三浦と音楽〈その四〉|三浦自伝⑯
(写真:バンドのスタジオ練習でふざける三浦。なんなんだこの写真は・・・)
高校の終わり頃から、ちょっと粋がってジャズやボサノヴァを聴くようになっていた。
当時ラジオをよく聴いていて、名古屋の人気ラジオ局ZIP FMでやっていた「OZ MEETS JAZZ」という番組が主な入り口だったと思う。ちょっと大人ぶりたい、背伸びしたい時期だったのだ。
大学で上京して一人暮らしを始めてからは、もし女の子が家に来ちゃったりとかしたらメタルじゃなくて、ちゃんとそれなりにムーディな音楽も用意しておかないと!などと思ってCDもいろいろと買い集めた(結局そんな心配はほとんど必要なかったが…)。
動機が不純でも音楽を聴いていればそれなりに好きになってきて、ジャズをきっかけにまた新たな音楽に触れたいという気持ちが湧いてきた。
外国語学部ということもあり世界中の情報が日常的に入ってくるので、次第にワールドミュージックにも興味が湧いて何かと聞き漁った。
当時よく聴いたものの一つはKORA JAZZ TRIOという西アフリカの楽器・コラをフィーチャーしたトリオ編成のジャズバンドだった。確かCDショップで視聴して「いいな」と思ったが、お金がなかったため一緒にいた友人に「これ良さそうだよ」などと言って買わせて、それを借りて聴いたらハマったのだ。なんて奴だ。
大学2年目でボート部を辞めてから、フュージョン好きな友人に誘われてT-SQUAREやカシオペアのコピーバンドを一瞬だけ組んだことがあった。
個人的には全然趣味ではなかったが、久しぶりにバンドで音楽をやるというのは楽しかった。しかし大学も別々で住んでいるところも違うメンバーの予定が合わなくなり、ライブをやることもなく残念ながら解散したのだった。
ちょうどその頃、ギターで新たなジャンルを開拓したいと思い色んなサークルを見学に行った。そこで出合ったのがフラメンコギターだった。
踊り・歌伴奏の音色を聴いて「これや!ワイがやりたかったんはこれや!」と一瞬にして魅せられてしまったのだ。
<つづく>
※三浦編集長 Vol.16(2018年1月発行)より転載