ.それから甥は,以前から私が入っているセコムに電話をして,緊急時に握る器具を三つに増やしてくれた.書斎の昼寝ベッドの枕元,お風呂場,二階の寝室のベッドの枕元の三ヶ所に置くことになった.独居老人用の「緊急握りボタン」は小山町でもやっているが,ご近所の人とか親戚とか二人の連絡先を記入しないと登録することが出来ない.近所づきあいのない私のような老人にこそ必要なものだと想うのだが利用できない.なんといういい加減な仕組みなのだろう.しかし,それがあったとしても,イクの場合でわかるとおり,実際には瞬時に意識を失うので,この仕組みも気休めでしかない.結局,私は死体として発見されることになるだろう.一人で老いるということは,こんなに厳しいのである.私の死体を発見するのは,気の毒なことに,今,洗濯と掃除とに週に二日来てくれている通いのお手伝いさんということになりそうだ.発見したときの手順を教えておかなければならないし,連絡先も纏めて書いて,「迷惑かけ賃」を添えておかねばなるまい.
 いかに命の不安を感じても,独居老人になったというだけでは,町の福祉センターでは介護の認定はもちろん支援の認定もしてくれないので,訪問看護師派遣の指示書も書いてもらえない.したがって,週に一度,訪問看護師に来てもらうこともできない.人付きあいのない私は,一日中机について一人で仕事をしているので,これから先,誰とも口をきかずに暮らすことになる.もう何日も,誰とも口をきかずに過ごしている.イクと一緒だったから,大きな画面でオペラを観たり,テレビで天気予報とニュースを観ていたのである.明日の天気と気温を観て,イクに着せるものの準備をしたのだ.一人ではニュースも天気予報も観る必要はない.
 食事もいい加減になった.イクと一緒だったから,野菜ジュースはガラスのカップに入れて,トーストは焼いてバターを塗りジャムを乗せてリチャードジノリのお皿に置き,飲み物を同じくリチャードジノリのカップに入れ,ヨーグルトはガラスの器に入れて木イチゴのヨーグルトソースをかけ,イチゴはカラスのお皿にのせてコンデンスミルクをかけて,テーブルに並べて食べたのである.一人でこれをしたら滑稽だ.かつて観たテレビドラマ『結婚できない男』では,冒頭に,40代の独身男が自分でステーキを焼いて,セットしたテーブルで一人で食べる場面が出てくる.これは脚本家の尾崎将也(この人はいいセンスをしている)が,独身男のいくらか淋しくてコミカルな感じを出すために作った場面と思うのだが,食事は人と一緒にするものであって,一人できちんとかしこまってするのは苦笑を誘うものなんだよというメッセージである.
 一人になった私は,朝,仕事をしながら野菜ジュースをパックを開けてそのまま飲む.それからゆで卵を塩と胡椒で一個食べる.これも仕事の机の上でである.飲み物もパックにストローを突っ込んで飲み,一緒に「ナッツ」を一袋噛む.ヨーグルトと果物もコンピュータの前で食べて終りである.お昼もお握り一個とお茶で仕事をしながら簡単にすます.しかし,これでは,これから先,誰とも口をきかないで,ただ生命を維持するために食べ物を補給して過ごすだけのことになる.一週間に一食くらいは人間らしい会話付きの食事をしたい.それで考えた.指示書を書いてもらえないので仕事として訪問看護師に来てもらうことは出来ないが,お昼時間ならいいのではないか.そこで,イクが,声がいいし,かわいいと気に入っていたベテランの訪問看護師に電話をして,お昼はどうしているのかと尋ねてみたら,「家に帰って食べる」とのこと.それなら,一週間に一日だけ,家(うち)に来てお昼を一緒に食べることは出来ないかと尋ねてみたら,OKしてくれた.それで毎週月曜日のお昼は,私の健康状態を観察してもらいながら,私が用意したお昼を食べ,会話を楽しむことになった.
 今日はその月曜日である.タイのグリーンカレーにしよう.ジャガイモを一つ蒸して皮をむいて小さく切る.アスパラガスを薄く切って茹でる.レトルトのカレーには野菜が少ないので,これらを加える.そうだ,肉も少ないから鶏の胸肉の小間切れをさらに小さく切って炒めて入れよう.お湯で溶いた昆布だしの汁を少し加えてみんな入れて煮込む.そう,最近は柔らかいサンドイッチくらいしか食べられなくなっていたが,一昨年前までは,こんな風に簡単料理を作ってイクと食べていた.萌葱色のお皿を出す.タイカレーだから小岩井農場の生乳100パーセントのヨーグルトをガラスの器に入れて木イチゴのヨーグルトソースをかけて並べる.昨日京都の村上重から届いた瓜の奈良漬けを薄く切って小皿に分ける.カレー用のスプーンとヨーグルト用のスプーンと奈良漬け用の箸を銀食器箱から出して並べる.サクランボをガラスのお皿に盛る.食後のコーヒーはブルーマウンテンナンバーワンの豆を挽いて,コナのコーヒーメーカーにセットする.食べる直前にアルコールランプに火を付ければちょうどよくできあがる.コーヒーはブラックで.甘みにイタリアのフェレロ・ロシェを一個つける.これでいくらか人間らしい食事ができる.人間には共に楽しむ人と物と時間が必要なのだ.
 具体的な書き方をしたが,身体が元気でも,独居するということはこれだけ大変なことなのである.これで,身体の具合が悪かったら,多分,早く死ぬことを願うことになるだろう.大分前に書いたように,動物と違って人間は,群れから離れて仲間に知られないところで死んで土に還ることはできない.イクは私が元気だったので自分の部屋に戻ってくることが出来たが,私自身の死体を自分で始末することは出来ないのである.弟や妹,あるいは親戚に面倒をかけることになる.遺産相続というのは死体始末の迷惑料を制度化したものと思うのだが,親はすでに死亡しているし,弟も妹も高齢である.任されても困るだろう.それで,私は,相続の本来の意味通りに,私の死体を始末してくれた人に,土地と家屋を遺贈し,遺贈されたことによって生じる税金も用意しておいてあげようと思う.妻や子を先に失って最後に死ぬということは,こんなに大変なことなのである.ぼけないうちに,この地域の信用金庫を法定後見人と決めて,指示通りに私の意向を執行してもらうよう頼んでおこうかなと思う.富士病院の循環器科の本田先生に定期的に心臓を診察してもらって生きているこの命を出来るだけ丁寧に扱って,先生の親切を無駄にする積もりはないが,「何が人生百年だ!」という思いは消えない.

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