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三浦自伝

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フリーペーパー「三浦編集長」に掲載した『三浦自伝』です。読むと三浦の生い立ちから大森に辿り着くまでのことや三浦の人となりが多少分かります。おそらく、何の役にも立たないのですが・・…
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#名古屋

三浦と茅葺き|三浦自伝 番外編

三浦と茅葺き|三浦自伝 番外編

(写真:東山植物園の合掌造りの家にて姉と母と。全然屋根が写っていないが…。)

なぜだろう。茅葺き屋根の下にいると安心するのは。

例えば雨降りの中、雨宿りしてぽたぽたと軒から垂れる雨の滴を眺める時。暑い真夏の太陽から逃げて、茅葺きの土間に入りひんやりした空気を感じる時。

どんな時も茅葺き屋根の下に入れば、人は守られる。そして不思議と心が安らいでくる。そんな力を、茅葺き屋根は持っていると思う。

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三浦と音楽〈その四〉|三浦自伝⑯

三浦と音楽〈その四〉|三浦自伝⑯

(写真:バンドのスタジオ練習でふざける三浦。なんなんだこの写真は・・・)

高校の終わり頃から、ちょっと粋がってジャズやボサノヴァを聴くようになっていた。

当時ラジオをよく聴いていて、名古屋の人気ラジオ局ZIP FMでやっていた「OZ MEETS JAZZ」という番組が主な入り口だったと思う。ちょっと大人ぶりたい、背伸びしたい時期だったのだ。

大学で上京して一人暮らしを始めてからは、もし女の子

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三浦と音楽〈その三〉|三浦自伝⑮

三浦と音楽〈その三〉|三浦自伝⑮

(写真:高校時代、スタジオでレコーディング中のバンドマン三浦・右)

南アフリカで挫折したバイオリンの次に楽器に触れるきっかけとなったのは、帰国後の中学2年の正月に手に入れたあるバンドのCDだった。

それは、中身の当たり外れが激しく俗に「鬱袋」と呼ばれる本屋「ヴィレッジヴァンガード」の福袋に入っていた唯一まともな商品だった。当初「これもガラクタか」と思いながら再生してみたところ、流れてきたサウン

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三浦と音楽〈その二〉|三浦自伝⑭

三浦と音楽〈その二〉|三浦自伝⑭

(写真:南ア・喜望峰にて両親と)

小学校1年生の頃、突然バイオリンを習いたいと言い出した三浦。

おそらくバイオリンを弾けたらカッコいいとでも安易に考えたのだろうが、やりたいと言ったことをやらせてくれる親がいたのはありがたかった。

父はギター、母はバイオリンとフルート、姉はピアノ、トランペットをやっていたので今思えば腕前はさておき音楽一家であったと思う。さっそく地元名古屋の鈴木バイオリンで子供

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大学受験~上京篇|三浦自伝⑦

大学受験~上京篇|三浦自伝⑦

(写真:ボート部時代の三浦・右)

2004年、ついに三浦も受験生となった。英語が得意だったこともあり、行動範囲を海外に広げてたくさんの新しいことを知りたいと外国語学部を受験することにした。

地元の南山大学が近くて評判も良かったが、母と姉の母校だったため、なんとなく同じところは避けた。「どうせなら東京の有名な大学に行こう」という単純な理由で東京外国語大学を受験することに決めた。

勉強嫌いで英語

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中学・高校篇|三浦自伝⑥

中学・高校篇|三浦自伝⑥

(写真:弓道部時代の三浦)

南アフリカから3年ぶりに帰国したのは13歳の冬、1999年12月6日だった。

姉と一緒にヨハネスブルクから香港経由で、小牧の名古屋空港に降り立った(母はあと半年南アにいた)。帰ってきた実感が湧かず、ただ夜の町をぼんやりと眺めながら父の車で実家に帰った。

姉が通っていたことと高校受験がないからという安易な理由で、名古屋大学教育学部附属中学・高等学校の編入試験を受けた

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祖父母と暮らす|三浦自伝②

祖父母と暮らす|三浦自伝②

(写真:姉&父との写真)

母より一足先に帰国した三浦(4歳)は愛知県一宮市の祖父母のもとに預けられ、それはもう可愛がられながら育つ。子供の柔らかい頭で身につけた英語は、残念ながらあっさりと忘れてしまった。

そういえば祖父母の家で姉と英語でケンカしているのを祖父が撮ったビデオがあったがどこへ行ったのだろう。あれは傑作だった。

この頃一宮の丹陽保育園、後に名古屋の星ヶ丘幼稚園に通った。

じいち

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