フリーペーパー「三浦編集長」に掲載した『三浦自伝』です。読むと三浦の生い立ちから大森に辿り着くまでのことや三浦の人となりが多少分かります。おそらく、何の役にも立たないのですが・・…
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#名古屋
大学受験~上京篇|三浦自伝⑦
(写真:ボート部時代の三浦・右)
2004年、ついに三浦も受験生となった。英語が得意だったこともあり、行動範囲を海外に広げてたくさんの新しいことを知りたいと外国語学部を受験することにした。
地元の南山大学が近くて評判も良かったが、母と姉の母校だったため、なんとなく同じところは避けた。「どうせなら東京の有名な大学に行こう」という単純な理由で東京外国語大学を受験することに決めた。
勉強嫌いで英語
中学・高校篇|三浦自伝⑥
(写真:弓道部時代の三浦)
南アフリカから3年ぶりに帰国したのは13歳の冬、1999年12月6日だった。
姉と一緒にヨハネスブルクから香港経由で、小牧の名古屋空港に降り立った(母はあと半年南アにいた)。帰ってきた実感が湧かず、ただ夜の町をぼんやりと眺めながら父の車で実家に帰った。
姉が通っていたことと高校受験がないからという安易な理由で、名古屋大学教育学部附属中学・高等学校の編入試験を受けた
祖父母と暮らす|三浦自伝②
(写真:姉&父との写真)
母より一足先に帰国した三浦(4歳)は愛知県一宮市の祖父母のもとに預けられ、それはもう可愛がられながら育つ。子供の柔らかい頭で身につけた英語は、残念ながらあっさりと忘れてしまった。
そういえば祖父母の家で姉と英語でケンカしているのを祖父が撮ったビデオがあったがどこへ行ったのだろう。あれは傑作だった。
この頃一宮の丹陽保育園、後に名古屋の星ヶ丘幼稚園に通った。
じいち